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「問題はそれが起こった時と同じ意識レベルでは解けない」 とアインシュタインがゆーてる

おはこんばんちわ。ひろきです。

アラレちゃんのエンディング?かなにかの歌の中に

「♪ペンギン村から おはこんばんちは みぃぎむいて ひぃだりむいて ばいちゃばいちゃ」

っていう歌詞があって、小学生の純粋無垢なヤマダ少年は
ペンギン村を基点にした「おはこん番地」までのルートを示唆しているのだとばかり思って、
(俺にも行けるかもしれない!)と、よく歌に合わせて右向いて左向いてばいちゃばいちゃしていたものです。

もちろん右向いて左向いてばいちゃばいちゃしても一向に「おはこん番地」は現れない。

きっと「おはこん番地」ってのは何か真理を掴んだ者だけが到達できる夢のような場所なのだともどかしく思ってました。


まさか、、、


おはよう
こんばん
こんにちは

だったとは。。。

なんだよ、24時間対応のコンビニエンス挨拶じゃんかよ。
書き心地も言い心地もなんとも気持ちいい。。。考えた人天才やな。。。

といったところで、嫉妬から始まる今日のnoteは見方が変われば世界が変わるって話。

おはこんばんちはも全く違うものになったもんな。

ではいこうっ!

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1.「問題はそれが起こった時と同じ意識レベルでは解けない」

ってなんかの本で読みまして。

調べてみたらアインシュタインの言葉だったみたいです。


いや、ほんとそう。



人間めっちゃ思い込みがある。
思い込みってのは、小さい頃から家族、学校、会社等々、いろんな場面で刷り込まれてきた”当たりまえ”とか”常識”って言われてるもの。


例えばよ、
めっちゃわかりやすいヤマダの例で言えば、
大学4年の冬、、、

《卒論がぜんっぜん書けない》

っちゅう大問題があったのよ。

本を読んで、そこから文を紡いでいくスタイルだったんだけど、
読めど読めど、書けど書けどその本の要約にしかならなかった。

そんなヤマダを見て、当然だけど、
「いや、これじゃ全然論文じゃないよね。要約集だよね」
とゼミの先生。

まさにその通り。
自分でも重々わかっておりまする。。。
なんなら困っておりまする。。。
自分でもどうしていいのかわからないんでございまする。。。

だって先生、、、。
お言葉ですが、、、。

「この本書いた人たちって、自分の何百倍もこの本の内容について追求して、やっとの思いで仕上げたような代物ですよね。そんな文章に対して自分の意見述べるとかできないですよ」

と若きヤマダ青年。

まさに青い。
青すぎ。

でも、なんならその時は、
どう考えてもその通りだろー!
だってそうじゃないかー!
もはや言い負かしたる!

くらいの謎の半ギレ状態で言い放っていた。

もう入荷したてのバナナより圧倒的に青い。

そんな見てる方も興ざめもののヤマダにゼミの先生がかけた言葉が、

「あなたそれは権威主義だね」

という言葉だった。

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2.自分を縛っていた”権威主義”というものの見方

山「ケンイシュギ、、、?」

先「権威主義。自分より偉い人が正しいっていう考え方ね。その著者のこと偉いとしているから、何も書けなくなるんだよね。そんな偉いとか、偉くないかとかじゃなくて、22年間生きてきたヤマダなりの考えを書いたらいいんだよ

山「!!!エッ、、エエンデスカ!?ジブンノ カンガエ ノベテ エエンデスカ!??!!」

その瞬間にそれまでの人生が全部ぶっ飛んでった感じがした。

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(パッカーン)

それまで、
”目上の人の言うこと、先生の言うこと、先輩の言うことを素直に聞く”
が、自分の中で絶対だった。

それが”大人な振る舞い”であり、処世術でもあった。

そんなじぶんはまさに、権威主義だったのだ。

自分の中では当たり前すぎて、まさかそんな考えの枠組みを自分が持っているんだということさえ気にしたことがなかった。
枠組みだなんて思いもしなかった。
みんなそれを抱えて生きるのが普通と思ってた

しかし、その後、実際にそれが自分の「卒論が書けない」という問題を生んでいたということに気づくこととなる。

3.見方が変われば世界は変わる。

その話をされたあと、
まず卒論のテーマが変わった。
なんでもいいならこれにしよう。みたいな感じでポンっと出てきたのである。

それからはとても速かった。
みるみるうちに、文章がかけて、自分でも納得のいくものができた。
あんなに苦しかったのが嘘だったかのように集中して書けた。
言葉通り世界が変わった感じがした。

なんなら言葉を紡ぐ時間は本当に楽しくて、うっかり、自分は文章を書いたり、自分の意見を表現したりすることが好きなんだと言うことまで気づいてしまったのである。

もう、あの考えを持っていることで、抑え込んでいたり、自由に思考できないように自分で自分を縛っていたとしか思えない。

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4.そうゆうのをパラダイムシフトっていう。

アインシュタインの言ってることってそういうことなんだと思う。
「問題はそれが起こった時と同じ意識レベルでは解けない」
まさに自分は”権威主義”と言う意識のレベルから抜け出したのである。

そしたら、面白いほど全く問題じゃなくなった。
別に本に書いてあることを批判したところで、死にはしないし、
自分の意見をはっきり述べたところで死にはしない。
もちろん卒論を書かなくても死にはしないのだが、
それをきっかけによりよく生きられるようになった。

パラダイムっていうのは、「世界観」とか「認識の枠組み」とか、その時自分が信じている「思い込み」や「常識」とも言える。その自分が信じているものの意識のレベルから抜け出して、より広いものの見方へと変わっていくことがパラダイムシフトだ。

その時自分がどんなもの大切にしているのか。
何が正しい、何が尊い、何が意義のあることなのか

実はうっかりその大切にしていることが、自分を縛り、問題を生じさせていたりする。

でも、自分自身はそれが大切なものだと思ってるし、そうやって地球が回ってると思ってるから、まさかそれが問題を引き起こしているだなんて思いもしない。

でも、問題は出てくる。
その時の自分って、頭より体の方が、
「大切にしてきた枠組みではもう狭い!」
と言っているようなかんじ。


”ピンチはチャンス”の言葉通り、目の前の苦悩は次なる自分へとグレードアップする最高の機会なんだろう。


とはいえ、自分だけでは、新しい価値観を見出すというのもなかなか難しい。そこで、ひとのことでは共に互いのパラダイムシフトを促進し合う大人の学校を運営している。
興味のあるあなたの参加をお待ちしています。

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お問い合わせ
一般社団法人 クラウドナイン・エデュケーション ひとのこと
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