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”悔しい”を知ったら急に幸せになった。

こんにちは
ひろきです。

早速ですが、

俺の人生のテーマの1つに「感情を取り戻す」というのがある。
すっかり斜に構えたぎこちない笑顔しかできなかった頃から、《嬉しい》や《喜び》を知って、次に《ムカつく》とか《腹が立つ》という怒りの感情を取り戻し始めたのが1年くらい前から。

そしてつい先週仲間入りしたのが

《《《《悔しい》》》》

いやはや、どこから話したらええのかわからんけど、俺は、これまで心では《悔しい》と感じてるはずの場面で体が全く何にも感じなくなる、いわば《感情マグロ》状態に陥っていた。


自分が至らなかったことに関して
・誰かに何か指摘された時
・自分が悪いと言われてるような雰囲気(と捉えている)の時
・勇気のなさをバカにされている(と捉えている)時 
etc .……

そんな時に体が冷たい感じになって、本当に何も湧いてこなくなって、いわゆるマグロって表現がぴったりくる状態が内面で起こり、真っ白になるのだ。(品位の問題はさておき、言い心地がいいので、感情マグロと名付けた。(さっき))


そうなっている時に見かねた周りの人が
「なんか言いたいことないの?」
「わからないってことにしてるだけじゃん」
「あんたがそうやって内にこもってる間、周りは退屈よ」
といろんな言葉をかけて、変化をもたらそうとするが、その全てがカチカチに凍ったミサイルみたいな魚体に当たっては、ころっと落ちる。

みたいなことが先週は、そんなことが一週間手を替え品を替え、毎日のように続いた。
別に誰も俺のことをおとしめようなんて思ってないことはわかっちゃいるんだけど、何を言われてもなにも自分の中から湧いてこなくて、かといって、完全に問題を持っているし、乗り越える必要があるのは自分だともわかっていたから、俺も困り果てていた。

そんな時、ふと「ひろきはさあ、そういう時、悔しいんじゃないの?」と何かの時に言われたことを思い出した。

**脳内会議**

イヤダ「いや、悔しいはずないじゃん。実際何も感じないし。」
ヤマダ「いやいや、実際は悔しいなのかもしれないやん、じっくり感じてみなよ」
イヤダ「いや、そんなんいややん。どうなるかわからんし、怖いし、仮にそうだったとしたら悔しいとか感じることが悔しいやん。なんか負けたみたいやん!屈服してるみたいやん!屈辱やん!」
ヤマダ「いや、それを認めんほうがずっとかっこ悪いと思うけど、そんな俺でいるほうが悔しくない?実際そうなんだよ。勝つとか負けるとかじゃないけど、事実至らぬ点があるんだよ。それも、自分が求めるもっと度量のでかい自分と比べて。」
イヤダ「そんなこといったら、なんか俺が成長したいみたいやん!なんか理想に向かって頑張ってるみたいやん!」
ヤマダ「違うん?」
イヤダ「だってそれ認めたら、今の自分のままじゃダメって自分が認めることになるやん!そしたら、自分の愚かなところと向き合わなきゃいけなくなるやん!言い訳もできんくなるやん!全部自分のせいやん!そんなの苦しいやん!」
ヤマダ「そうだね。」
マダマダ「そうだね。」
ジャマダ「そうだね。」
マダヤダ「そうだね。」



イヤダ「そうだよねー。まあ、ねえ、、、いや、いやだー。まじいやー。あー。いや。でも。(中略)わかったよ。こんだけあらがってるってことはこれが悔しいってことなんかもしれんわ。そう思ったらなんか嗚咽(おえつ)級に胸のあたりが気持ち悪いんやけど」
ソレダ「それだよ。それが”悔しい”だよ。悔しいね。本当に。自分が今まで、そう感じてる自分をずっと閉じ込めてきたと思ったら、自分の一部を無かったことにしてたんだよ?それが一番悔しいね。」
イヤダ「本当だね。」(嗚咽。)

******


ざっくりいうとこの一連の脳内会議を経て《悔しい》を手に入れた。というか取り戻した。

今思えば、小さい頃は《悔しい》もちゃんと感じていたようには思うけど、いつのまにやら、
・その感情を感じたくない
・なんか自分に至らぬ点があるとか許せない
・自分の等身大が目標に到達してないなんて認めたくない  etc........
ばっかりに《悔しい》を奥の方に閉じ込めたらしい。
見ないようにしているだけで、本当はあるんだから抗うのは本来不自然だ。

いやはや、認める時はすげえ苦しかったんだけど、それ認めてからは、急に心が軽くなった。
例えば、これまで、悔しいを感じないようにするために、何か悔しくなりそうなことを避けたり、そういう方向に話がいかないようにするために話をそらしたりすること必要だった。
当時はそれが楽だと思ってやってたけど、一語一句ボロが出ないように気をつけたり、等身大以上を見せようと背伸びしたりするのは実はめちゃ気力と体力を使うことだったんだと今の楽さと比べて気づいた。

今は、「ええやん、思ったようにいかんかったら、それが等身大だし、悔しいって感じるなら、まだまだ向上したいって意欲があるってことやん!」
って、自分の意欲にも気づけるようになった。
そして何よりも、これまで何回も自分と周囲を困らせてきた《感情マグロ》がいなくなったのだ。
何か指摘されてもさっさと「うわー!ゆーてくれるやんー!でもたしかにそういうとこあるー。悔しいわー。」で終わる。

そして、何も感じなかったその時間の代わりに、なんと《生きてる実感》がうまれた。
人は、いろんな感情を感じるために生まれてくるのだという一節を何かの本で読んだ。
それは、決して喜びだけではなく、悲しいことや苦しいことや悔しいことも同等に。それが豊かさだし、彩のある人生なんだと、また1つ色が増えた世界を見ながら、その実感をもって噛み締めることができている今の自分に喜びが込み上げてくる。

変化することは痛みも伴う。

でも、そういう時間さえ愛おしいと感じる人生をこの先、より多くの人と共有しあっていけたらもっともっともっと幸せだと書きながら改めて思った。

今しているひとのことという事業は、講座、セミナー、コンサルティング、セッション、人に関わる総合プロデュース、そしてコミュニティづくりを通して、そんな精神の豊かさと経済の豊かさがともにある社会の実現に向けて活動している。
自分の人生がそのまま直結するこの仕事。
最近いろんなピースが集まってきている感じがして、それこそ活きのいいマグロのように、突き進んでいくんだとおもうと心が沸き立っている。

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さて、あっさり自分のこと受け入れられたかのように書いている私、ヤマダですが、こんなふうに書けるまでになったのも、たくさんの仲間の関わりがあってのことでした。
きっとヤマダと同じように、多くの人が、自分を知ったり癒したりするために誰かとの関わりを求めていることと思っています。

弊社ひとのことでは、いわゆるオンラインサロンを開設しています。あなたも、仲間と協力しながら、自分らしさを取り戻す旅に出ませんか?

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一般社団法人
クラウドナイン・エデュケーション ひとのこと
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誰かが決めた”これがいい”から、あなたの決める”ちょうどいい”へ

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