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エビやカニが教えてくれる劣等感からの脱皮の仕方。

こんにちは
ひろきです。

昨日の講座の中で、劣等感が強い人の話になった。

・「〜ない」で話す
・”理想”を追いもとめてる
・いつまでも同じことで悩んでる
・資格やアイテムを増やすことに勤しんでいる
・自分を大きく見せる
・実行力が乏しい

代表あっこの話すそんな特徴を聞いていて、アシスタントとして存在しているぼくは耳が痛くてその場から立ち去りたいほどだった。

というのも、タイムリーに自分の”実行力のなさ”について度々話題が上がっていたからだ。ブログの入稿やメッセージのやりとり、イベントの立ち上げなどやるべき仕事はあってもそれを先延ばしにしたり、無駄に時間ばかりかけてしまったりして、チームの足を引っ張っていた。

”なんでこんなにしょうもないんだろう自分”

といいながらチーンとしていたけど、その根っこの方にある原因はどうも劣等感だったことがわかったので、どんなやましさがでてくるのかと怖いけど、これを機に自分の心に向き合いたい。

そして、うっかり似た状態に陥って停滞気味なひとにとっての希望となったら幸いだ。ぜひ一緒に劣等感を手放そう。

そしてスーパーサイヤ人的仕事力を見出そう。

では行こうっ!!

1.理想を追い求める心

劣等感の全くない人はもう解脱してると思っているので、生きている皆さんの中にも、多かれ少なかれ劣等感は存在するはずだ。

劣等感についてあれこれ調べていると、ひとのことのバイブルの一つ、加藤諦三氏が書いた【「愛する能力」と「楽しむ能力」】という本の冒頭の言葉が目に止まった。

自分は何に向いているか、何が好きかということより、どの職業に権威があるかということで職業選択をする人がいる。深刻な劣等感に苦しんでいたりすると、自分は何が好きか、何に向いているのかということ関係なく栄光を求めることがある。(中略)
私たちは、どちらかというと「理想の自分」に向かう努力を高く評価する。「自己実現」よりも「栄光に満ちた理想の自分を実現しようという姿勢」を高く評価する。(中略)
「自己実現」よりも栄光に満ちた「理想の自分」を実現しようと努力する人は、あるべき「理想の自分」でなければ自分はいない方がいいとさえ感じているのである。そう感じているから、自分の価値がいつも脅かされている気がするのではないか。(中略)
そしてそのように自分の価値が脅かされているように感じる状態では、もともとの自分の能力も発揮することができない。

僕もまさに「理想の自分」というものを強く持っている。例えばブログを書くんなら、本当に納得いくまで、もうこれ以上は今の自分には無理だって思えるところまで書いてはじめて終わる。

するとどうなるか。

めっちゃ時間がかかって、その文章の旬を逃すのだ。

そのブログが何千何万という数の人々の目に届き、収益に直結するなら、話は別だろう。しかし、現段階での最善は決まった期間のうちに書きあげ、そのブログを活用して誰かとコミュニケーションをとったり、集客につなげたりすることである。

ここにも加藤氏の言葉が響く。

栄光追求タイプは完全主義である。完全主義的傾向の強い人は、ストレスが強い。完全でなければ自分の価値は保持できないと思い込んでいるからである。他人の言動が常に自分の価値を脅かしているからである。

耳は愚か首のあたりまで痛くなってきたが、本当にその通りである。

ブログを書くにあたって、自分が優先していたのはその”内容”である。残るものだから、できる限りの知恵や知識を詰め込んで、デザインや言葉尻の一つ一つを大事にすることに完全性を求めている。

その行為自体は全く悪くない。

問題なのは、その行為が劣等感からきていることで、その状況や環境に合わせて変化変容させる柔軟性を失うことである。自分の中での”完全性”という理想を叶えることで、その他のことがおろそかにされてしまうのだ。

加えて誰かに助言や指導をされれば、それが自身の完全性を削ぐものになる、からといって、落ち込んだり怒ったり投げやりになったりするからたちが悪い。一人で生きる分にはそれでも構わないが、誰かと協働協力するにあたっては致命的である。

誰かと関係を紡ぎたいのなら、自分のなかにある劣等感と向き合うのはとても重要だ。


2.劣等感はどこから生まれるのか

では、劣等感はどのようにして生まれてくるのだろう??

・他人との比較が習慣化
・完全主義で理想が高い
・成功体験が少ない
・身体的コンプレックスがある
・親からの否定
・環境があってない

ネットで調べるだけでも、こんなにあるんだ。
あなたの劣等感はどこから生まれているのだろう。

もちろん一つに絞れるものでもなく、相互に絡み合ってできているのだろうと思うが、僕の場合は自分が自分で決めていると思っていないことが大きな大きな劣等感だった。

”成功体験が少ない”のところに分類されるだろうか。

幼い頃からとても権威主義的に生きてきた。
目上の人、先生、親のレールというか枠を大切にして生きてきた。

ここまでだったら許されるだろう、印象悪くないだろう、褒められるだろう、認められるだろう。というフィルターを通して通過するものだけをチョイスして生きてきた。その結果、自分が自分の道を切り拓いてきたんだという自立心や自信、それに伴う苦やストーリー、体験が全くなかったのだ。そこに劣等感を感じていた。


たまにいるやん、もっと話聞きたくなる人。
そういう人は決まって自分だけのストーリーを持ってる。


俺が生きてる世界はこの相手だったらこうやっておけば怒られないという基準で判断することが自然になっていて、自由な自分の意見を求められると困った。そんな自分が虚しかった。

一体いつになったら自分で自分のことを決められるようになるんだろうなといつも思っていた。

しかし、それは誰かがさせてくれるものではなく、自分でするものなのだと大学の終わりに気づいた。

その時の話↓↓


それからは、自律への旅とも言えるし、劣等感と向き合う旅とも言えるだろう。
自分のストーリーに関しては、もうなんも劣等感とかないけど、今は、自分の仕事の仕方に関して、劣等感を抱いている。

だから今日のところの自分のできることを完璧にしたい、そうじゃなかったら自分に価値がないと思いこんでいて、それが自分を苦しめている。


3.劣等感と向き合う。

きっと他にもいろんな劣等感が眠っているだろう。気づかぬうちに抱いてしまっているその感情が、人間関係において問題を引き起こす事になる。
しかし、その劣等感と向き合って、克服したのなら自分を成長させる起爆剤だし、それを受け入れ、共存したのならなんら邪魔な存在ではなくなる。

自覚しないままに、その感情に苛まれて身動きが取れなくなったり潤滑にことを運べなくなっているのだとしたらその分の人生が勿体無い。

まずは、なんだかぎこちない時の自分を棚卸ししてみて、どんな劣等感が隠れているのかを見つけよう。それが、”海外にいったことがない”みたいなやらないと始まらないものなら、さっさとチケット取ってやればいい。

僕のように自分の判断に自信がないのなら、新しい何かを決めてみることを挑戦してみたらいい。


そうしたらきっと、いろんな失敗や苦しいことも起きるだろう。

それが起こるんだということも知ってなお、自分を開花させるために新しいことに挑戦するのは、かっこ悪いことでも、僕やあなたの完全性が損なわれることでもないだろう。

もしかしたら、いまの小さな僕たちが大切にしている完全性は損なわれるかもしれない。でもその新たな経験をした先の自分が今より小さいわけないだろう。

脱皮仕立てはふにゃふにゃだ。
こんな弱っちい感じになるなら脱皮しなかった方がよかったと一瞬は思うかもしれない。
でもその体に慣れ、堅く強い殻が板についてきた時、もっと広く大きな世界に生きる存在になっているとエビやカニが教えてくれている。


4.さいごに

約3200字。3時間で書くが目標だったけど、30分オーバーした。でもいつもより早い。向き合わずにネチネチと完璧目指して書いていた時より清々しい。次は絶対3時間。


ひとのことでは、ともに、脱皮を協力し合うコミュニティを作っている。
興味がある人はぜひ覗いてね。

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一般社団法人
クラウドナイン・エデュケーション ひとのこと
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