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眼鏡について(2019年2月1日ブログ記事より)

2019年2月1日ブログ記事より(2020年10月加筆修正済み)

※クレオールでライブをした同年6月、職場での眼鏡禁止がニュースになった同年10月の関連記事も追記しています。


病気によりコンタクトレンズの装用が駄目になったので、これからのライブは眼鏡着用での演奏になります。短時間であれば装用可能なのですが、ライブハウスだと最低3時間はありますから、今後、ほとんど眼鏡になるかと思います。

私が音楽大学を卒業する時、卒業式で「音楽マナー読本」という小冊子を貰いました。
音大の同窓会が発行したもので、これから社会に音楽人として出ていくにあたり、気を付けたいことをまとめた冊子なのですが、そこに「女性演奏家の眼鏡は好ましくない」というようなこと書かれており、なんで男性はOKで女性は好ましくないんだよ、と思った記憶があります。

しかし、自分が人前で演奏する仕事をはじめて、女性演奏家の眼鏡着用があらゆる現場においてほとんど見られないのが当たり前でした。男性演奏家は沢山いるのに。眼鏡で演奏している女性演奏家も、ほとんどが演奏家としてそれが許されるポジション(年齢や経歴など)にまでなっている人ばかりという状況でした。

もうそういうの、平成も終わりますし、終わりでいいんじゃないでしょうか。

元々コンタクトレンズはあまり好きではなくて、いつも眼鏡で現場に入って、リハーサル前かリハーサル終わりで1DAYのコンタクトを着用して、ライブが終わって帰る時にはコンタクトを外し眼鏡に戻して、なるべく長時間装用しないようにしていました。
それがコンタクト購入のために久々に眼科に行って検査したところ、「見たことのない状態が写っているので、処方箋は出せない。処方箋を出してコンタクト装用してその結果失明するような判断は、他のどの病院や医師でも出せない。すぐ大学病院で調べて下さい」と伝えられ、紹介状をもらって検査に行きました。そうすると、目の細胞が変形していく病気になっていて、この一年で進行してしまっていることが判明しました。現在では治療法がないので、対処としては進行を遅らすことしかなく、そのためにコンタクトレンズの装用はやめて下さいと。

困ったなあと思いました。そこで、眼鏡で演奏するということについて、しばらく考えていたんです。

私自身はもうそれなりの年数活動してきたし、眼鏡をかけたところで、女性ミュージシャンだからと見た目でライブに行ってみようかなというお客さんはもうそんなにないと思いますし、今後そう変わりはしないと思います。
ですが、それなりの年数演奏してきたから眼鏡姿に変わって納得されるよりは、もうそういう価値観古くね?と、ファックって言った方がよくね?、次の世代の女性ミュージシャンが我々の世代が声を上げなかったせいで眼鏡自主規制を続けていたら私自身の罪だなと、しっかり考えを表明して宣言して残しておこうと思って、書くことにしました。

知らず知らずのうちに、卒業の時にもらった「音楽マナー読本」が、呪いになっていたんですよ。
なんで男性はよくて、女性は好ましくないんですか? 
若いうちに読むと、そういうものなのかなと、これが社会の要請であると考えてしまうかもしれません。私はそうでした。しかし、性差で選択が狭められ、結果的に健康を害して失明したのなら、差別に演奏家生命を殺されることになりませんか。ただ女性というだけで。これは社会の方が変わっていくべきですし、実際昔とは価値観も変わってきていますから、女性演奏家の眼鏡での演奏はイレギュラーと思われることがなくなればいいなと思いますし、女性自身の自由な選択が当たり前になればいいなと強く思っています。

また、自分が疾患を抱えて改めて気付きましたが、女性演奏家自身も、女性は本番は眼鏡で演奏してはいけないと、それが当然と思っている部分があります。
この件を最初にお知らせしたのがFacebookだったのですが、その時のコメントで「私は女性演奏家が眼鏡でも気にしません」と書く男性の方が沢山いらっしゃいましたが、違うんです、気にしているのはむしろ女性自身なのです。私自身がそうでしたが、深く内面化されてしまっている、意識すらしていない常識となっていると気付きました。

皆さんのよく聴きに行くミュージシャンで、男性ミュージシャンのライヴでの眼鏡着用者の数と、女性ミュージシャンのライヴでの眼鏡着用者の数を考えてみると、女性はほとんどいないことに気付くと思います。

ではなぜ、女性演奏家が眼鏡を選ばないのでしょうか。
勿論、コアな音楽ファンの方々は、女性演奏家が眼鏡かどうかなんて気にしていません。
ただ、我々がマスに向けて「美人ヴァイオリニスト」「女性が多くて華が」「女流ピアニスト」などとずっと紹介されてきた中では、眼鏡を選択しない方が、よりお客さんに来てもらえるんじゃないかと思うのは、女性にとって当然の心理だと思います。女性は見た目も含めてが商売なのだ、と。

男性演奏家は、そういう意識をもつ人は女性よりは少ないはずです。イケメンであるべきという社会的要請が、女性より圧倒的に少ないです。実力があればそれで良いと。
実際今まで、ホテルやイベントの仕事は、リハーサル時に眼鏡をしていると「本番も眼鏡なんですか?」と聞かれたことが、何度か記憶にあります。イベンターや供給側が女性演奏家の眼鏡を嫌っているのは、否定できないでしょう。

また、最初にFacebookページにこの内容を書いた時「眼鏡もお似合いですよ」というコメントも多数頂戴しましたが、私自身はそれはありがたく受け取りますが、今回の私のメッセージ内容の反応としては、かなり違和感があります。
自分個人の話は二の次で、女性の眼鏡がイレギュラーというなんとなく醸成された社会的通念にノーというメッセージを発しているので、個人で似合うからどうこうというエクスキューズは「似合う」が特権の一つな気がするんです。
アンジェラ・アキみたいになれたらいいです。でも、それは、眼鏡を許された特権を得た女性演奏家になるということでもあると思います。市井の女性演奏家では眼鏡の人がほぼゼロで、キャリアを積んだごくごく少数の方しかいないという現実を見て、誰もが少しでも自分自身の選択をしやすい状態にすべきだと、本当に心から思うからです。男性と同じように、好きな格好で演奏できればいい。選択するのは私。

イレギュラーという空気を疑問なく作ってきたのは、女性演奏家自身でもあるんです。私も、見えない空気に気を遣って、目が乾く時も花粉症の時もコンタクトにしていました。そのおかげで、たまに眼鏡で演奏に行った時、「今日は、ここ一番の演奏機会じゃないのね」と、手を抜いているかのように言われたこともありました。
よくわからない空気のために無理をして、健康を害することのないように、そんな環境であったらいいなと思います。女性ミュージシャンの眼鏡の選択も、普通になればいいなと思います。

別に、宣言せずにしれっと眼鏡姿になっておいてもよかったんですが、若い女の子も無理してコンタクトにしなくていいよと思って、また、眼鏡をわざわざエクスキューズしなくてもいい環境になればいいなと思って、ちゃんと書きました。

私がコンタクトレンズが装用できない理由は、大学病院で検査した結果、症例の少ない先天性の細胞が壊れて戻らない疾患だったからなのですが(現状心配ご無用レベルです、ちゃんと定期的に大学病院で検査して状況チェックしています)、私は失明リスクより眼鏡を選びますし、眼鏡ライフを楽しみたいと思います。

ということで、一瞬落ち込んでましたけど、、新しい眼鏡を2本買ったりして、気分も新たにしています。
夫には「じゃあこれから全部暗譜だね」と言われました。変に同情せず、一人の人間・音楽家として尊重しあえるパートナーで良かったと心から思います。私が目が見えなくなったら、代わりにスタローン見てあげるからとも言われましたが、それは自分で見たいので、また、生涯演奏するために、これからは眼鏡で演奏します。


2019年6月に追記


今年頭に、「眼鏡について」という記事を書きました。
病気のためにこれから眼鏡で演奏します、という話だったのですが、その時、病名を書いていませんでした。
そもそも、私は病気の話、風邪を引いたとか歯が痛いとか、全くSNSなどに書かないんですけど(演奏前にエクスキューズするのは嫌なので)、少し珍しい遺伝性の病気で、現状では治療方法がなく、進行しても角膜移植以外の方法がないからということで、
・余計な心配をされたくない
・演奏の言い訳になりそうなのが嫌だ
・変な水とかスピリチュアルを勧められたくない
・心配のメールやコメントなどをもらっても、返しようがないから返さないと思う
・周りに感謝しておじさんの投稿など見たくない
などの理由から、病気の内容については書きませんでした。

病気が見つかったのは、自宅近くの眼科でコンタクトレンズ処方箋のために検査した際に、ある検査機械の時に何度も撮り直しをさせられたんです。機械の調子が悪いのかなあと思っていたら、眼科の先生に角膜内皮細胞の写真を見せられ、「何度撮り直しをしても、今まで私が見たことない状態が写っているので、大学病院で検査してもらってください」とのこと。コンタクトによる損傷の典型的な形でもなく、しかも両目とも同じ状態だったのですね。私は全く自覚症状がありません。当然の事ながら、処方箋は出せないとのことでした。

その後、角膜専門のある大学病院に行ったのですが、フックス角膜内皮ジストロフィという診断でした。難治性の病気で、日本では症例が少ないそうです。
コンタクトレンズの検診は一年ごとぐらいに行っていましたが、それまで何ともなかったのに、この一年間でかなり進行していたので、このペースで進行するのか、進行が止まるかはわからないけれど、遅かれ早かれ両目とも失明に向かいますということと、現状では角膜移植以外に治療がないのと、移植してもまた状態が悪くなる可能性が高いことを伝えられました。
まあそんなことをお医者さんに言われたら、頭真っ白になりますけども、「スマホやめるとか、生活で変えた方がいいことはありますか?」と聞いても、「遺伝子の問題なので、特に生活の状況で進行を左右することは考えられない」と。しかし、「実際に目を傷つける恐れのあるコンタクトレンズはやめましょう、それぐらいしかできることはありません」とのこと。経過をこまめにを見守って、進行したら角膜移植、ということでした。

そんなことを言われてガーンとなっている時も、私が考えていたことは「眼鏡だと仕事減るやん」ということで、お医者さんにも「コンタクトが駄目だったら私の仕事はできないかもしれない。何か方法はないか。」とか、食い下がっていました。
しかし、数日経ったら、食い下がった自分が阿呆なんじゃないかと、変えるべきは環境の方だろうと思って、一気に目が覚めたというか、これから病気で盲目になるかもしれない自分が、まさにそれまで自分の環境に盲目だったということに気付いて、あの記事を書いたわけです。

最近、パンプス=社会通念というニュースが多く出ていましたが、私は強制される仕事ではないですけども、ああいうことがきっと世の中に山ほどあるんですよ。女性自身が差別を内面化して、その中で戦っていくのが良いことだと思い込んでしまっていると、眼鏡のことを考えれば考えるほど、馬鹿げた思考をしていたなと、自分自身で気づいてしまいました。病気は進行する一方で変えられないのなら、社会や環境の方を変えていく方がいいよね、と、発言することにしたんです。

発言した結果、女性音楽家の方から沢山反響がありました。それだけで、書いた甲斐があったと思いました。現在ホテルなどで演奏している女性たちは、ホテルの現場で眼鏡は絶対無理だと思うと言っていました。私もそう思います。

そんなわけで、悪くなるしかない病気を言われても、別のエネルギーにポジティブに転換することは職業上得意なので、結局凹む時間は短く、練習も視力が落ちてきた時のことを考えて変えていってますし、演奏中の視点も意識して変えたり、来るべき変化にはちゃんとイメージができている状態でいよう、という気でやってるので、今は全くナーバスになっていません。あと、なんといっても、最終的に死に至る病気ではないですからね。

なぜ病名を書こうと思ったかと言いますと、書いておくことで上に書いたような面倒なコメントも来るでしょうが、もしかしてそちらの医療に詳しい方、装具メーカーにお勤めの方、視覚障害の支援をされている方など身近にいらっしゃるかもしれないし、学ぶことができるかもしれないからです。
ネットって地獄かよと思うことも多くありますが、たまにすごい集合知を感じることもありますものね。
この先が不安といえば不安なんですが、常に今ある所から最大限良い音楽を作るために努力すること、自分が調子悪くても周りに頼っていいこと、人の発した音をちゃんと聴くこと、自分より熟達した人が導いてくれること、自分が苦手な部分は先に頭の中でイメージを重ね、できた自分をシミュレーションしてその部分に臨むこと、いつもジャズのアンサンブルの中でやってるんで、なんとかなるんじゃないかなと、一人で溜めておかなくてもいいかなという気持ちになってるんです。

私はネガティブになる時間が今とても少なくて、それはどう考えてもジャズを学んできた結果だと思うんですよ。
昨日、神戸のクレオールで久々にライブをしましたが、マスターも健康上の理由でお店を休止した後だったし、私もホームグラウンドでリラックスしてるし、ちょっと目のことも喋ってもいいかなと思ってMCでお話ししました。クレオールとともに歩んできて良かったなと思ったし、ジャズを学んできていて本当に良かったなと、20年続けていて良かったなと、そんなことを今日話したかったんですが、全くもって上手く言えてませんでした。
またクレオールで演奏しますので、今後ともぜひよろしくお願いいたします。



2019年10月に追記


今年1月にこちらで眼鏡の話を書きましたが、最近、女性のみ眼鏡禁止の職場の話がニュースに取り上げられて、それを受けてツイッターの方に少し書いたら反響が大きく、興味深く様子を見ていました。

・私のポストはこちら


・元となったニュース記事
職場でメガネ禁止される女性たち。「まるでマネキン」受け付けから看護師まで|BUSINESS INSIDER 



メガネ禁止の職場があるなんて信じられない、女性だけにそれを押し付けるなんて、などと共感する男性の意見も沢山拝見しましたが、「メガネ女子も良いのに」と送りつけてくることについては、正直なところ全く良い気持ちはしておりません。「メガネの女性が好き」と思うことは自由ですし何の異論もありませんが、それを健康被害と不平等を訴える当事者にわざわざ表明する行動は、「社会(=男性中心社会)から見た好み」にアジャストするために結果的にメガネ禁止になり(女性側の自主規制も含め)適応してきた女性に対して、メガネ禁止を醸成してきた通念と全く同じことを表明しているにすぎないのです。

私の考えは以前のブログ記事ツイッターに書いたことに尽きますが、個人的に一番心に引っかかっていることは「私自身が自己規制に気づいていなかった」ということなんですね。この「女性演奏家は眼鏡はしないのが当たり前」を常識として自分もその空気を作る一部であったこと、全く疑問を持たなかったこと、病気にならなければ気づかなかったことに、一定の自責の思いがあるんです。
ツイッターに書いたとおり、女性だけでなく全ての個人が健康のために最善の選択ができる社会になればいいなと心から思っています。

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