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13歳で洗脳して人を好きになった挙句、恋愛感情を放棄。いまだに「好き」がなにかがわからない

「好き」がなにかがわからなかった。

人を好きになるということは、どういう状態を指すのかがわからない。
これは私の人生の永遠の問いで、いまだに答えが出ていない。

中学生の時、“人を好きになることをやめる”という選択をしたことが間違いだったのだろうか。

13歳で「人を好きにならない」と決断した

中学生以前の「好き」に意味はないと思っている。アイデンティティが確立されていないから。

幼稚園児の頃から「好きな子」とカウントした男の子は数人いたが、足が速いからとか、頭がいいからとか、大した理由はなかった。彼を構成する一側面にだけ注目して「好き」だと認定していたから、本当にその人のことを理解して好きになったのだとは言いがたい。
当時の私たちは、「好きな人がいる」「恋をしている」という状態に憧れていて、「付き合う」ということをやってみたかっただけ。

それは、中学時代に如実にあらわれる。

中学生の女子には「好きな男子」がいるのが当たり前だった。
周囲の友人にはみな「好きな男子」がいて、その子と目が合った、一緒に帰った、と些細な出来事で大げさに盛り上がった。彼女らにとって、恋バナが定番の話題だった。

13歳の私には好きな人がいなかった。
みんなには「好きな男子」がいるのに、自分にはいないのが異常だと思って、だれか適当な人を好きになろうとした。そして、もやしのように細く顔もぼやっとした、足が遅くて頭もそんなによくない、ライバルの少なそうな男子を「好き」だと言い張った。打算的に人を好きになっていた。
事実、彼を好きだという女の子の話は聞いたことがなく、同じ男の子を好きになることで生じる女子同士の闘争に巻き込まれることもなかった。

私は自分を洗脳し、彼を好きだと思い込んだ。すると、まがいなりにもドキドキしたり、嫉妬したり、人並みの恋愛感情を抱くことができた。そして次第に、その感情を鬱陶しく思うようになった。
「好きな人」の一挙手一投足に振り回されて、一喜一憂する感覚が面倒くさいと思った。自分の感情が他人に振り回されることを不快に感じ、「だったらはじめから人を好きにならなければいいじゃないか!」という恐ろしいひらめきをしてしまった。

それ以来、「人を好きにならない」という決断をし、やがて好きになる方法を忘れた。

面倒くさいと思ったから。
他人よりも、自分のことが大切だったから。
自分のために時間を割いて生きていたいと思っていたから。

まともに人を好きになることがないまま10代は過ぎ、「人を好きにならない」宣言から8年の時が経過した。

大学3年生の時に気づいた、突然の「好き」

そんな私にも、初めて自分の意志をもって「好き」だと自覚したことがあった。大学3年生に進学した時だった。

大学の英語の授業は10人程度の少人数クラスで、参加していたひとりの中国人を好きになった。
彼は法学部の学生で、司法試験の合格を目指して勉強に励んでいた。学年はひとつ下だけど、年齢は私より上だということはなにかのきっかけで知った。

好きになった瞬間もはっきりと覚えている。

英語でフリートークの時間が設けられた時、話の流れで私は、進路に悩む友人のことを話していた。なりたいものがあって、そこへの道が閉ざされて絶望していた友人のことを。
彼は私の話を聴き、自分の経験に沿って友人へアドバイスをくれた。

彼は外交官になりたくて、そのために必要な英語を習得しようと、大学はイギリスに留学したいと考えていたらしい。しかし、経済的事情で夢は絶たれた。もう外交官になれないと思い自暴自棄になりかけたが、外交官になるには、英語以外にも日本語のスキルを持っていることでなれるとわかった。

「だから僕は日本に来て、2年間働いて学費を貯めて、この大学に進学した。その友人にも、目的へたどり着くための道はひとつではないということを伝えてあげて」と彼は言った。

その瞬間だったと思う。
会ったこともない私の友人の悩みを、こんなに親身になって考えてアドバイスをくれるなんて、なんて素敵な人だろうと思った。
彼は経済的に家族に頼らず、自ら稼いだ貯蓄で生活をしていて、大学生活は朝から晩まで勉強に励む、努力の人だった。彼の努力には圧倒的に敵わないと知り、尊敬した。

はっきりと、「好きだ」と自覚した。

中学生以前の「好き」を除けば、人生で初めて人を好きになった瞬間だった。


ちなみに、この恋の結末はというと、なにもなく終わった、というのが正しい。
しょうがない。なぜなら、私の恋愛経験(?)は中学時代で止まっていたのだから。急に好きな人ができたところで、なにをどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。
ラインを交換する? ご飯に誘う? 無理無理無理無理。そんな大胆なこと、奥手な私にはできない。
21歳にもなって、アプローチの方法のひとつも知らなかった。

結局、彼には恋人がいることが判明してあきらめた。

いまだに「好き」がわからない

この今から4年前の初恋以来、私が人を好きになることはなかった。
学年が上がり、就活をし、働き始めて環境は大きく変化した。新たな出会いもたくさんあったが、だれかに「好き」という感情を抱いたことはなかった。

そんな私がマッチングアプリを始めたからといって、恋をすることが容易ではないことは想像がついていた。
事実、マッチした人と会ってしゃべってみても、特別な感情を抱くことはなかった。普通に話は盛り上がるが、あえてこの人と恋愛がしたいと感じる点がない。

「好きです」

初めて会った日にそう伝えてくれた人もいた。
一度しか会ったことがないのに、どうしてそんな簡単に人を好きになれるのだろう。私のなにを知っているというのだろう。どうしてよく知りもしない人に「好き」だなんて言えるのだろう。
そんなひねくれた思考すら生じた。

かつて好きになった人とはなにが違ったのだろうか。

ドキドキしない感じ? 
ものすごく尊敬する点がないこと? 
また会いたいと思わないから?

好きになった中国人は、太ったのび太くんのような見た目をしていた。背が高くて大きいからクマさんみたいで、眉毛は薄く、鼻の下が長い、凹凸の少ない顔立ちをしていて、額の生え際は若くして後退しかけていた。
特別ビジュアルに魅力を感じて好きになったわけではない。

マッチングアプリで会った彼らはちゃんと仕事をしている人で、特別欠点もなく、年齢も近くて趣味の話も合う人たちだった。なのに、「好き」にはならなかった。

私が人を好きになるのに必要な要素はなに?
なにが揃えば好きだと思えるの?

人との交流を深めるほど謎は深まり、結局答えはわからないままだった。

もう、人を好きになることなんてできないんじゃないか。
友人の言うように、一生ひとりで生きていくしかないのではないか。
ノリでマッチングアプリを始めてみたものの、うまくいくような未来が見えない。もう、やめてしまおうか。

諦めかけていた時だった。
それはまさに青天の霹靂。

アプリ開始から1か月が経過した7月下旬、私は人生で二度目の恋をした。

<つづく>

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