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恋の魔法にかけられた喜びから一転、片思いは玉砕し、やがて連絡が途絶えた

坂元裕二さん脚本のドラマ『カルテット』にこんなセリフがある。

好きな人には好きって言わずに会いたいって言うでしょ?

会いたいという感情は、「好き」を意味するのだろうか。

会いたい。すごく会いたい。もう一度、彼と話がしたい。
多くは望まない。ただそれだけを願っていた。


心が浮き立つ、恋とは「魔法」だ

彼と会った日から1週間が経過してなお、あの日のことが鮮明に思い起こされるのは、それだけ彼に魅了されていたからなのだと思う。
強烈に惹かれるものがあった。それは、恐ろしいほどの聡明さかもしれないし、くるりとしたまつ毛を携えた印象的な目元だったのかもしれないし、スマートな立ち居振る舞い、クロヒョウのようにしなやかな身体、黒と赤のみで配色された服装、時間を惜しむように歩みを進める歩行速度・・・列挙すればいくらでも出てくる、彼を構成する要素のすべてに魅了されていた。
気づけば彼のことを思い出し、「あ、いいなー」とぼんやり思うのだった。

正直、彼に対する想いが恋愛感情なのかはわからない。
会いたいと思う。会って話したいと思うが、キスしたいとか、ハグしたいとか、そういう感情はなかった。
ただ話がしたかった。あの聡明な頭脳ともう一度、会話してみたかった。

圧倒的に敵わない頭脳を持っている人だったから、会話をしているだけで未知の世界に触れているような感覚になった。
私にとって彼は宇宙だった。多くの知識、思想、価値観を得られる、彼の存在そのものが私の知的好奇心を刺激した。

彼を好きだと自覚するには、もうそれだけで十分だった。

4年ぶりの恋だった。心が浮き立つような高揚感がある。
ソワソワして、ドキドキして、LINEの返事に膨大な時間をかけて頭を悩ませて、返事を待つ時間が恐ろしく長く感じて、友人に「恋をした!」と告げてまわって、仕事中でもマスクの下でニヤニヤが止まらなくて、たぶんいつもより仕事の出来が悪くなったりした。でもそんなことはどうでもよかった。だって、私は恋をしたのだから!

恋。

それは春の息吹のごとく、私の胸をときめかせる。ビル群に囲まれた見慣れた帰路も、代わり映えのない地下鉄の車窓も、いつもとは違う鮮やかさをおびている。いままで灰色に見えていた世界が一斉に色を手に入れた。上司の小言も小鳥のさえずりに聴こえ、美しい春の訪れを全身で待ちわびているような、体中が潤いで満ち溢れた感覚。まるで魔法にかけられたかのよう。

「好きな人がいる」

その事実が私の人生を豊かにしていた。なんなら、もうそれだけで十分だった。この先、付き合うことなど考えていなかった。ただ彼と会って話がしたかった。

しかし、人生とは不都合なもので、男女を恋愛の形に収めたがる。ましてやマッチングアプリで出会ったもの同士、恋人関係を望んでいることを前提としているのは明らか。
付き合うか、さよならか。どちらかを選択する必要があった。

彼と会えなくなるなんて嫌だ。こんなに心奪われる人に出会えた奇跡を絶対に逃したくない。
では、いったいどうすればいいのだろう。


「好き」って伝えるのって、全然簡単じゃない

かつて一度だけ人を好きになった時、今度好きな人ができたら自分から想いを伝えようと考えていたけれど、そんなこと実際には困難だと気づいた。
私は自分の気持ちに正直に生きている性格だから、好きなものを好きだと言うことなんて簡単だと思っていたが、その考えは恐ろしく甘かった。

ムーミンが好き。ミスチルが好き。枝豆が好き。

それらを言うことが簡単なのは、相手に感情がないからだ。いや、あるのだが、私に対する反応が返ってくることがないからだ。
だけど人を好きになることは違う。私が「好き」と言うと、大抵の場合はそれに対する反応がある。彼は私のことをどう思っているのだろう。嫌われていたらどうしよう。「会いたい」なんて言って、向こうは会いたくないと思っていたら負担になるんじゃないか。
そんなことを考えていると、死にたくなるくらいしんどかった。

相手の気持ちがはかり知れないのが怖くて、「好き」なんて言うことができない。「好き」って言うのって、全然簡単なんかじゃなかった。

私の勇気は玉砕し、連絡が途絶えた

毎朝、目を覚ますと真っ先にMr.Childrenの『常套句』が脳内に再生された。

君に会いたい

ただそれだけの歌詞。まさにその常套句を繰り返すこの歌が、今の心をあらわすのに最も効果的な表現だと知った。目覚めてから眠りにつくまでの間、意識のあるうちは「彼に会いたい」とばかり考えていた。

今なにをしているだろう。私のことをどう思っているだろう。
話したい。知りたい。触れたい。

耐えられないくらい身もだえする体を抱きしめて、心を落ち着かせることしかできない。


しかし、募る想いとは裏腹に、事態は芳しくない方向へと進んでいた。
彼と会ったあの日以来、LINEの返信速度が遅くなったと感じた。

嫌われたのかもしれない。もし私に興味があったら、今度会おうと言ったり、LINEをもっと頻繁にしたり、きっと努力をするだろう。

いくら待っても、次の誘いは来なかった。このままフェードアウトしていくのかと思うと焦って、なにかアクションを起こさなければと思った。
しかし、人生で一度しか人を好きになったことがない私に、なにをすればいいのかなど想像もつかなかった。


人は困難に陥った時、信頼できる友のありがたみを知る。特に自分が苦手な分野に足を踏み入れた場合、経験者の助言ほど頼りになるものはない。

「好きな人ができたかもしれない」
そう告げられた友人は、4年ぶりの私の恋のしらせに歓声をあげた。次いで「でも、どうやって伝えたらいいかわからない」というと、私の引き出しには存在しなかったワードを与えてくれた。

「そういう時は、『声が聴きたい』って言えばいいんだよ」

雷に打たれたような衝撃があった。
そうか、世の中の男女はそうやって甘い言葉を囁きあっているのか、と感嘆した。
しかし、この恋愛偏差値の低すぎる人間にとって「声が聴きたい」なんてセリフは、ほとんど告白と同意だった。私は人生で一度も告白をしたことがない。(今まで好きになった人はひとりしかいなかった&その人には彼女がいて諦めたから)
一世一代の賭けだった。「会いたい」という意思を示さないと、次への発展は望めないだろう。しかし、そう伝えて拒否された時、生きていられる自信がない。他人に自分の好意が受け入れられない恐怖を初めて感じた。結局、自分が傷つくのが怖い。

進展か、自己防衛か。

それでも、友人に言われた通りにLINEを送ることを選んだのは、いつまでも恋愛に踏み出せない自分の成長を願ってのことだったと思う。

ここでLINEをしなかったら、このまま彼とのLINEが途絶えたら、私はなにも変われない。今までと同じ、かわいい自分を守るために傷つくことをさけて、片思いをキレイな形のまま思い出にしてしまう。

もう嫌なんだ。そうやって臆病な自分を守る手段ばかり選ぶ人生は嫌なんだ。その先にあるかもしれない幸福に飛び込むことを踏みとどまる、そんな人生はもう嫌だ。

傷つきなさい。好きな人に気持ちを受け入れられない悲しみに溺れなさい。
それでも私が幸福のために行動したという勇気は、決して消えることはないのだから。

腹をくくって送信ボタンを押した。

「声が聴きたい」なんて漫画でしか聞いたことがないセリフだけど、私だったら絶対に落ちると思った。恥ずかしさのあまり、送信後にスマホを握りしめたまましばらく赤面していたのだが、彼は私の羞恥などまるで意に介さないかのような、不思議な返信をしてきた。肩透かしを食らった私は、食い下がってみたものの華麗にかわされ、気づけば「いま仕事が忙しいから、余裕がある時に」と言われた。

拒絶されたと感じた。「仕事が忙しい」なんて、物事を断るのに最も便利な言葉ではないか。
別の友人に相談すると「どんなに忙しくても、興味のある相手だったら時間を作って電話するでしょう」と言われた。
「もう自分でも気づいてるんじゃない? 諦めて次を探しましょう」
彼女の言葉を聞いて、嗚咽しそうになった。

物分かりのいい女のフリをして「仕事が落ち着いたら連絡してね」と返事をした。

LINEの会話が滞る。返事が来ないということが、こんなにストレスになるとは知らなかった。
1日1リターンしか進まない会話。返事をするのが億劫なら、いっそ無視してくれればいいのに。返事を待つのがこんなにツラいなら、はじめからLINEなんてしたくはなかった。

その後も彼は核心には一切触れず、私の好意に気づかないフリをして、2日に1回のペースで返信を寄こすようになり、やがて連絡が途絶えた。

8月半ばのことだった。


<つづく>


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