30代最後に、50歳の夢をみている
こんにちは、高塚アカネです。
なんで今なんだろうな、と思えてならないんですが、最近本当に、「わたしはどうなりたいんだ」と自問自答する日々が続いています。
正直に書きますと、「今の暮らしに満足か?」…と、なんでしょうね、「鋼の錬金術師」に出てくるキャラクターみたいな(;'∀')?世の理的な?(笑)問いかけが、常に自分の中にあるというのか…。
ただ、その「今の暮らしは満足?」と聞いてくる「私の中にある真理」みたいなキャラは、なんでしょうか、いうなれば、「夜のスナックのママ」みたいではあります。(;'∀')
闇落ちしていた過去を実感する
「ねぇ、今の暮らしでいいの?」と聞いてくるキャラが、なんで「夜のスナック」風になっていったのかを告白しますと、
高塚、闇落ち期間が異様に長かったんです(;'∀')
高塚は昔、本当に享楽主義というのか。その日が楽しければ、よかった、というか。何に「楽しみ」を求めたかと言うと、「夜の酒場」だったんですよね(;'∀')
仕事がたとえ、夜22時を過ぎての退社になったとて、22時~なら終電まで行ける!と、2時間の余裕を見て、ひとり酒場に繰り出す生活をしておりました。
その2時間は、ただバカ騒ぎをするわけではありませんでした!(;'∀')
お酒を傾けながら本を読んだり、店内にかかっている音楽にひたったり。
1日の終わりに脱力する時間が欲しかった、とか。そういう気持ちで、お酒に逃げていたところがあったのかな、とは思います。
仕事はがまんするものだ、みたいな頭もありました。そのストレスのはけ口はすべて、酒と飲食に向かって行ったような気がします。
先般のnoteで、高塚は15年の会社員生活で、おそらく堅実に暮らせば、1000万円は手元に残っただろうお金が、一切残っていないことを告白いたしました(;'∀')
およそ15年、確かに思い出しますが、晩酌は毎日でした。酒と美食の代償が、あまりにも大きかった…( ;∀;)<1000万よ、アカネ。
ただ、そういう生活から一変して、1年前。私は一切のお酒をやめることになりました。そして最近私の中に生まれたキャラが、「夜の酒場」で出会ってきた、スナックのママ風の「さとりキャラ」です。
私の中に「スナックのママ」がいる
何人か、親しかったお店の店長、という存在はいるんですが、その多くの方々が、「生活のためにやっているのよ」と本気で言う人々だったことを覚えています。
働かないと生活できないからやっているのよ。と力強く言ってくれるママたちに、私はそのころ「そっか~私はお酒飲むために働いているかもな~」…なんて、正直へらへらとしていた、お気楽ものだったと思います。
ママたちはプロですから、「いいわね気楽で」とは、一切言いませんでした。将来わかるわよ、と言わんばかりの包容力で、お酒を飲みぼやく私の話し相手になってくれたママたちがそこにはおりました。
ただ。
今だから思うんですが、というか、私がそのママたちの年齢に近くなってきたからだと思うんですが。
今私の中に「スナックのママ」がいる、と思っているのは、高塚が昔のことを頻繁に思い出すからだと思えてなりません(;'∀')
昔の高塚を傍目に見て、自分で自分を突っ込んでしまうんですよね。「アンタどうなりたいのよ」と。
夜、酒場にふける私は、「成長する」というよりも、闇の底に沈むような、そういう気分に浸りたがっていたんですね(;'∀')
一回沈んで、また浮上して、また沈んで…。
本当、潜水を繰り返すような「闇落ち・高塚」を過去に認めるからですが、「アンタ本当どうなりたいの」…と、今になって自問自答するんだと思います。
今、スナックのママに話しかけるように
お酒をやめて、無茶苦茶な徹夜仕事などもやめて、今は暮らしがだいぶ規律正しくなってきたように思います。
その結果として「クレジットカードの請求額が0だった」というような、金銭感覚の整いも、感じるところとなっています。
そういう期間に入ったため、だいぶ高塚、冷静に物事を見られるようになりました。
人生をやりなおすつもりで、今を0のスタートラインとしてみた時に、ですが、
【過去の高塚がお金をかけて得たもの】
人生の先輩との会話・美味しいものに出会う経験・子ども時代に味わえなかった刺激
そういうものを、手元に僅かも残っていない1000万をかけて、得たんだろうな。…と、思い直すようにしました。
その経験は、ある種、高塚の精神年齢を押し上げたような気はします。若いころから人生の先輩と会話をしておりましたので、
・こういう人がいた
・こういう人はこういう暮らしだった
…と、そういうことを学んだ、と思うと、かけがえはなかった。と思えるところとなっています。
今、実は高塚、見ている本が「50歳からのシンプルライフ」という本だったりします。高塚、30代後半なんですが、今不思議と、50歳に照準をあてた本が、肌に合うんです(;'∀')
今私の中にいる架空のママに話しかけるような思いでこのnoteを書いているんですが、
「若いころに学んだ経験で、いったん私は「中間ゴール」をしたらしいよ」
「1回ゴールして、また1から始める生活は、こういう生活がしたいよ」
本当に50歳になったときには、暮らしの達人になっているんじゃないかな。
そうぼんやり思えるからですが、「よりよい暮らし」のために、もう少しビジョンをはっきりさせていきたいな、と考えている、今です。
◆ ◆
ここまでお読みくださり誠にありがとうございます。いただいたサポートはnoteの活動に役立てます。クリエイターとして独り立ちする日を夢見て、今後も活動してまいります。日頃のご支援、本当に感謝しております!