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映画を英語でレビュー#41 ウインド・リバー Wind River (2017)

ネイティブアメリカンの女性達の不幸な現実からアメリカの社会問題を見る


1人の女性が雪山を裸足で走り亡くなるところから始まる

映画は、暗闇の中、一人の女性が裸足で逃げているシーンから始まります。
彼女の周りは一面真っ白な雪。
そして彼女は何かから逃げるように必死で走りますが、ついに力尽きて倒れてしまいます。

場面は変わり、主人公のコーリーはハンターとして野生の動物を狩っています。彼には一人息子と疎遠な雰囲気の妻がいます。コーリーはいわゆる白人ですが、奥さんはネイティブアメリカンです。そして彼らの会話からどうやら彼らには娘がいることが分かるのですが、娘は登場しません。

コーリーは義父に頼まれ家畜を殺した動物を狩りに出かけますが、その時に冒頭の少女の死体を発見します。警察ではないコーリーは地元の警察を呼びますが、状況から少女は何者かに性的暴行を受けその結果死んだ可能性、つまり他殺の可能性があることからFBIが登場します。

ここからFBIと地元のネイティブアメリカンの警察署長、ベン、そして第一発見者であるコーリーによる犯人探しが始まります。

被害者の少女はコーリーの友人の娘であり、コーリーの娘の親友、ナタリーでした。
そして捜査の推理の過程で観客は、そのコーリーの娘は実は何年か前に亡くなっていることを知ります。連続して起きるネイティブアメリカンの少女の殺人事件(コーリーの娘に関しては他殺を含め詳しい死因は不明のままです)。

状況が状況なだけに他人事とは思えないコーリーは、まるで自分の娘の死の真実を暴くかのように、犯人探しに没頭していきます。
そして、ナタリーの死の悲しすぎる真実を知ることになります。

同じアメリカ人でありながら行方不明者として見られない現実

映画の最後にある文章が現れます。
そこには、アメリカ国内の行方不明者の統計には、ネイティブアメリカンの女性は含まれていない、という驚愕の事実が書かれていました。つまり、何人のネイティブアメリカンの女性たちが、誘拐、性的暴行、殺人の被害者になっているのかがわからない、ということです。

同じアメリカ人なのに、被害者として数えられない、という事実に、この映画を見終わった私はとても悲しくなりました。
それだけ、アメリカではネイティブアメリカンに対しての根強い差別が残っており、この理不尽な現実を世に訴えるためにこの映画は作られたのかな、と思いました。

私がアメリカに留学していたころ、近くにネイティブアメリカンが運営しているカジノ、Chumash Casino Resort(チュマッシュ・カジノ・リゾート)がありました。私も行く予定でしたが、IDを持っていくのを忘れたため入れなかった、という苦い思い出のある場所ですが、アメリカのカジノはネイティブ・アメリカンが運営しているイメージです。

この映画では、ネイティブアメリカンは白人たちに、ウインド・リバーのような誰も住みたがらない場所に追いやられ、まともな仕事にもつけない、という描写がありましたが、ネイティブアメリカンの財政は確かに、他の人種に比べ悪いです。それだけ、差別が根強いんですね。

ネイティブアメリカンが描かれている映画は他にもたくさんあり、私がお勧めするのは、レオナルド・ディカプリオがオスカーを受賞した、「レヴェナント 蘇えりし者」、そして、若く美しいブラッド・ピットが出演している「リバー・ランズ・スルー・イット」です。
どちらもネイティブアメリカンがメインの話ではありませんが、彼らに対する根強い差別が描かれています。

「差別」は英語でなんて言う?

今回の映画ではネイティブアメリカンに対する不当な扱い、差別が描かれていますが、この「差別」を表す表現が英語でいくつかありますので、ご紹介します。

discrimination 特定の人やグループをほかの人・グループと比較して不当に扱うこと (動詞はdiscriminate)

prejudice 偏見 (有名なジェイン・オースティンの「高慢と偏見」の原題である Pride and Prejudice で聞いたことがあるかもしれません)

stereotype 偏見 
prejudiceはより差別的な偏見で使われるのに対し、stereotypeは特定     のグループに対して広く共有されている単純化された考えを表します。
例えば、アメリカ人から見たステレオタイプな日本人は、
毎日3食、ご飯とみそ汁を食べる、
ですが、今の日本では普通に朝ご飯はパン派の人もたくさんいますよね。

racism 人種差別
raceは「人種」
特定の人種に対する不当な差別を表します。
アメリカほどではないにせよ、日本国内でもracismな考えが見られることがあり残念です。

日本人としてアメリカに住んでいたときは、多かれ少なかれ、discrimination, stereotype, racismを体感することはありました。
そんな時はムキになって反発するのではなく、気にしないようにしていました。アメリカ人とけんかしても英語で勝てる自信がありませんでしたし、そんな人たちと同じ土俵に立つ必要もないと思っていましたので。
それに、アメリカには、人種関係なく一人の人間として受け入れてくれる素晴らしい人たちもたくさんいましたので、彼らとの交流を大事にしていました。

この記事を読んでいる人でアメリカに行くことを考えている人がいましたら、絶対に日本人としての誇りを忘れずに、日本人としてのアイデンティティーを大事にアメリカ生活を楽しんでほしいと思います。
きっと素敵な出会いが待っていますよ!



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