短編ミステリー>小説家と魔法使い
こんなに悩み苦しむのならば、そもそも私は小説家になどなるべきではなかったのだー。
束ねていた長くて黒い髪をバサリと解いて左右に揺らしてから、藤田操は細い煙草を銜えた。
その人差し指が青くキラキラした鱗に覆われている様子を見て、更に気分が悪くなる。「チッ」思わず舌打ちをして、あの日の事を思い出した。
【魔法にかけられた】あの日の事をだ。
魔法使いと言えば、幼いころから見たり読んだりしていたような”あの”お馴染みの一見悪そうな姿が思い浮かぶが、”その男”は、誰にも害を与えずあまり気にも留められそうもない平凡な風貌で、操の”彼氏”でもあった。3年も付き合っていたのに、おかしいと感じたことは只の一度も、微塵も、なく、むしろ優しすぎて物足りないかな、と思うほどであった。
のに…
「ねぇ優斗、もしも、叶えたい願いが全て叶ったとしたら、どうなると思う?」
「どうって?」
「私ね、ふっと思ったのよ。もしも朝起きて、叶えたい望みが全て叶ってた状態だったら…例えば、理想のキッチンに理想のお庭、理想の車に理想のペット、まぁ、とにかく全部よ。全部叶っていたとして、それでも私はまだ小説を書いているのかしらね」
「うーん。どうだろうね。そればっかりはキミじゃなきゃわからないな。もしも僕だったら…僕だったら、それでも書いていると思うよ。全てを手に入れたせいで創作意欲がなくなるの?」
「そうね…私にだってわからないわ。ただ…渇き…、みたいなものがあるから言葉が出てきているような気もするし…そう、そうなのよ、そうゆう、”実際身に起きてみないとわからない”ことを想像して言葉にするって、凄く難しいのよね。ファンタジーならまだしも、リアルとして考えれば考えるほど、難しくなっちゃう」
「…そっか。一度、試してみる?」
「…は?なに言って…」
「僕だったら叶えられるよ。操の望み、全部」
「ふっ…ふふふ。だからなに言ってるの。急にそんな冗談言っちゃって。めずらしいね、笑っちゃう」
「叶えてあげようか。ただ一つだけ聞いてもいい?」
「ええどーぞ、叶えてくれるならなんでも聞いて。なんでも答えちゃう」
「僕の事、愛してる?」
「…え…なに言ってるの。ふふ。ほんとに変な事言うね。どうしちゃったの?愛してるに決まってるじゃない。じゃないと三年もずっと喧嘩もほとんどしないで一緒にいれない。愛してない男のパンツなんて洗えると思う?」
「そっか。本当だね。じゃあ、今から叶えてあげるよ。気が済むまで堪能したら、また全てが元通りになるように、僕が解いてあげるから。解いて欲しくないっていうなら、ずっとそのままで…」
「はいはーい、はい、どーぞ!かけてかけて!…………………」
ー操が目を覚ますと、世界は一変していた。
小さくしたお城のような家、水色の宝石で造られたキッチン、熊のように大きな猫、妖精が飛び回り、水路がたくさんある緑に溢れた庭ー。
「ゆ、優斗…!優斗!!!あなた、魔法使いだったの!!?凄いじゃない!私感動しちゃったぁ…」
「優斗?」
「どこにいるの?優斗!」
「ねぇ、いったいどこに…」
そんなに広くはない家の中をくまなく探しても、優斗の姿はなく、声も聞こえなかった。操は不思議に思い、玄関の戸を開けた瞬間………
「ひっ!!!」
何もない、真っ黒な空間が、そこには広がっていた。
落ちそうになった右足をすかさず引っこめると、ドアに思わずしがみつき、そのままへたへたとその場へしゃがみ込む。
「こ…これ…はどうゆうこ…と?」
急激に乾いた口の中で僅かな唾をこくんと呑むと、這いずりながら部屋へと向かった。
鳥の絵が描かれた大きなドアを開けると、そこは書斎のようだった。
それも夢に描いていた小説を書くための部屋そのままだった。
震えが止まらない体をゆっくりと立たせ、猫の腹のように柔らかい椅子に手をかけ、机の上をみると、
ー操へー
と書かれた手紙が目に入った。
ー操へー
僕は初めて人を愛した。心から、愛してる。
でもキミは…?
キミは、僕と同じくらい、僕の事を愛しているのかな?
僕はキミがいない世界なんて耐えられない。
キミは?
キミは僕のいない世界は耐えられない?
僕は同じくらい愛してほしい。
キミにも、僕と同じように僕を想っていて欲しい。
そんな想いが日に日に膨らんでいって、
キミの愛を確かめたいとずっと思っていた。
もしも今、この手紙を読んでいるのなら、
僕は消えたということになる。
さようなら操、永遠にー。
操は不思議に思った。
優斗の事は消えてほしいなど思ったことは一度もなかったし、本当に心から愛していた。
では何故消えてしまったのかー。
「あ………」
そう、一瞬、ほんの一瞬だけ、今から願いを叶えると言われた瞬間。
ほんのその数秒の間に、
「………うぅ………」
操は望んでしまったのだ。
自分を愛する者など一人もいない、まるで孤独な世界をー。
「私は望んでしまった…選んでしまったんだ…枯渇から…産み出される魔物を…!」
優斗は恐らくわかっていたのだ。私が結局何を選ぶのか…だから賭けに出たのだ。
これは…彼の自殺だ。
操はもう一度髪をゴムで縛ると灰皿に煙草を押し付けてからペンを持った。
それから、キャラメル箱のような小さなテレビのスイッチを入れた。
ー藤田操の「エキセントリック」がまたもや賞を受賞する期待が高まってきました。もしもこの賞を受賞すれば3冠を果たす事となり、初の快挙とー
「おめでとうみさお、はくしゅはくしゅ」
赤いガーベラが祝福し、手を叩いた。
操が今どこにいるのかは、誰も知らない。
「ありがと。すっかり私はー」
”実体のない小説家”として、彼女はこれからも、書き続ける。
「魔物になってしまった」
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