#67. 言いあやまりんよ、永遠に
好むと好まざるにかかわらず、生きているかぎりぼくらは必ず、なんらかの言葉を言い誤る。
母語であろうが外国語だろうが、言い間違いをせず一生を終える人などそういない。人間は永遠に言い誤るのだ。
むかし、日本語を勉強しているスペイン人の子と知り合って、しばらくしてから忘年会のお酒の席で再会した。
「最近日本語の勉強どう?」と聞いたら「かなりいい感じだよ」と清々しい顔。まえはよく「漢字が苦手」と嘆いていたから、よっぽど勉強したんだなあと感心した。「へ~すごいじゃん」
彼女は得意な表情になってテーブルの上の缶を手に取り、「これは『こおりむすび』でしょ?」と言ってぼくの顔まで近づける。
そのときぼくの目の前にあったのはたしかに、缶チューハイの「氷結」だった。
◇
言い誤るのは日本語を勉強している人だけではない。日本語ネイティヴだってバンバン日本語を言い間違える。
先日、辞書編纂者の飯間弘明さんが Twitter にて「言いあやまりん」キャンペーンと称し、フォロワーに向けて「あなたの『言い誤り』」を募集した。
期間中には 700 件以上の「言いあやまりん」が集まったらしく、YouTube にて、とくに面白い言い誤りを取り上げて話す、解説動画がアップされた。
個人的には、いちばん始めに紹介された、「正露丸 糖衣 A 」を「正露丸 Oh Yeah!! 」だと思っていたという話がツボだったのだが、
自分もむかし、「仮面ライダー・クウガ」という番組のオープニング曲にあった「誇りのエナジー」という歌詞をずっと「埃のエナジー」だと思って口ずさんでいて、その度に「部屋の隅っことかにあるホコリからエネルギーをもらうなんて、クウガは変なヒーローだなあ」と思っていたのを思い出した。
(バカも休み休み yeah! )
動画最後の「そうとも言う」のコーナーもなかなか見ごたえがあり、「『御用達』をずっと、『ごようたし』でなく『ごようたつ』という風に読んでいた」というツイートがあったが、
辞書を見てみると「実はそのどちらの言い方もある」と書いてあるそうだ。
自分ももし「ごようたつ」と言っている人に出会ったら「うわ、このひと漢字を読み間違えてるな」と思ってしまうだろうから、このことはしっかり覚えておかなければと思った。
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それでは英語はどうだろうか。
英語はつづりと発音の乖離が激しい言語なので、「言いあやまりん」をあげようと思うとキリが無くなってしまうのだけれど、「そうとも言う」の例であれば数が少ないので幾分あげやすい。
たとえば、「〔考え・認識などが〕大間違いだ,考え直した方がいい」ということを表す慣用表現として、"have (got) another think coming" と "have (got) another thing coming" という 2 つの言い方がある。わかりづらいが、think と thing のところが違う。
If you think I'm going to pay for everything, you've got another think coming.
あなた、わたしが全部払うと思ってるんなら、それは大間違いなんだからね。
これはもともと、"another think coming" の方が正規表現で、「もしあなたがそういう考え(think)を持っているんなら、別の考え(another think)があなたのところにやってきますよ」ということで「あなたは間違えている」という意味になったと思われるのだが、
"think coming" が発音されるとき、think の最後にある "k" は coming の頭にある "c" と同化して発音されないために、これを聞いた人々が "thing coming" だろうと勝手に解釈をしてできたのが "another thing coming" である。
ただこれらはすでに、どちらも一般的に使われていて、最近ではむしろ "another thing coming" の方が Google で多くヒットするらしい。
こうなってくると、「そっちはダメです。使えません」と言う権利はだれにもなく、誤用が正用へと変わっていく。
いずれは think の方が先だということもすっかり忘れ去られてしまい、「 thing が正用、think は誤用」などという風に状況が逆転するということも、ないとは言えない。
人は言い誤りを避けられないし、いずれその言い間違いが正用に変わることもあるから、英語だろうが日本語だろうが「言いあやまりん」は実は愛すべき対象なのかもしれない。
◇
さて、冒頭で他人の恥をさらしたのだから、最後に自分の恥もさらそう。
書店でアルバイトをしていた大学生のとき、目の前の「訃報(フホウ)」という文字を読めないでいた 4 つくらい下の後輩の子に「それは『トホウ』だよ」と言ったことがある。
その子は「あれ?『フホウ』じゃなかったでしたっけ」と、丁寧に確認までしてくれたのに、それを押し切って「いや『トホウ』でしょ」などとホザいていたぼく。
ただの言い間違えならまだしも、この例は明らかに「言」のとなりにある「ト」につられて「トホウ」読んでしまった感がありとても恥ずかしい。
こうしていくつも「言いあやまりん」という黒歴史を残しつつ、ぼくは一生を終えていくんだろうな。
なんだか悲しくなってきた。やけ酒しようと思うので、だれか「こおりむすび」を買ってきてください。