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#42. 日英語、耳に心地のいいリズム


ヒトの言葉を考えるとき、音と文字なら、きっと「音」の方がより重要である。

というのも、ヒトは文字が生まれるよりもずっと前から、音だけでコミュニケーションをとってきた。

日本語は、漢字が入ってくる 4 世紀ごろまで文字を持ってはいなかったのだし、英語にしても、文字体系が入ってきたのはようやく 5 世紀になってから。世界を見れば、いまだに文字を持たない言語もたくさんあるのだ。

そういった歴史の長さがあるからか、日本語にしても英語にしても、「音」の要素が重要視されているなとわかる現象がいくつかある。

今日はそれらを日本語と英語から一つずつ紹介しようと思う。


■ 日本語の愛するリズム「七五調」


日本人にとってなんとなく心地のいいリズムといえば、俳句や川柳に代表される「七五調」がひとつ挙げられる。

普段はあまり意識しないかもしれないが、日常で目にする「なんとなく耳触りのいいキャッチコピー」とか「無理せずに記憶に残る商品名」というのは、注意してみるとこの七五調に当てはまっていることが多い。

(※ちなみに上の「」でくくった 2 つの文も五七五である)

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(これはもう、梅酒というより、チョーヤです)

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(牛肉の、旨味豊かな、ミートパイ)

また Twitter では、「#n575」( =natural 575 ) というハッシュタグで、「意図せず自然に 575 になってしまった(のであろう)言葉」の数々がたくさんツイートされている:

それから、一部を除いて曲中にある歌詞すべてが 575 のリズムで進んでいく Perfume の『575』という曲も数年前にリリースされた:

聴いてみてすぐにわかる通り、とくに注意して聴いていなくても、五七五のリズムのおかげか、歌詞がスーッと入ってくるように思われる。

幼いころから俳句や短歌、古文漢文などを読んだり聞いたりする中で、日本人の感覚にこの七五調のリズムが、実に根深く組み込まれている証拠だろう。


■ 英語が愛してやまない「ライム」


「五七五」に響きのよさを感じる日本語に対し、英語は「ライム」(rhyme) をこよなく愛す印象がある。

「韻を踏む」とか「ライム」というと、日本語の場合ラップのような音楽がすぐにイメージされるが、英語の場合、ヒップホップ以外の曲でも、ちゃんとしっかり韻を踏む。

ためしに、ロックと EDM から一つずつ例を挙げてみよう。

1. American Idiot / Green Day

Don't wanna be an American idiot
Don't want a nation under the new mania
And can you hear the sound of hysteria?
The subliminal mind-fuck America

まず冒頭は idiot(イディアッ)、mania(メイニア)、hysteria(ヒステリア)、America(アメリカ)と続き、「イア」という音で踏んでいるのがわかる。

Welcome to a new kind of tension
All across the alien nation
Where everything isn't meant to be okay
Television dreams of tomorrow
We're not the ones who're meant to follow
For that's enough to argue

サビについても同様で、まずは tension(テンション)と nation(ネイション)、次に tomorrow(トゥモロウ)と follow(フォロウ)で、それぞれ音をそろえている。

日本人的な感覚で言えば、ロックミュージックはヒップホップとは対極にあり、韻など一切踏まないような印象があるが、ここは英語。ロックであろうがジャンルを問わず、ライムはやはり、一定の間隔で踏むのが通例なのである。

2. Break Free ft. Zedd / Ariana Grande

If you want it, take it     [A]
I should've said it before     [B]
Tried to hide it, fake it     [A]
I can't pretend anymore     [B]

さきほどの例とは違って、この歌詞では奇数行(take it / fake it)と偶数行(before / anymore)がペアになっている。

I only wanna die alive    [A]
Never by the hands of a broken heart     [B]
I don't wanna hear you lie tonight     [A]
Now that I've become who I really are     [B]

こちらも同様、1, 3 行目で alivetonight が、また 2 行目と 4 行目で heartare が踏んでいる形だ。

ただここで非常に面白いのが、4 行目の "Now that I've become who I really are" のところで「 "are" が文法的に間違っている」ということだ( I に続く be 動詞なので本来は am になるのが正しい)。

これについては、アリアナ自身、プロデューサーのマックス・マーティンに強い反対の意を示していたと次の記事(Ariana Grande Is Fully Aware That the Lyrics of 'Break Free' Make No Sense)で語っている:

I fought him on it the whole time, ... 'I am not going to sing a grammatically incorrect lyric, help me, God!' Max was like, 'It's funny — just do it!' I know it's funny and silly, but grammatically incorrect things make me cringe sometimes.
これについては彼とずうっと口論してたわ。「わたしは文法的に間違った歌詞を歌うつもりはないの、神に誓って絶対!」それでもマックスは「いやでも面白いじゃん。この通り歌えって!」みたいな感じ。アホらしいしそれで面白くなることもわかってる。けど文法的に正しくないのってウンザリすることがあるのよね。

この口論は、最終的にアリアナが妥協することで幕を閉じた。

結局のところ、文法的に間違えていようが、このケースではライムのもたらす音楽的な心地よさが優先されたということである。

英語圏における近年の音楽シーンを専門的な視点で解説している本 Switched on Pop でも、このことが次のように説明されている:

Martin's instincts proved correct. Somehow, the rhyme of "broken heart" with "who I really are" actually works. The rhyme pleases the ear while the grammatical faux pas adds confusion, perhaps even a bit of frustration, that the mind can't shake. Martin is known for penning lyrical blunders that succeed because they sound right in the song.
結局マーティンの直観は正しいことが証明された。"broken heart" と "who I really are" のライムは、どこか本当に機能しているのである。例の文法的失態が拭い切れない混乱(あるいはちょっとした不満)の要素を加えているその一方で、このライムがとても耳に心地よく響く。マーティンは、間違った歌詞を書くもののそれが結果的に功を奏すことで知られている。なぜなら、そういった間違いも、曲の中では正しく「響く」からだ。

英語の曲の歌詞における、ライムの重要性がひしひしと伝わってくるエピソードである。


■ 終わりに


イギリス人の同僚と先日このことについて話していたら、彼曰く英語圏にある「子どもに読み聞かせるようなお話」は、だいたいこのライムをもって語られるそうである。

だから、それを読んでいる母親が途中で、わざと文を「踏まない」単語で終わらせることで、子どもが正しく「踏んでいる」単語に訂正してくるかどうか試すようなこともするそうだ。

日本人にとって七五調のリズムが、幼いころに俳句や短歌を学ぶ過程でだんだんと身に付いていくように、英語圏の人たちにとってのライムの感覚も、このような幼少期からの教育があって無意識に染み付いているのだろう。

次から英語の曲を聴くときや、書いたり話したりするときに、こういったライムの文化があることを意識してみると、もっと英語が面白くなるかもしれない。

※ライム(脚韻)と対をなす韻の踏み方「頭韻」についてはこちら(「ライム踏むだけが韻じゃない」)を参照。


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