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性別を医学的に決められるのは怖い

 性自認は遺伝子で決まるという説を目にして怖くなった。

 トランスジェンダーがトランスジェンダーであることが医学的に証明できるようになると喜ぶ人もいるかもしれない。でも僕はそういう発想自体が怖いのだ。

 遺伝子を調べたら僕の自負する性別がわかると考えるなら、僕の性別を他人が決められることになる。僕が何を感じ何を考えているかなんて何も知らない専門家が、あなたは女ですとか男ですとか勝手に判別するのだ。

 判定結果が自認と一致していれば問題はないかもしれない。でも100%の精度で当てることは不可能だろう。性別なんて複雑で複合的なものを単一の基準で判断できるか疑問だし、科学に「絶対」は存在しない。どんな理論にも新たな発見によって覆る可能性は残されている。

 100%じゃなくてもそれなりの精度があれば使えると考える人もいるかもしれない。でも忘れないでほしい、今までずっと使われてきた精度99%の方法が、残りの1%を苦しめてきたということを。その方法とは、性器の形によって人を男と女のどちらかに振り分けるやり方である。

 精度99%では足りない。99.9%でも足りない。99.99%でもまだ足りない。100%でない限り、必ず誰かを抑圧する。

 もし例外の0.01%の1人が、自分はシスジェンダーだと思って生きてきた男性だったらどうだろう。ある年の健康診断で突然、「あなたの性自認は女性のはずですよ」と言われる。そんなはずはないと訴えても、医学的に確かな証拠があると突っぱねられて聞く耳を持ってもらえない。あまつさえ性別適合手術を受けて女性として生きるべきだと勧告されるのだ。

 このやりとりが現実に起こるとは思わないが、性別を他人に決められるというのはこういうことだ。自分の生き方を自分で決める権利を奪われるということだ。

 女らしくしたくない女性もいれば、男らしくしたくない男性もいる。性別にこだわらずに生きたい人も、性別を決めたくない人だっている。身体的な基準に基づいて人を男か女かに振り分けるなら、その基準が外性器であれ遺伝子であれ、典型的な男と典型的な女以外のあり方を否定する傾向が強まる気がして嫌なのだ。

 生まれつきの性質に左右されるものだとしても、どういう性別で生きるかは最終的に本人の人生の選択だ。他人が強制するのは暴力でしかない。

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