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見えないところで歪んでいても(親の愚痴です)

 私には脊柱側湾症がある。背骨が左右方向に湾曲する病気だ。と言っても程度は軽く、特に症状も無いので何の対処もせずに過ごしている。

 発覚したのは中学校に上がるか上がらないかくらいの頃だったと思う。背中の筋肉が左側だけ盛り上がっていることに母親が気付いた。背骨が左右非対称になっているせいだった。

 整形外科で側湾症と診断され、しばらく様子を見ることになった。母は私が猫背にしていたり姿勢を崩していると細かく注意した。背中の膨らみは軽くなった。

 再び受診した結果、悪化はしていなかったが、良くなってもいなかった。一見まっすぐになったように見えたのは、体をねじって背中が膨らまないように調整していただけだった。

 変化が見られなかったし特に自覚症状もなかったので、治療もせずそのまま放置で良いということになった。しかし母は納得しなかった。

 歯科矯正で背骨の歪みが治るとどこかで聞きつけた母は、私を矯正歯科に連れて行った。院長のおじさんは側湾症も治ると請け合い、背骨を診るからと私をレントゲン室に連れて行った。下着も取って上半身裸になるように言われて脱いだ。整形外科でだって裸なんか見られたことがなかったのに。母もその場にいたが何も言わなかった。

 その歯科に何年も通って歯並びを直したが、側湾症は結局治らなかった。

 私は側湾症に治療法は無いのだと何度も説得していた。そんなに重大な病気ではないし心配しなくていいということも。けれど母はなかなか諦められなかったのだ。

 大げさに騒がれて効果の無い治療を受けさせられるのは嫌だなと思っても、強く反発することはできなかった。家庭の平和は母の機嫌にかかっていた。反抗して嫌味を言われたり罵られたり癇癪を起こして泣き叫ばれたりするよりは、大人しく従っていたほうがずっと穏やかに過ごすことができた。

 この一連の出来事が、母と私の関係を象徴しているように思う。

 母はほんの些細なことを気に病んで、私のためにとあれこれ口出しした。そこに私の意思が入る余地は無かった。

 母が私のためにしてくれたことを受け取らないことも許されなかった。中学校に入ったばかりの頃、ずっと吐き気を感じていてあまり物を食べられなかった。弁当を残して帰ると「食べないならもう作らない」と怒られた。食べやすいようにと作ってくれたスープを少しずつ口に運んでいると「不味そうに食べるな」とキレられた。

 そんなことが、日常のほんの小さなことまで、本当にたくさんあったと思う。

 母は母で一生懸命で、不安で仕方なかったのだと思う。

 だけど私は、親が自分のためにこんなに頑張ってくれているのに応えられない、自分は恩知らずで劣った悪い子だと、罪悪感を感じながら育った。本当はちょっと曲がっているくらい全然大したことなくて、気にせず生きていくことだってできたはずのに。そのままの私でいることは許されなかった。世間に後ろ指をさされないようなちゃんとした人間になって、母を安心させてやらなければならなかった。

 小さな挫折感と罪悪感が少しずつ積み重なって、自己否定感が強くなって、自尊心や生きる意欲を削られてきたのだと思う。

 何を甘ったれたことをと思われるかもしれないが、一つひとつは取るに足らなくても、塵も積もればというやつなのだ。しかもこういったことを話したとしても「子供のために尽くしてくれて良いお母さんじゃない」と思われてしまい、なかなかしんどさがわかってもらえないこと自体が、さらに心を削っていく。周りの人が母の味方になるのなら、嫌だと思う私がおかしいのだと判断するしかなく、ありがたいと思うべきなのに反発してしまう自分を責めて罰するようになってしまう。

 母の言う「私のため」とは、結局のところ、表面的には何の問題も無く見えるように、ということでしかなかった。歪みがねじれに変わっただけだとしても、目につく異常が無くなればそれで良かった。大事なのは母の目から見た私の人生の良し悪しであって、私自身が何を幸せと感じるかなどどうでも良かった。だから私が「手のかからない良い子」を演じれば、「ママって子育て上手でしょ?」なんて、育てられている子供本人に承認を求めてきた。

 我が子を自分の承認欲求のための道具にしてほしくなかった。対抗意識を燃やしてマウントを取ったりせず、素直に成長を喜んでほしかった。そんな気持ちを持つことさえ、罪悪感によって封じられていた。

 私は私の内面を大切にしてくれない人と一緒に居過ぎたのかもしれない。内面を見られないことに安心感を覚えるようになってしまっていたのかもしれない。そんな状態で得た伴侶と心を通わせることなんて当然できなくて、だから今の状況も当然の成り行きなのだ。

 きっと性格の相性も悪かった。私がもっと別のタイプの子供だったら、もしかしたら母は普通の良い親になれたかもしれない。私がもっと不器用だったら、逆に母はもっとわかりやすい虐待をして、自分の言動を見つめ直す機会を与えられたかもしれない。私が私だったから、母は薄い毒を発し続け、問題は隠蔽され続けた。

 こんな風にぐだぐだ考えてしまうのは母と同居しているせいだとわかっている。離れられない理由は、やっぱりお金の不安だ。

 しかし、アダルトチルドレン等について多少学んだ後で改めて母の言動を目前にすると、「ああ、こういうところが昔から嫌だったな」と具体的にわかり、乗り越えやすくなっている気もする。この同居期間に学べることもたくさんあるのかもしれない。

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