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戦えないなら理想を描く
差別や偏見と戦っている人たちがいる。
声を上げることも必要なのだと思うけれど、自分はそうはなれないなとも思う。
保身と言えば保身には違いない。しかし言い争いの場に立つだけの強さを持っていないのはもう仕方がない。
明らかな差別だったとしても、「そういうことを言われると傷つくのでやめてほしい」とどれだけ言葉を選んで伝えたとしても、「責められた」「攻撃された」と感じて反撃してくる人はいる。そういう時、自責傾向の強い性格だと、「やっぱり自分が悪かったのかな」と弱気になってしまうものだ。
相手の言い分にも一理あると感じれば尚更自信が持てなくなるし、何が正しいとか良いとか悪いとかわからなくなって、相手が建設的な議論を望んでいたとしてもそれすらできずに黙って引っ込んでしまう。
怒るのも戦うのも苦手。喧嘩すらまともにしたことがない。そんな自分が攻撃的な言葉の飛び交う戦場に身を置いたとしても、心身の健康を損ねてすぐに撤退するのが目に見えている。実際、SNSでの論争を少し目にするだけでも混乱してしまい、自分の精神や存在が根本から間違っている気がしてきて、非常に精神衛生に悪い。
それでも戦わなければならないという人もいるだろう。ただ、何か大きな目的のために身を犠牲にする物語は人を惹きつけるけれど、持続可能性が低いというか、戦って勝つという目標を前提にしているというか、みんなで一緒に生きていこうというような目的にはそぐわないような気もする。
自分自身を生かして慈しんで幸せにしてやることもできないのに、みんなが幸せに生きられる世界なんてどうして思い描けるだろう。
誰だって自分自身を優先していい。自分の幸せを一番に考えていい。なので精神の安定のために、論争の場からは距離を置く。でもそれじゃあ目の前にある抑圧や対立は見なかったことにして忘れるしかないのかというと、そうでもないと思う。
つまり、問題に直接アプローチする以外にも、「新しい理想を提示する」というやり方があるのではないかということ。不平等に対して怒らなくても、「こうしたほうが楽しそうじゃない?」と提案することで状況を変えられるとしたら、争いが苦手な人間にとっては負担が少なく済む。
そんな感じでもだもだと考えて至った結論が、「よし、魔女になろう!」であった。何を言っているんだと思われるかもしれないが、何を言おうとしているのかはこれから考えるので今は漠然としている。
そういうわけで魔女について調べつつ自分なりの理想を探しているところだ。
ちなみに自分にとっての理想は別に全人類がそうなればいいというものではなく、たとえて言うなら足のとても小さい人が既製品に満足できず自分で小さい靴のブランドを立ち上げるみたいな、自分と似た人にだけ役立てばいいものだと思っている。大きな足の人には大きな足用のブランドが、外反母趾の人には外反母趾用のブランドがあればいいと思うが、それは自分のできることの範囲を超えている。
理想だ何だと大きなことを書いてしまったが、究極的には自分にぴったり合う思想があればそれでいい。既製品の常識の中では苦しいから、自分なりに新しい常識を組み立てようとしているだけ。それを発信することで同じような息苦しさを感じている人の支えになるなら望外の喜びだが、第一目標ではない。本当は、自分が生き延びるための哲学が欲しいだけ。救われたいだけ。
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