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社会性ないけど一人は嫌

 一人暮らしのアパートは壁が薄かった。

 話し声や足音はもちろん、ちょっとした生活音が聞こえてくることもあった。夜、現実から気を逸らすためにつけていた今時見ないような分厚いテレビを消し、ロフトの上に敷いた布団で横になっていると、誰かのスマホのバイブ音が静かに伝わってきた。

 顔も知らない上階の住人が帰宅する音に救われていた。同じ住処を共有する他人が戦闘態勢を解いて誰の目も意識せずに生活を営む気配を感じると不思議と安心した。インターホンに怯えて宅配便を受け取れないくらい、人との関わりを恐れていたというのに。

 隣人との生活音の交換は、僕にとって安全で強制的な人との交わりだった。直接的な人間関係には負担を感じる。でも人の温もりが恋しい。人に依存したいのに人付き合いが煩わしい、愛着障害で言えば恐れ・回避型だ。

 もしも一軒家での一人暮らしだったなら心が潰れてしまっていただろう。一人でいることは多いが孤独が好きなわけではない。意外と人間が好きなのだ。近づきたいのに、近づき過ぎると拒絶してしまう。距離が上手く取れなくて迷惑をかけてしまう。自分から行動を起こせないから、心のどこかで不可避の接触を待っている。

 夫のいる家を出て実家に居候、親と暮らすのはストレスだが一人になるのも嫌。新しいパートナーも欲しくないし、同居人を探す力もない。だいぶ我がままだ。でもできる限り自分の希望を叶えてやりたいとも思う。一人暮らしならせめて集合住宅が良い。

 他人の生活の気配を好むのなら、意外と老人ホームのような集団生活がそこまで苦にならないタイプかもしれない。そう考えると、歳を重ねるのが少しだけ楽しみになった。

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