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民族性ハイコンテクスト① * 小説
トイレの床に散らばった盛大な嘔吐物の前で、安奈は呆然となっていた。
朝からムカムカし、食欲もなく、やる気も起きない。
ベッドからずり落ちるようにして床に立ち、ふら付きながらトイレに行ったが間に合わなかった。
病院の建物のエレベータに乗った時には、どうやって服を着替えたか覚えていなかった。
身に覚えがないわけではない。
だが、ショックだった。
子どもっぽいやり口ではあるけれど、仲間外れにされたと気づいたのは、昨日の昼休みのことだ。
同僚たちの姿がない。
仲良くしている後輩の映子だけは、すぐ近くで私と同じように自作のお弁当を一人で食べている。特に変わったことはないと思っていた。
昼休みが終わり、同僚たちがガヤガヤと帰ってきた。
「あーおいしかった。映子さんもたまには行こうよ、トンカツ屋。」
その時、映子が気まずそうに私をチラッと見たのは、気のせいではなかったと思う。
そう、私だけを意図的に誘わないことに気づいた映子が、気を使って誘いを断っていたのだ。
考えてみれば、今までずっとそうだったのだ。
月に一回程度の頻度で、同僚たちは昼休みに姿を消す。
のんきに私だけが気づいていなかったのだ。
病院の受付に保険証を出す。
「きょうは、なんですか。ドコカわるいですか。」
違和感のある日本語で問診表を差し出す女性の名札を見た。
『陳春花』
カナカナのふり仮名で『チン チュンフワ』と書いてある。
「もんしんひょうに、わるい場所カイテください。じゅんばんに呼びますので、すわて待てください。」
病院もグローバル化が進んだ。
医療スタッフも、異国民になったようだ。
順番が来て診察室に入った。
医師も日本人ではなさそうだ。
「アンナさんデスカ?
なにが モンダクないですか。ここにすわっでください。なにが モンダクありましたか、アンナさん。胃ぃは、モンダクないですか?確認できましたんで、rrrrレントゲンいいですね、アンナさん。」
レの発音のとき、派手な巻き舌の発音だった。
医師の名札には
『Kumar Prasantha』
とあった。
とまどっていると、医師がスタッフに英語で指示している。
すると奥からスタッフが出てきて、
「アンナさん、リリィともうします。ヨロシクおねがいします。レントゲンとりますから、トナリの部屋に移動シテいきましょう、アンナさん。」
と、レントゲン室に案内された。
レントゲンを撮り終わり、診察室に戻ると、Kumar医師がレントゲンを見ていた顔をこちらに向けて言った。
「アンナさん、モンダクないですね、アンナさん。rrrrレントゲン確認できましたんで、ストレスですからでも、まいにちにちの くすり 飲んでますからでも、いいですね、アンナさん。」
何回、自分の名前を呼ばれたことだろう。
異国の方は、やたらと相手の名前を呼ぶ。
とにかく、診察は終わったようだ。
受付で会計を済ませてもらった処方箋は、胃薬と眠剤だった。
つづく。
次話。
わりと真面目に書いたフィクション。
日本人にとって、人種差別とは何かを再考するための思考実験。
人種差別という思想がどのようなものか、身近な例えにするとわかるのではないだろうか。
今回は、パレスチナ避難民の帰還とアウシュヴィッツ解放から80年のニュースを受けて、特集的に、民族問題をイジメ問題と絡めて考えるための特集。
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