見出し画像

ジェンダー研究の視点から一橋アウティング事件をみる 川口遼

フルインタビューのYouTube ver.はこちらから▼

川口・サムネ・youtube

アウティング事件を知った経緯は?

 一橋大学博士課程を単位取得退学後の夏、友人と映画を観に行く途中の電車の中でした。一橋大学で同性愛を暴露されて自殺したロースクール生のご遺族が裁判を起こされ記者会見を開いた、というニュースを見たのが最初でした。当時、事件については先生方からも聞いていましたが、2015年の時点では、その詳細みたいなものは全く共有されていなく、何もわからなかったので、多分ほとんどの人は事件の詳細を知らなかったのだと思います。

 とにかくショックでした。びっくりして、「えっ」てなったのはとてもよく覚えています。博士時代の主査の方が定年で辞められた後、指導をお願いしていた(ジェンダー研究を専門にされている副査の)佐藤文香先生に、すぐメールをしました。それで学内でジェンダー社会科学研究センター(CGraSS)に関わられてる先生の中で話し合いがもたれて、その後声明が出されました。僕はとにかくびっくりして、佐藤文香先生にメールをして、その時、一緒に映画観るはずだった友人とその話をしました。

 自分が研究してたジェンダー・セクシュアリティに関連して人が亡くなったっていうのは、こんなショックなんだなって。自分でもびっくりするぐらいでした。なんでなんだろうなと思うと、やっぱり一橋が好きだったんだろうなと。自分の苦しい思い出がいっぱいあるけど、それでもやっぱり自分は多くのエネルギーを注いで何かをやってた場所で、その学内の文化だったり雰囲気だったり制度だったり諸々がうまくいかない中で人が亡くなってしまったっていうのが、自分にとってすごいショックだったんだろうと、記憶しています。

川口1

報道直後の様子

 事件報道直後は報道がバーッとみんなに回って知る、みたいな感じでした。(学内の)動きはあって、まずCGraSSに関わっている先生方は、有志っていう形でしたけど、声明を出されました。その声明の中で、今在学している学生を我々がサポートするんだっていうことを明確に打ち出されて、それはとても心強かったです。全然把握してないところでショックを受けてる学生さん、特に学部生が多いだろうなと思いました。また、一緒に研究してた仲間で青木陽子さんという方が音頭をとり、追悼の集いみたいなものが開かれ、被害者が亡くなられたマーキュリータワーの手前で数名(青木さんや近隣のお住まいのゲイの方など)が来たそうです。だけど大学の警備の方から、何やってるんですかみたいなことを言われてしまって、上手くできなかったみたいです。それもショックだったので仕切り直して、広報をしてやりましょうって青木さんが言って、それには僕にも声をかけてもらって、大学通り沿いで西キャンパスの正門前で集まりました。かなりの人数が集まりましたね。新聞記者さんも何人か来ていたのですが、記事に取り上げづらいと言ってたのを覚えています。どう切り取っていいかわからないと。今だったらもう絶対にアウティングで一発をびしっと記事になると思うのですが、当時は、「事件をどう切り取っていいかわからない」、「デスクをどう説得すればいいのかわからない」、という感じでした。そのことに関してはこの5年で変わったと思います。

大学ってどんな場所?

 大学は人が死ぬ場所ではないと思います。人がいたら学内で人が亡くなるってことは当然ありえますが、そもそものコンセプトとして大学というのはそういう場所ではありません。勉強をしたり、学問をやったり、何か活動をやったり、色々なことに試行錯誤をして、企業で働いたり、あるいは色々なことをやった後に戻ってきて、もう一度自分を見つめ直すような場所だったりして、未来に開かれているような特権的な場所だと思います

 大学という場所は、入ってきたときと出て行くときで、何らかの変化が起きていて欲しいわけです。そこに来た人たちが変わったことによって何かしらのインパクトを社会に与えていったらハッピー。それがやっぱり根源で、そういったことを求められてると思います。そのような場所で、ある人の人生が終わってしまうっていうのは、大学にとってやっぱり不幸なことで、大学の失敗であるわけです。しかもそれが、何か人為的なものだったり制度の不備だったり、そのようなものが絡み合った結果、網の目から漏れてしまって、マーキュリータワーから落ちてしまったってことですよね。それはちょっと受け入れがたい、というような話を集会でしました。

川口さんが学生の頃から現在までで、かなり変わりましたね?

 一度あるジャーナリストの方に言われました。(大きく見ると)ご遺族の勝利だと。彼らが裁判を起こしたからこのような結果が生まれました。報道もされ、「アウティング」っていう言葉は、まだ十分に広くは知れ渡っていないとは思いますが、かなり認知が広がったのは完全にあの事件がきっかけです。国会でも取り上げられましたし。

 大学院に入ったのが2007年、ちょうど第1次安倍政権のときで、やっぱり当時の感覚っていうのはジェンダー研究はやっていけるんだろうかっていう時代でした。バックラッシュのど真ん中でしたから、「『ジェンダー』って言っていいの?」みたいな。最初、「ジェンダーフリー」って言ってはいけないっていうのが、だんだん「ジェンダー」って言葉を使うのをやめましょうみたいな感じになってた時期でした。そのバックラッシュに対してフェミニズムの側や、あるいはジェンダー研究の側がどう対応していくのか、という中で、実はセクシュアルマイノリティとかジェンダーマイノリティーの存在、生活やリアリティが捨象されていってしまいます。フェミニズムといっても多様ですし、フェミニストといっても多様な人がいますが、バックラッシュに対して、「そうじゃないよ」と。「ジェンダー研究とかフェミニズムというのはそういうことは言ってませんよ」、「あなた方が言ってること違うんですよ」、っていうことをしていました。

当時のバックラッシュも安倍晋三元首相がそのトップでしたよね。最初にやり出した時はまだ首相じゃなく、自民党の過激な性教育ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトのと幹事長代理だったと思いますが、大ボスで総本山の安倍さんがバックラッシュを正当化してる時代でした。その中でクィア研究、クィア批評をやってる人たちによる、主流のフェミニズム内部で批判があったりして、トランスジェンダーバッシングの問題が絡んだりとか、歴史は繰り返すんだなと思います。

僕が大学院にいた初期はそういう感じでしたから、本当に不安でした。ただ、大学院生になると色々なネットワークもあるし、その「泡」の中で、ある種居心地の良い空間を多分作れていたと思います。僕はジェンダー・セクシュアリティのことに関して取り立てて社会的な困難を抱えやすい立場にはいなくて、どちらかというと、大手を振って生きていける立場にいます。だから、その立場から見て全然気づけてなかったのかもしれないですが、何か当時はそういう社会全体としてマイノリティに対して本当に嫌な雰囲気がありました。しかし、我々は仲間たちと何とか繋がっていて、そこでは何とかやっていけるっていうような感覚が大学院の時代でもありました。

 それからすると、今授業でジェンダー・セクシュアリティの話とかもしますが、「LGBT」や「フェミニズム」などの言葉はもう殆どの子は知ってるし、「フェミニズム」って言ったときに、性差別やジェンダーに関わる差別に反対しているとか、そういった問題をやってるっていうふうに皆が知っています。僕が学生の頃、「フェミニズム」や「フェミニスト」って言っても、やっぱりちょっと意味がよくわからないっていう人は、大学生でもいっぱいいたので、そういう意味で言うと、社会全体の雰囲気とか問題関心みたいなものは多分変わったと思います。一橋の中でも、本田さんを始め、院生と学部生の方もPride Forum Resource Centerの運営に関わってくださったり、あるいはBridge for Allみたいなサークルができたり、ちゃぶ台返し女子アクションとも協力なさってたりとか、変わってるところは当然あるとは思います。良い風に。そういった社会問題があるよっていう認識が広がりましたね。

卒業生団体Pride Bridgeを組織した経緯は?

 追悼集会をやった後に、何人かでロージナ茶房(大学近くの喫茶店)に行って何かをやりたいねって話になり、とりあえず「アウティング事件を考える会」を作って、資料や情報を集めたりとかして、集まっていました。それとは別に、太田美幸先生を中心に「多様性について考える会」、通称「たようかい」っていうのが不安に思ってる学生さんのために頻繁にランチ会を開催したり学内で動いていました。

 また、裁判を傍聴しに行った時に、原告代理人の南弁護士と吉田弁護士に弁護士会館でお会いして、裁判を支える会を作ることになりました。それには大学内の人だけではなく明治大学の鈴木賢先生など学外の人も関わってくださって、裁判を傍聴したり、お金を集めたり、明治大学でシンポジウムを2回ほど開きました。1回目は、2017年の5月のレインボーウィークの時期で、数えられないくらいの人が集まり、酸素なくて人が倒れるんじゃないかぐらいの混み具合で大変だったそうです。原ミナ汰さんと、木村草太さんと、鈴木賢先生と、広島大のハラスメント相談室室長の横山先生に来ていただいて法的な話をしました。それがかなり好評で、今度またもう少しパーソナルな形の話をしましょうっていうことで、2回目は松中権さんや砂川秀樹さんらに来ていただいて翌年の8月に開きました。

 松中権さんにはその時に初めて会って、僕も一橋の卒業生なんですって挨拶したら権さんが、「大丈夫でしたか?」と聞いてくださりました。すごくショックを受けたりとか、つらい思いをなさったんじゃないですかっていうことを心配しくださったんだと思います。先ほども言ったように、僕の(アウティング事件への)思い入れや関わり方は、自分が当事者ではなくてもう少し違う形の関わり方ですので、ショックやつらいという思いはありますが、ダイレクトに自分の人生において足元を取り崩される感覚は皮膚感覚ではわからないわけです。今でも分かりません。でも、権さんはそうやって心配してくださって、それで、「いや、大丈夫です」っていうようなお話をして、それはその時で別れました。

 神谷悠一さんとは大学院に入る前から知っていて、裁判の近況報告をする機会がありました。裁判での一橋大学のロジックが酷すぎたのです。法律の関係者に言わせると、あくまで裁判上で戦うために、相手の主張を切り崩すためのものだからって言いますが、それにしても、酷いなと思いました。特に、人智の及ばないところ、という言い方が酷かったです。みんな思ってると思いますが、先ほども言った通り、大学は人が死ぬ場所ではありません。人がいるから、当然死ぬこともあるでしょうけど、その死に方がひどかったわけです。直接的なその暴力ではないかもしれませんが、様々なことが噛み合わさって、そのような結果を被害者が選んだのか、選ばざるを得なかったのかわかりませんが、追い込まれていったのかっていう状況なわけです。それに対して、入ってくる前と入ってきた後で変化を生むような機会を提供すべきな、安全で安心な環境、差別や偏見にさらされない環境を提供するっていう義務も当然負うべき存在であるはずの大学が、人智の及ばないところである、という言い方をしたのが、本当に僕は許せませんでした。神谷さんとそのような話をし、それで何かやろうかとなりました。

 権さんもアウティング事件にとても思いを持ってくださってるのをわかっていて、神谷さんと権さんはかなり密にやりとりをする関係性だったので、それで3人で何かをやろうとなりました。裁判を支援するだけではなく、一橋の内部で何か違いを生み出すようなことを。

 アウティング事件に関わりを持った契機としてはやっぱり、腹が立ったからです。一橋大学が法廷で本当にああいう風に思ってたのかどうか分かりませんが、ご遺族に対する三次加害に等しいと思いました。それに対する怒りがきっかけで、Pride Bridgeの設立につながりました。

川口2

結審を迎えてどのように感じていますか?

 教員個人の責任がすごく難しいなと思います。まず、どこまでできるんだろうかっていうのがありますし、現実的な問題として本当に大学の先生は色々な方がいらっしゃいます。大学の先生がハラスメントをするということは言語道断ですが、学生間の問題が起きたときに教員がどう対応すべきか見極めるのはとても難しいです。

 ただ、もっと積極的に対応したらよかったのではないかと僕は今でも思っています。もっと積極的に動く人が1人でもいたら、違ったのではないでしょうか。僕もその立場にいたらそうしたいです。やっぱりアウティングはどんな事情があれ、それはいかんよ。それはいかん。LINEで流したのは絶対駄目だから。それは反省してくださいと。教員として、特にロースクールの教員であるならば言うべきでした。アウティングは許されませんと。将来弁護士か裁判官か検事になる人に明確に言うべきだったと思います。

今の日本において、この問題だけでなく、教員全体の責任や、大学教員が現在置かれてる社会的な立場を考えたときに、不法行為を反省させるとまで言えるかどうかです。今回の事件で訴えられているのは教員個人ではなく大学の責任ですが、教員としてやるべきことがあったのか、判断が難しいです。

大学に望んでいることは?

 先ほども述べましたが、アウティング事件は大学が大学であることに失敗した結果です。ですが、大学には大学であることをやめないでいただきたいです。ユニバーシティですから、大学には本当に多様な人たちっていうのはいるわけです。様々な事情を抱えてるし、エスニック・マイノリティや、ジェンダー・セクシャリティに関わるマイノリティの方、障害を持ってる方だったりっていうのは、既にキャンパスにたくさんいて、もうずっとずっと生活してきています。でも、その人たちに対する制度的なメッセージ、それを自分たちの強みに変えていくようなメッセージっていうのは一橋に限らず日本の大学や組織でなかなか出てきません。もちろんダイバーシティ・マネジメントみたいな、すごくきらびやかな言葉はありますが、儲かるからそのような活動をやるのではなく、マイノリティが差別や偏見にさらされることは、それは大学が大学であることに失敗していることを理解してほしいです。だから既にいるそのような多様な人々が多様であることを尊重されたまま大学生活を謳歌して、勉強を一生懸命頑張って、サークルも一生懸命楽しんで、バイトもして、その中で色々なことを学んで、変化して、それを社会に対して還元して、大学以外の広い社会に対してインパクトを与えていくような、その大学本来の役割っていうのを大学には絶対に忘れないで欲しいです。その機会を提供するためには何ができるかっていうことを必死に考えてほしいなと思います。

 今、日本の研究者が置かれている状況は大変で、とても競争的な雰囲気です。特に一橋は研究大学ですので、個々の先生方は研究に時間を割きたいと思っています。ただでさえ仕事でいっぱいになっている中に、学生の支援や大学の教育環境の改善みたいなことをやっていくことに余力が向くことが難しいのかもしれません。しかし、大学の教育環境の改善こそが中長期的にアカデミズムを支えていくのだと思います。そして大学というものを延命させていく。あなた方の足元で起きてるんですよって。あなた方のゼミ生で、あなた方に悩みとか、そういったことを言えずに辞めていく子がいっぱいいるんですよっていうのが、アウティング事件が教えてくれたことだと思うので、大学教員にはそこを理解してほしいなと思います。

~~

川口遼(Ryo Kawaguchi)
国際基督教大学教養学部卒業。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得退学。社会学修士。専門は家族・労働・福祉の社会学、ジェンダー・セクシュアリティ研究。現在は東京都立大学子ども若者貧困研究センター特任助教、Pride Bridge副会長など。
SNS:https://twitter.com/ryo_kawaguchi



↓LGBTQ+ Bridge Network↓

ホームページ:https://hitupride.wixsite.com/lgbtqbridgenet

Twitter:https://twitter.com/LGBT_Bridge_Net

Facebook:https://www.facebook.com/lgbtqbridgenetwork 

Instagram:https://www.instagram.com/lgbtq_bridge_network/?hl=ja

当サークルは一橋大学CGraSS(ジェンダー社会科学研究センター)と一橋大学卒業生有志団体Pride Bridgeとの共同事業であるPride Forumに参加している一橋大学サークルです。ジェンダー・セクシャリティを専門としたPride Forum Resource Centerの運営や、学内イベント実施を行っています。(since 2020)

#一橋大学 #LGBT #アウティング事件 #ジェンダー #セクシャルマイノリティ #sexual #セクマイ #ally #性的マイノリティ #春から一橋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?