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1989年度、平成元年に約一千万人いた
日本の公立小学校に通う児童は、
2018年度、平成三十年には
「約六百三十万人」に減少しました。

一千万人から、六百三十万人に。
約37%も、減っている!


1989年度、平成元年に約二万五千校
あった日本の公立小学校は、
2018年度、平成三十年には
「約二万校」に減少しました。

二万五千校から、二万校に。
約20%も、減っている!


令和に入っても、ますます
減り続けている現状が続いています。
公立中学校でも似た経緯を辿っている。

本記事では「廃校」について書きます。

まずはデータ分析からいきます。
公立小学校だけを見ても、
「約三百七十万人」「約五千校」も
平成の三十年の間に減っている
わけです。

児童数のほうは、平成に入って
すぐにがくんと減ってきている。

しかし学校数のその減り具合を見ると、
平成十年度まではそんなに急ではない。
約六百校くらいが減っていた。
平成十一年度から二十年度までで、
急にその減り具合が加速して、
約二千二百校も減っている…!

減るスピードが「約四倍」になった。
その勢いで、平成三十年度まで続く…。

西暦で言えば1989年度~1998年度までは
そこまで学校数は減っていなかった。
1999年度あたりから、急激に減っている。

なぜか?

これには「平成の大合併」
大きく影響している、と言えるでしょう。
平成十一年(1999年)に
全国で「3232」あった市町村は、
平成二十二年(2010年)には
「1727」になりました。

約1500の市町村が、消えた。
約半分、50%になったのです。

公立小学校・中学校は市町村の管轄。
その管轄している市町村が消えれば
学校も消え「やすく」なるという展開…。

私自身も、ゆかりのある市町村が
いつのまにか合併しており、
地名や学校名が変わって
寂しくなった記憶があります。
この現象は「学校統廃合」と言われ、
平成の中期に、全国で見られた現象です。

さて、ここまでが、全国的なデータ的な話。
ここからは、地域的な実情、地理の話。
マクロから、ミクロ的な視点に変えます。

…先ほど消え「やすく」なると書いて
消える、と断定しなかったのは、
全国的な傾向はあるにせよ、
その進み具合に「温度差」があるからです。

どういうことか?

まず大前提として、公立学校の元締め、
文部科学省の態度は「中立」です。
学校統廃合を「積極的にしろ!」とも、
「するな!」とも言わない。

なぜなら、学校の統廃合、
とりわけ公立小学校を廃校にすることは
非常にセンシティブな問題だから…。
住民、保護者、地方政治、綱引き、
そういうものが関わってくる問題です。
だから、各地域の「実情」に合わせて、
「地方自治体」が決断をしてください!

という態度を、国は取ります。

したがって、
「がんがん統廃合、廃校にしていくぞ!」
というクールでドライな地域もあれば、
「たとえ数人でも、学校自体は残す!」
というウェットな地域も出てくる…。

ここでさらに難しいのが、
「全国一律」で「同じように」
児童・生徒数が減っているわけではない、

という点です。

つまり、同じように見える過疎地域でも、
特に令和に入ってからは
「移住」「農村回帰」「地方創生」の
活発な動きもあって
子どもが増えている地域もあるのです。

◆児童数が○○人になったら廃校!
◆市町村の財政的に〇〇円になれば廃校!
◆「地方消滅」すれば学校も廃校!

…そんな厳密な基準は、実は「ない」。

各地域、各自治体の実情に合わせて
うまく教育行政を行ってくださいね!
と国は言っている。

ここで、歴史的なことも考えてみましょう。

そもそも、公立の小学校や中学校が
各市町村にできていったのは、
明治時代の「学制」から、ですよね。
自分の町や村に誇りを持つ地域では、
「私たちの子どもたちのために
立派な学校を作ろう!」と
盛り上がったことは、想像に難くない。

例えば、福井県には「三国湊」という
とても繁栄していた港がありました。

ここの住人は、学制が発布されると
巨額の建設費をすべて寄付で集め、
(今で言えばクラファンでしょうか?)
小学校の建設を企画します。
デザイン担当は、オランダ人の
ジョージ・アルノルド・エッセル!
三国湊の港の改築のために、
オランダからわざわざやってきた人です。
(オランダは「開拓」「港湾整備」などに
とても詳しい国なのです)

白亜で八角形、5階は銅板葺きのドーム状、
洋風、アジア風、中国風を混ぜ合わせた
五層八角形の威容を誇る立派な建物。
これが、1879年に山の上に建てられた。
子どもたちはこの学校に愛着を抱き、
「こうもり傘の学校」と呼んだそうです。

…ここまででなくとも、
各地域の住民は、自分たちの小学校を
「山の上」などわかりやすい場所に建て、
「町や村のシンボル」として
大事にしてきた歴史が多い。

そこで学んだ子どもたちは、
大人となっても、懐かしく思うもの…。
大事な場所だ、かけがえのない場所だ、
と思っているもの…。

「廃校」問題は、人口動態、行政に加え、
そんな「情念」「こだわり」が交わる、
地理的・歴史的にも複雑な問題
なのです。

最後に、まとめます。

本記事では「廃校」にまつわる話を
書いてみました。

「廃校の活用」については、
様々な自治体や地域で事例があります。

例えば、文部科学省では、
『~未来につなごう~
「みんなの廃校」プロジェクト』
と題し、
ホームページ上で様々な
廃校活用の事例を紹介しています。

民間においても、
例えばカフェにリノベーションしたり、
ホテルに転用したり、養殖施設にしたり、
「お化け屋敷」にした学校もあったりと、
ありとあらゆる可能性が模索されている…。

例として挙げた「三国の龍翔小学校」も、
今では「坂井市龍翔博物館」として
リニューアルオープンされています。

公立小学校だけでも平成の三十年に
「約五千校」が廃校にされている。
この施設を活用しない手は、ない。

…ただし、本記事で書きましたように、
決して学校の背景は全国一律ではなく、
「地域の実情」に合わせて
生まれてきた歴史と地理があります。

ゆえに、その地域の住民や保護者の中には、
「『住民のためだけの』運用をしてほしい」
「ヨソから来た人が好き勝手やらないで!」

と思っているケースも、多々あるもの。
表には出にくいですが、
感情的なものも混じったトラブルもある…。

◆「いかに」活用していくのか?
◆「誰のために」活用するのか?
◆「なぜ」活用するのか?

廃校の活用には、その学校の歩んだ道、
創設と廃校に至る「歴史と地理」を踏まえて
その地域の実情、心理、物語に合わせた
活用が必要
なのだな…と思いました。

読者の皆様の地域では、どうですか?
皆様自身は、どう思いますか?

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