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プレイングマネージャーの限界 ~信長・秀吉・家康・古田~

1、プレイングマネージャーノブナガ

織田信長。有名人。歴史が苦手な人でも聞いたことのある名前ではないでしょうか。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」とか、「人間五十年〜」とか、とにかくエピソードには事欠かない人物です。

(名古屋おもてなし武将隊さんの画像ツイートより引用↓)

一番有名なのは「桶狭間の戦い」ですかね。圧倒的な兵力の今川軍に対し、陣頭に立って奇襲をしかけ、見事、大将の今川義元を討ち取る。一方、自分が死んだ「本能寺の変」も有名です。逆に謀反で明智光秀に討ち取られる。このときも自ら弓矢をとって抵抗したと言われています。自分で動いて殺して、最後は殺される。戦国を体現するような人物です。

で、この信長、尾張一国を治めていた頃は、自分の目が行き届いています。しかし、勢力範囲が拡大するにつれて、自分だけではどうにもならなくなる。そこで、各地方の責任者を決めて、彼らに戦わせるようになった。でも、基本は自分で動きたいんです。監督しつつも「代打、オレ」がしたい。プレイングマネージャーなんです。たぶん信長の分身が5人いたら、全部の地方を自分に担当させて、自分で処理したかったのではないでしょうか。

中国地方担当の責任者、羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉などは、信長の意向をくみ取るのが天才的にうまかった。というか、信長の機嫌のスイッチを見極めることで出世してきた。「ここは上様に聞いてから動いた方がいいな」と思ったら、すぐ確認する。「これは自分だけでやってしまっては嫉妬されるから、あえて上様にやっていただこう」と思ったら、すぐ援軍を要請する。「ハゲネズミ(秀吉のことです)め、困っておるな、よしよし、やはり毛利軍本体を討つためには、ワシ自ら動かなきゃだめだな!」と代打の用意をしているうちに、本能寺の変で討ち取られたと言われています。

思うに、自分の才能、感覚への信頼が強すぎて、つい相手に対しても、自分のように考えるべきだ、できるべきだと錯覚してしまったのではないか。信長は、自分自身をこき使うことに対しては、何の違和感も感じなかったでしょう。ですが、他人はそうではない。才能も感覚も違うからです。秀吉なんかは、うまく使えるアピールをした。できない仕事は、気付かれないように言い訳を付けて断った。でもそれがうまくできない家来もいる。追い込まれる。謀反を起こす。信長ほど、家来に裏切られた君主もいないでしょう。そして結局、最後も謀反を起こされて死んでしまう。

信長は人の才能を見出してこき使う名監督ではあったのですが、プレイングマネージャーへの思いもまた強かったために、ついに監督の道は極めきれなかったのではないかと思います。

2、プレイングマネージャーフルタ

転じて、プロ野球でプレイングマネージャーの例を探してみましょう。最近の事例でいけば、ヤクルトスワローズの捕手だった古田敦也さんが、そのまま監督兼任のプレイングマネージャーになりました。

守備の指示、投手の支援、打撃。選手としての古田氏はまさに完璧でした。メガネの選手は大成しないと言われるのに反発して、圧倒的な成績を収めて周囲を黙らせた。師匠である野村克也監督も絶賛していました。そんな古田氏が監督になる。期待はとても高かった。しかし、なかなかうまくいかないんですね。監督としては、実績を上げられずに退任してしまいます。

彼が選手である時間を減らし、監督に徐々に専念できていたら、また違ったと思います。選手と監督では、見える景色が違うんです。求められる才能も違うんです。特に、名選手と言われる人は、「自分ができるから他人もできるだろう」となりがちです。でもその感覚で監督をしては、状況判断を誤ってしまう。名選手である自分を基準にしてしまうと、自然と求めるレベルも高くなり、できないと「こんなこともできないのか」と思ってしまう。

古田氏の師匠の野村克也氏は、名選手だった王貞治氏や長嶋茂雄氏を例に挙げて、こんなことを言っています。

「…思ったことは何でもできてしまうから苦労を知らず、そのため並の選手の気持ちや痛みがわからない。自分のレベルで選手を見るためにうまく指導ができず、言葉より感覚を重視してしまいがちなのだ。
 苦労を知らない選手は絶対にいい監督にはなれない。私は2年半ほど二軍にいたことがあるが、これは今となっては良い経験だったと思っている。…」(以下の記事から部分引用しました↓)

3、あなたの職場のプレイングマネージャーは?

織田信長と古田敦也氏を例に挙げてみました。

さて、あなたの職場では、プレイングマネージャーはいますか? それとも自分自身がプレイングマネージャーですか?

「一人親方」の職場、つまり従業員なし、個人事業主/フリーランサーであれば、必然的にプレイングマネージャーですよね。実務も、営業活動も、経理も、広報も、全部自分でやる。やらざるをえない。

しかし業務が少ないうちはそれで良いですが、徐々に業務が拡大してくると、そうはいかなくなります。漫画家さんなら「アシスタント」を雇って、業務を分担させる。確定申告などは外注する。漫画家のカワグチマサミさんのツイートを引用しましょう↓

そう、いかに「業務分担」と「外注」をうまく使うかによって、「仕事効率化」や「本来業務に専念できるか」が変わってくるのです。

戦国大名なら、個々の戦いは家来にやらせて、自分でしか判断できない大きなビジョン決定などに専念する。野球の監督なら、ピッチャーの見極めは投手コーチ、二軍の仕切りは二軍監督などに任せて、自分にしかできないチーム作りの根幹に専念する。漫画家なら、単純作業や経理、家事などは他に任せて、面白い作品作りに専念する。

良い意味で「業務分担」と「外注」を使いこなしたときに、名君、名監督、名プロデューサーへの道が開けるのではないでしょうか。

ちなみに、豊臣秀吉はこの「業務分担」と「外注」のプロでした。強大な敵を倒して直轄化しようとした信長と異なり、うまく懐柔して味方に引き入れ、ときには威圧して屈服させ、領地を安堵して「業務分担」させた。中国地方は毛利家、北陸地方は上杉家…など。どうしても従わない北条氏は滅亡させましたが、その後の関東地方の統治は徳川家康に「外注」しました。だからこそ短時間で天下統一ができたのです。

4、プレーヤーの気持ちがわかる(プレイング)マネージャーに!

ここまで読まれた方は、「じゃあ、最初からマネージャーだけやればいいのでは? そのほうが名監督になりやすいの?」と思われたかもしれません。いやいや、そう簡単ではないのです。

プレーヤー経験のないマネージャーは、プレーヤーに固執するマネージャー以上に、結果が出しにくいと思います。なぜなら、プレーヤー・現場・下っ端の気持ちを理解しにくいからです。

『ガンダム』がお好きな方は、このセリフを思い出していただければ。「あんなの飾りです。偉い人にはそれが解らんのですよ!」

豊臣秀吉は、圧倒的な「下っ端」(ほとんど奴隷)からスタートしました。だから、こき使われる辛さ、命令を受けた時の葛藤、ノルマに追われる焦燥感と緊張感、すべて知っています。だからこそ、天下を取った時も、プレーヤーの気持ちがわかっていたのでしょう。後継者問題とかでグダグダしてしまった、晩年には忘れてしまったのかもしれませんが。

対して織田信長は、生まれた時からお殿様の一族ですから、そこまで下の者の気持ちはわからなかったのでしょう。わからないからこそ無茶ができたとも言えますが…。現代風に言えば、織田家はハイリターンの代わりに超ブラック企業。ついには名監督にはなりきれなかった。

ちなみに、最終的に江戸幕府を作り上げた徳川家康は、お殿様の一族として生まれましたが、最初は今川家の人質(ほとんど奴隷)という苦しい経験があります。だからこそ、最終的な名監督になったとも言えます。一方、豊臣秀吉のそばにいて「優れた投手コーチ」だった石田三成は、関ケ原の戦いで徳川家康に負けてしまいます。集めた兵の数はともかく、人間としての実力の差は圧倒的だったのでしょう。

名選手必ずしも名監督ならず。だからといって下っ端の現場の視点だけでも名監督になれない。難しいですね。

自分でやる現場の「下っ端」の経験(もしくは追体験)をして、自分一人ではできないから「業務分担」と「外注」の経験(つまりは人に任せる経験)をして、それらを積み重ねて初めて名監督への道が開けると思います。

プレイングマネージャーは、現場好きです。しかしだからこそ意識して「自分でやれば解決するから、自分でやれば速いから、自分でやる」という考えを抑え、「人に任せる」という考えを中心に据えないと、うまく業務は回らないと思います。プレイとマネージメントを同時にやるのは、限界があるんです。そもそも、上の人が現場に出過ぎると、下の人たちはやりにくいですしね…。

5、まとめにかえて

今回の記事では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、それに古田敦也氏の事例を切り口にして、プレイングマネージャーについて考えてみました。それにしても戦国を生き抜いてきたこの3人、例として使いやすいですね…。

零細企業にはたいてい「ワンマン社長」がいるのですが、「一人親方」出身で「なんでも自分でやらないと回らない」という経験をした人ほど、そうなるのはしょうがないかな…と思います。思うんですけれども、「権限移譲」しないと人は育ちません。このあたりもまた考えていきたいです。

終わりに、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康すべてに仕えた武将を主人公にした、超絶面白い漫画『センゴク』を紹介して結びにいたします。ヤンマガ連載中、いよいよ小田原城攻め、九州での失敗を挽回するチャンスですよ!(2019年6月1日現在)↓

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



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