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歴史を学ぶこと ─「巨視」と「微視」─

「歴史を楽しく主体的に」
こんにちは!歴史カードゲームHi!story作成チームです。今回はnote投稿第一回ということで歴史を学ぶ意義について自分なりの考えを綴ってみました。「巨視」と「微視」。歴史を学ぶことでこの2視点を養えるのではないでしょうか?

カメラロールの写真を整理していると、コロナ禍前にイタリア旅行をした写真がたくさん出てきた。高台に登って街を見渡し、教科書に書いてある歴史的建造物が実際に自分の目線の先に立っているのを見た時の高揚感は忘れられない。当時高校生だった私は世界史を少し学び始めた段階で、そのタイミングで実際に歴史的価値の高いモノに肌で触れることができた経験は今となっても貴重だったとつくづく感じる。

受験のためにあれだけ頑張って記憶した歴史の用語等は抜け落ちてしまっている、そんな風に感じる大学生になった今、ふと考えることがある。

「歴史を学ぶ」とは一体どういうことだろうか?その意義はなんだろうか?

この問いに対する自分なりの答えとして、私は「巨視」と「微視」の視点を養い、未来を見通す力をつけることだと考えている。自分なりの解釈ではあるが、誰かが歴史を学ぶ一助になればと思う。


過去を振り返る力、未来を見通す力

もし、我々人間が1秒前の記憶も残らず、現在だけを生きる生物であったらどんな世界になっているだろうか?

少なくとも世界は現在のような発展をしなかったはずだ。人類は過去の知識や教訓から学び、未来に活かすことで進歩してきた。

「巨人の肩の上に立つ」
出典:コトバンク「巨人の肩の上」

偉大な科学者ニュートンでさえも過去の先人の叡智の積み重ねの上に立たなければ新しい発見は無かったと手紙に綴った。

過去を振り返ることができなければ、未来を見ることはできない。ここに歴史を学ぶヒントが隠れているのではないか。

「微視的な視点」=一個人としてその世界に入り込む

https://unsplash.com/photos/uhTcr_XBc8w

以後、未来を見る力・過去を振り返る力を目線の高さで例える。前には未来、後ろには過去が広がっている。

何気なく日常生活を送っている時、人は今やっていることに集中する。目の前は今日のタスクでいっぱいになる。自発的に遠い過去を振り返ることなどしなくなる。「10年後にどんな風になっていたい?」という問いに対して、パッと答えが出てこない。はっきり見通せる未来の範囲は1ヶ月程度で、ぼんやりとなら数年くらいだろうか。この状態がいわゆる、目線が低い=「微視的」に物事を見ている状態である。

目線が低いため、前も後ろも見渡せる距離は短い。ずっと後ろにあるものは見えず、長期間にわたって前方に横たわる物事も「壁の表面」の部分しか見えておらず全体像が掴めない。

しかし、この人の目線が高かったらどうなるだろうか?

「巨視的な視点」=時間的乖離を越える

https://pixabay.com/photos/globe-map-countries-borders-old-3383088/#content

歴史を学ぶとき、空から国や地球を見ているような感じがする。地図上に色付けされた国や地域を見る。民族の移動フローや王朝の領土拡大を矢印等で視覚的に捉えている。普段の目線の高さと位置から大きく離れて俯瞰的に物事を見ることができる。

この視点を日常生活にも持ち込んでみよう。

作業に取り組む際には全体像を把握し、過去の優れた手法を利用したり起こりうる想定外に対しても対策を講じてある。理想的な状態とも言える。

過去の流れの延長として物事を捉えることができているため、現在の状況を踏まえて未来に起こる可能性が高いことを根拠を用いて想定できる。この状態が、目線が高い=「巨視的」に物事を見ている状態である。

目線が高いため、前後共に遠くがよく見える。前方に大きなものがあっても上から見下ろすことで全体像が掴めている。

「巨視」と「微視」を行き来する力

https://pixabay.com/photos/father-daughter-holding-hands-love-822550/#content

歴史を学ぶことで、微視的な視点から巨視的な視点にシフトすることができるようになる。俯瞰的な視点で物事を見て、未来に起こりうる可能性を想定できるようになる。どんどん目線を高くして、遥か向こうまで見渡せる状態だ。

これは素晴らしい一方で、問題も生じる。目線が高いと足元がはっきり見えない。現在や少し先の未来は見えにくい高さでは、他の人と目線が合わず、齟齬や衝突につながる。半歩先しか見えていない人に対して十歩先の話をしても理解されない。

大事なのは、「巨視」と「微視」を行き来する力である。

微視的な視点を持ちながらも全体を俯瞰することを忘れない。巨視的な視点を持ちながらも他人とも目線を合わせ、足元にあることにも集中する。

終わりに

昨年まで受験生であった一個人の意見として、現在の日本の歴史教育は受験のための道具という位置付けだったとしか思えない。歴史を学ぶ意義は示されず、暗記が押し付けられるだけで、人物や出来事の名称を問う問題に対して一字一句間違えずに解答することが正義とされる。

果たしてそれが万人にとって役に立つものなのだろうか。今、歴史を楽しく主体的に学べる仕組みを作ることが求められているのではないか、と強く感じる。

参考

https://youtu.be/bJIyQjGYaz8

現状の日本の歴史教育は暗記メイン・受験のための道具であり、本来学ぶ意義があるはずが蔑ろにされています。まずは歴史に触れ始める小学生が楽しめるような歴史カードゲームを通じて、私たちのビジョンである「歴史を楽しく主体的に」を実現しようと考えています。応援よろしくお願いします!