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音楽と向き合う事〜過去や未来について〜

この頃、いくつも重要な判断を迫られる機会が多くて、少し疲れている。
そんな中で、音楽を捨ててしまおうと思ったり、忘れてしまいたい、と思ったり、逃げたいと思う事が少なくなかった。

こんな気持ちを周りの人間に分かって貰おうとするなんて、大迷惑だし、いっそのこと書かないで深く心の内に飲み込む方がずっとマシだ。

今日は、最近の自分に一つ区切りが見えたので、ここに文章を書かせて貰っている。

音楽という芸術は、実際のところ裾野がとても広い。多種多様な人物が入り乱れ、息をつく暇もなく、どんどん新しい人物が現れ、シーンも目まぐるしく変わっていく。

僕は今から20年以上前にギターと出会った。それからというもの、殆どの時間を音楽や音楽仲間と共に過ごしてきた。青春と共に、別れや出会いを繰り返し、今に至る。

自分には、才能が無いと思って過ごした時間の方が長かったし、自分の僅かながらの可能性を信じていた頃もあったが、それも1日や2日で崩れ去るような思いを何度もしてきた。

学びや気づき、といったものは今も役に立っているが、到底今のままで音楽で大成できるかと言ったら、まだまだ足りないと思う。

情熱は、ひいては寄せる波の様にやってきて、覚めた時には一人ぼっちでなす術もない、といった具合だ。

昨日、偶然絵を描いていた。描いた絵をSNSに載せると、いいねしてくれた人と共に、僕のアカウントの音楽作品にだけ、いいねをしてくれた方がいた。たかがSNSにこんなにも依存してしまっている僕も僕だが、この時に、ハッと思った。“僕は音楽から逃げているだけだった”とまたも気付かされたのだ。

一度や二度じゃ無い。このブログにも散々、僕が音楽に行き詰まっている時の文章が沢山書いてある。僕は絵を単なる趣味や息抜きとしてではなく、心のどこかで、生業にしたいと思っていたのだ。

僕は、ここ最近、新しい音楽作品を沢山SNSにアップしていた。それは、早く良い曲を作って認められたいという気持ちも有るが、もう一つ、過去の自分から早く逃げたいと思ってのことだった。

もう元に戻らない大切な思い出、友達、居場所。そういうものから逃げたいとずっと思っていた。

過去のせいにして、今の難しい問題から目を背けるのは、容易いことである。僕はいつの間にか、そんな習慣の虜になっていたのかも知れない。

有名になるとか、ならないとかの話じゃない。僕の歳になればもう、ほとんど未来など無いに等しい。それでも、何故音楽をやっているのか、今しばらく自分に問うた方が良いと思う。

今日、ふと高校生の頃に聴いていたレディオヘッドというバンドの”Fake plastic trees”という曲をイヤホンをして聴いてみた。僕が若い頃、あちこちへ行って歌った曲だ。

その音の聴こえ方は、あの頃と少しも変わっていなかった。まるで昔の友達がすぐそばにいる様な、そんな感覚だった。そう変わったのはこの街並みと、ほんの少しばかり進んだテクノロジーだけで、当の僕自身は、あの頃と全然変わっていないのだ。笑えると同時に、少し涙が出た。

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