映画『逆光』をめぐって


嫌いなもの、苦手なもの、不得手なもの、分からないもの。

それらの違いを、実生活では、ついついごちゃ混ぜにして済ませてしまう事が多い。

かといって、何かを書き列ねる段になって、それらに明確な区分を持てている訳でもないから、結局、不可分にもなるし、そもそも、それ等は互いに混合されて認識されるものなのだとも思う。

否、混合して存在しているものだ、と言ってもよいのかも知れない。

僕にとって、映画『逆光』は、分からないものとして現れた。

やや苦手な色調を帯び、不得手な世界観に包まれながら、比較的静かに、しかし、時々、とてもやかましく、目の前を過ぎ去っていった。

嫌いなものであるのかは、判然としないままに終わった。

何であれ、その人の人生にとって大切なもの、或いは、長く付き合う事になるもの、もしくは、呪縛し、苛むものは、何時だって、その様な雰囲気をまとって現れ勝ちだ。

どこかしら、歪なもの、不自然なもの、不確かなものとして、こちらの都合にはお構いなしに出現し、困惑させる。

衝撃が走れば未だましであって、しばしば、僕らはそれを、嫌いなものとして、済まそうとする。

或いは、自分には、縁のないものと遠ざける。

出来る事ならば見なかった事にしたい、己を写す鏡の様なもの、という事すらままある。

その場合には、臭いものには蓋という案配だ。 

全くそういう風貌で、映画『逆光』は現れた。

なかった事にはしないまでも、適当な暇潰しとして済まさなかったら、とんだど壺にはまるとも限らない。

そんな予感は、恐らくあったと思う。

けれども、ど壺を探るのもまた、僕の悪い性分で、文字通りの悪趣味だから、『逆光』には、もう一度、こちらから手を伸ばしてみる事にした。

その代償は、足許を掬われるくらいで済んでしまったら、それこそ災いで、人生を苛むくらいに侵蝕されようものなら、幸いというものである。

趣味というものが、もしも、何かしら心地好いもの、楽しいものだとするならば、僕にとっては、映画も文学も、絵画も音楽も、そんな役割を十全には果たしてくれそうにはないものだから、ちっとも趣味ではないかも知れない。

勿論、仕事でもないものだ。

道楽と言ったら近いのかな。

それは、最も正しい意味での業というべきものだろうと思う。

きっと、芸人というのは、業をそのまま職業に変換してしまった人等の事を言うのだろうけど、芸事をやるなら未だしも、味わうのみなんていう事は、いよいよ救いようがなくて、いっそ、清々しいくらいだろうか。 

それに、誰もが、必ずや業に苦しむという訳でもない。

寧ろ、愉しむべき面こそ多いものであるからこその業であるから、業というものは、いよいよ、深いのだ。

『逆光』は、一時間少々の、そんなに長くはない映画で、1970年代の尾道が舞台となっている。

果たして、この映画のキーワードは、何んであろうか。

三島由紀夫、尾道、同性愛、クラウドファンディング、ムーブメント、須藤蓮、渡辺あや?

どの切り口で観ても、よさそうな活動写真には違いなさそうだ。

一度目は、他に観たい映画もなかったという理由から、何となく選んで見た、そんな軽いものだった。

だから、何だかよく分からなかった、という早合点は放棄したけれども、確たる期待があったとも言い難い。

兎に角、よく分からなかったのだから、取り敢えず、パンフレットを買って帰って、翌週、もう一度、観る事にした。

二回目ともなると、今度は、こちらの見立ても、多少は定まって来る訳で、とても繊細な、悪く言えば華奢な所のある、言葉数の少し足らない、不親切な映画だな、という感じがあって、そこが好かった。

勿論、分かったという訳ではない。

そもそも、そんな事なぞ、端から目指してなどいない。 

少しだけ、自分が観たい角度やら距離やら、要するに、作品との間合いが掴めそうな気がした、という程度の手応えだった。

足許を掬われる心配はなくなった、という訳だ。

そういう次第に事が進むと、俄然、色々な事が気になって来るのが人の性だから、今度は、映画と同時に、しかし、独立した作品として製作されたという、石間秀耶の写真集『ONOMICHI』にも目を通してみる事にした。

序でに、作中にシンボリックに登場する、三島由紀夫の『反貞女大学』も、とても避けては済まされそうになくなってしまったから、そちらも読んだ。

思えば、その時、手に掛けてしまったのが、ど壺であったに違いない。 

高校生の頃に小林秀雄の『モオツァルト』に出会って以来、僕は、四半世紀、文学は小林だけですっかり満腹で、それどころか消化不良がいつまで経っても治りやしないものだから、三島由紀夫は小林秀雄との対談くらいしか読んだ記憶がない。 

今回、『反貞女大学』に合わせて、その対談も改めて読んでみた。

そうして、薄々気が付いてはいたのだけれども、ハッキリと、三島由紀夫は苦手だな、と思った。

そして、何だか、ちょっと可哀想な感じもした。

「きみの中で、恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね」

「きみの才能は非常に過剰でね、一種魔的なものになっているんだよ」

小林は、対談の中で、その様に三島の才を褒めている(美のかたち ー『金閣寺』をめぐって ー 昭和32年)。

女むけのくだらない散文(と映画の台詞にはあるのだけれども)『不貞女大学』は、そんな三島由紀夫という人の本質が、赤裸々に現れ過ぎている気がして、面白がる以前に、読んでいて辛かった。 

『金閣寺』の様な大文学を書いてのける人に、こちらが同情するなんて事は、全く滑稽でしかないけれども、凡庸な心には、天才という生き物は、不思議と可愛そうな生き物と映るものである。

取り分け、三島由紀夫という人は、あわれな色調を帯びていて、殆んど破綻している様な気すらした。

「才能(タラン)に対する天才(ジェニイ)というもの。ジェニイが自分を愛する、ということはないですか」

三島の問いに、小林は真正面からは答えない。

「ジェニイというものは、全然自分を愛さないものでしょうか」

三島が再びそう問いかけるが、話は無意識の領域へと一瞬だけ踏み込んで、また揺り戻す。

対話はその後も続くのだけれども、この時点で、二人には、既に結末は解りきっていた様に見える。

終盤、小林が「堕ちてもいいんだ。ひるんだらダメですよ」と、激賞とも、とどめの一撃とも知れない言葉を掛けていた。

そして、この対談以降、小林が三島の作品を読む事は、なかったそうだ。

「その時代の社会に有害と考えられるのでなければ、恋愛の資格はありません。そのときはじめて恋愛は文化に貢献したのであります」(『反貞女大学』昭和40年)

映画の中でもに引用されたこの一節は、何も恋愛の話に限った事ではなさそうで、蒼白い焔がメラメラと揺らぐのを、こちらは黙って眺めるしか、最早、術がない。

その焔で火傷を負う事すら、読者に許してくれそうにない。

独り火ダルマとなって燃えている。

この人の才覚は、あまりに苛烈で、居たたまれなくて、とても見ていられないものがある。

けれども、それは本当に散文を読んでの感想なのか、それとも映画を通じての感想なのか、或いは様々なもがない交ぜにされた混合物の産物なのかは、到底、計れない様にも思われた。 

僕らは、歴史的な事実として、三島由紀夫の最期を知っている。

だから、同情せずにはおられない、という作用も、勿論、ある。

ただ、それはとても小さい気がした。

三島「いつ堕ちるかわからない、馬に乗っているようなもんだな」(美のかたち ー『金閣寺』をめぐって ー)

万事、そんな色調に、紙面も画面も覆われている。

写真というものは、現実を残虐に切り抜く事に長けていて、何事も暴くのを厭わぬ性質すら帯びている。

そして、その何倍もの精力を費やして、真実を闇に覆い隠してくれもするものだ。

『逆光』の世界を写真集としてまとめた石間秀耶の眼は、映画の映像世界よりも、遥かに鋭敏に、舞台を切り取っていく。

この写真集は、全編モノクロームで余白も多く、写真の構図へのこだわりは当然としても、それ以上に、作家の意識は、写真の配置に割かれている感じがした。

全てを明きらめない優しさが、追憶の調子を帯びたページもあれば、冷たい切り口で、対象を突き放す事を厭わぬ場面もある。

時には、コントラストによって映像よりも激しいドラマを引き起こしはするけれども、とても動画なぞには耐え得ない、長い沈黙を易々と湛えもする。

言葉も動きもない世界。

石間は、色すらもぎ取ってしまった訳だけれども、その分、一層、性と死のイメージは剥き出しだ。

その代わりに、ここには、言葉の呪縛がない様で、三島由紀夫の影もちらつかない。

『逆光』に対峙する時、三島が単なるモチーフでないのは、どうにも疑いようがない事なのだけれども、映画『逆光』に三島を一々投影して観る必要なぞは、クリエイターの都合は兎も角、こちらには本来どこにもないものとも限らない。

単純に、写真を盛大に見過っているから、そんな風に思うとしても、知らず知らずに、三島の魔力に呑まれてしまっている現実を、見過ごす必要だってないだろう。

写真集『ONOMICHI』が、何かしらの魔力に呑まれずに済まされるのは、三島の意識が、徹頭徹尾、文学の中の観念であって、ある種、言葉を介さない直覚の類いには忍び寄る術がなかった、と言ったらそれもまた過ぎるのだけど、『逆光』の映像と『ONOMICHI』の写真とでは、実際には交叉点は多いのに、湧き出でるイメージは、存外、遠い。

映画は映画としての、写真集は写真集としての自立がある。

けれども、『逆光』を取り巻く世界は、そのどちらかのみでは、片手落ちと言えるくらいには混交しており、脚本は、どちらも欲している様にも見えて来る。

それでも、最後は、映画が全てを飲み干してしまうのだけれども、これはもう、須藤蓮という人の魔力の話だ。

散文やら写真集やらと、映画『逆光』を取り巻く世界に付き合ってしまったものだから、成り行き序でに、『今こそ恋しい三島由紀夫』というトークイベントにも足を運ぶ事にした。

『逆光』の主演・監督を勤める須藤蓮、脚本を担当した渡辺あや、それに、NHKの名番組『100分で名著』のプロデューサーを勤める秋満吉彦による鼎談。

いくら、映画の身辺をたむろしたところで、三島由紀夫が分かる訳でもないし、逆光が読み解ける様になるものでもない。

鼎談を直に見たかったのは、単純に、クリエイターの熱量を膚で感じてみたかったからだと思う。

実際、とても示唆的でもあり、三島由紀夫への想いは、三者三様にして熱かった。

何より嬉しかったのは、三島由紀夫という人が、こうも敬愛されているという事だった。

あぁ、『逆光』を初めて見た時に嗅ぎ分けた違和感は、全く間違っていなかったな、と思った。

僕は、相変わらず、三島には詰めがたい距離を感じている。

けれども、その人が、誰からも愛されないとしたら、それは何より辛い事だ。

沢山の人を魅了する。

故に、こちらは安心して遠巻きにも出来るのだ。

作品に触れるという事は、作者にぶち当たるという事だな、とつくづく思う。 

昨年、『サントリー作曲賞選考演奏会』を聴きに行った時の感想の繰り返しになってしまうのだけれども、現代作家の不幸は、受け取り手に顔が見えない事だ。

こんなにも、コンセプトを明確に打ち出して、情報も十二分に発信し得る世の中なのに、否、そういう社会であればこそ、その人が見えなければ、作品も届いて来ない、という事になる。

それは、作品を通じて作者にまで至る強かさが、こちらに不足しているという事情も勿論あるけれども、情報の波に遭難しているのは、案外に、創り手の方とも限らない。

ただ、これだけは、間違いたくない。

トークイベントは、決して、作者に出会う場所ではない。

あぁ、この人が、あの作品を作ったに相違ない、と得心するべき場所である。

僕らの方に、鑑賞なんぞという悪趣味を行使する積もりがある以上は、作品から作家へまで遡る義務がある。

それは歴史に対峙する態度と同じだと言ってよい。

時代というものは、過去から未来へと常に歩みを止めずに進むとのであり、その最先端を我々は日々生きている。

そんな現実に対して、歴史というものは、常に倒錯をもって現れる虚像であって、今日から過去へと遡る。

逆行を平然と行って、歴史の真実というものを、僕らはさも当たり前のものとして受領する。

言わば、そういう素朴さをもって、作品から作家へ至るのが、鑑賞の掟の様なものなのだ。

逆行こそは、何時だって鑑賞の王道であるべきだ。

この際、事実は、闇に葬ってしまっても構わない。

虚像の中にしか僕らは生きた証を刻み得ない、と言った所で、歴史は虚しくもないだろう。

歴史が無闇に美しくて、何時でも危ういもの、その為だ。

そんな強かさが、人間の内には、不思議と宿されている。

創造と鑑賞の力学にもまた、その様な妖しい力が充ちている。

だからこそ、どんな手を使っても、どんなに他人の手を借りようとも、獲物を最後は自分で仕留めてみなければ済まされない。

例え、全く模倣であったとしても、茶番であろうとも、血で手を染めてみる必要がある。

それは、作り手だろうが、受け手だろうが、本質的には変わり様のない儀礼であって、創造と鑑賞は、そんな迷信を今でも愚直にやってのける人等の血迷い沙汰、くらいに考えておいた方がよい。

実際、僕の中では、すでに賽は投げられてしまった様で、やるべき事といったら、あとはもう一度、映画館へ行く事くらいしか無さそうだった。

よく分からないものとして現れた『逆光』に、けりをつけてやらねばならぬ。

それは、何かを明らめるという様な大層な事ではなくって、受け手として、出来得る限り、そっくりそのまま飲み干して、盛大に過って受領してしまえ、という事だ。

何時だって、それが、僕にとっての唯一の、愚直で一つ覚えの、鑑賞のカタチであった。

音楽も、絵画も、そして文学も、そうやって耐えた先にしか、味わいなんていうものは一切なかった。

そんなものは、全く仕事でも趣味でもないでしょう?

その上、業ですらないのだと言うのなら、生きるという事そのものだ、と言うより他にはないものじゃあ、あるまいか。

ただ、映画でそれをやるのは初めだ。 

映画が、僕の面前に、そんな誘惑を持って現れたのは。 

『逆光』に遭遇しなければ、きっと、僕は、一生、映画に出会わずに済んだろうと思う。

丁度、年始に、エルンスト・ルビッチの映画を幾つか観て、この人を軸に映画を観よう、と誓いを立てた所ではあったけれども、月に一、二度、映画館へ通って純然たる暇潰しとしてやり過ごす、それ以上の深入りを、自らに課したい訳ではなかった。

その第一段に、何故だか『逆光』を選んでしまったのが運の尽きというのか、因果というか、兎に角、そういう生煮えな聴衆を、この映画は許さなかった。

否、隙を見逃さずに、すかさず喰らいついて来た訳だ。 

それは、決して、三島由紀夫の魔力なんてものじゃない。

須藤蓮という人の危うさに、全く掛かっているものだ。

この10日程、それこそ『逆光』の回りをしきりにうろついて、それは、既に分かりきった事だった。

それさえ分かれば、あとは至極簡単で、やるべき事と言えば、黙ってスクリーンの前に座すれば全ては事足りる。

強いていうならば、創造家と鑑賞人との決定的な差異は、そこにはある。

僕らは、黙って受けるしか、対峙のしようがない者なのだ。

互いに越えない、間合い、断絶がある。

少なくとも、僕には、それは死線と言っても差し支えのないものの様に思われる。

どちらかが、斬られる運命にあるとしたならば、それは観る者の側であるべきだ。

昨今は、観る者にも、やたらと斬りたがる人が多いのだけれども、鑑賞にコツの様なものが仮にもあるとするならば、如何に上手に斬られるか、全てはそこに掛かっている。

そして、鼎談を通じてひしひしと感じたのだけれども、渡辺あやも須藤蓮も、三島由紀夫という大才に、見事に斬られた人だった。

これは、とっても大事な事だ。

真剣で相見えて斬られた二人が、『逆光』を編み出している。

そういう人等に、今度はこちらが斬られる事を待ち望む。

全く、鑑賞というものは、因果なものなのだ。

改めて、『逆光』を観る。

三度眺めて思う。

淡くもあり、けれども存外に強かで、しなやかさすら見せながら、やっぱり、どこかしら欠けていて、不完全性を宿した画だな、と。

美というものは、決して美しいものじゃない。

これは、小林秀雄の全くの受け売りの観念だけれども、そういう美を孕んで、映画『逆光』は、はらはらと散っていく、そんな感覚があった。

それが、今、辛うじて、僕が、言葉にでっち上げられそうな、精一杯の感慨だった。

この映画を観て、20代の男性に「この映画、クソ面白くない」と言われたけれども、「でも尾道から発信していくことは応援したい」と千円のカンパを受けたというエピソードをTwitterで見たのをふと思い出す。

他方には、絶賛するコメントが沢山あったに違いないけど、僕には、この青年の偽らざる感想が、とっても眩しくて、最も的確に的を射ぬいた、至極、清らかならものに思えた。

そして、恐らくは、それと同じ様な感覚
で、僕には、この映画が面白かった。

否、段々、面白くなって行った。

観せたいものと、観たいものとのすれ違いは、必ずしも不幸なばかりじゃない。

勿論、不幸であっても構わない。

寧ろ、その不幸のカタチが、美というものの定めとも見える。

そもそも、大才の名作だからといって、僕の様な凡夫の甚だしい過ちに、きちんと耐え得るというものでもない。

映画『逆光』が傑作であるかは、僕には、分からない。

正直に言うと、怪しいものとも思う。

映画という形式には、既に一世紀を越える歴史があって、毎年毎年、膨大な新作が現れては消えていく。

その中にあって、この処女作品を、不朽の作だと言うのも虚しい事だろう。

それは、須藤蓮に限らず、三島由紀夫の大文学だって常に晒されている、歴史の復讐の様なものだ。

ただ、個人の体験という、極めてミクロな一つの歴史の中てま言うならば、『逆光』は明確な位置付けを既に築きつつある。 

作品の良し悪しというものは、付き合う時間の長さ、持続性と、どこまで辺りをめぐるか、その拡張性との、二つに全く尽きると思う。

それは、一度離れてもまた何度でも戻って来る断続性をも帯びていて、自省の効かぬ、好き嫌いでは、残念ながら、到底計る事の出来ない因果の様なものである。

そう言った、望むと望まざるにかかわらず、こちらの人生に絡み付いて来る、ある種のヤクザな性質こそが、名作、或いは、天才の本分というものじゃあ、あるまいか。

僕は、余り予言は得意じゃない。

けれども、『逆光』が自分の中で一段落した後でも、須藤蓮は、きっとまた巡って来る、必ず奴は俺の前にまた現れる、そんな予感が強くある。

もっと言えば、はらはらと散ったのは、本当のところは、映画の方ではなかった。

この映画、三島に引っ張られて観ていては駄目かもな、そんな気もした。

主役は、文江の方なのだ。

冒頭に、晃と文江がバッタリ再開する場面があるでしょう?

あのカメラワークは全く凄かった。

そもそも、この映画は、文江の眼という気がした。

全て、文江の眼を通じて、僕らは観ている。

そんな感覚に不意に襲われて眺めていたら、全てのシーンが一連なりで切れ目がない。

文江が看護師の仕事をしている場面なんて、二回見ても、あまりに作者の意識が込められ過ぎていて、ちょっと馴染めないなと思っていたのだけれども、ちっともそんなものじゃない。

文江のあの眼差しで誰をも視る、全てを視る、そのあわれな色調が『逆光』の世界という気がして、正直、ちょっと震えが来た。 

脚本家が怖いのか、監督が怖いのかは分からないけれども、この映画を観ているのは自分じゃない、僕らは彼等の眼を借りているに過ぎない者だ、という所在なさに襲われる。

絵画では、そういう感覚は、ままあるのだけれども、映像でそんな感覚に襲われるのは初めてだった。

動きがあって、音声がある。

その分、映画というものは、とっても観るのが難しいものなのだ、と今更ながらに思い知る。  

映画に比べたら、写真がなんだ、文学がなんだ、音楽がなんだ、芝居がなんだ、という怖さがあった。 

どこかしら欠けていて、不完全性を宿しているのは、すっかり観ているお前の方じゃないか、と詰められた気がした。

須藤蓮という人は、何時もこちらの見立てを軽く超えて来る。

ど壺は一つとは限らない。 

否、本当の所では、自分がどんな映画を撮ってしまったのか、監督自身も、自分で分かっちゃいないのかも知れない。

僕には、小林秀雄の様な見立ての才がないから、どうにもしようがないのだけれども、きみの才能は非常に過剰でね、一種魔的なものになっているんだよ、とでも言うべき所なのだろうか。 

否、やっぱり、黙って斬られるしか、ないだろう。 

素直な今の気持ちでもって、この映画の魅力を例えるならば、 それは、大バッハの7つのトッカータだ。

未だ、バッハが音楽の父になる前の、何者でもない頃の、しかし、既に才気は爆発しており、最も苛烈に迸っていた頃の作。

世間は、時にこれを習作と言い、稀には駄作とすら言う。

名作と断じる人もいない訳ではないけれども、この作品をもって、バッハを大作家と言う事は、確かにナンセンスなのかも知れない。

けれども、僕は、この作品がなかったら、大バッハのどんな立派な音楽も、あっても虚しいものじゃないか、というくらいには愛おしんでいる。

初めて聴いた時には、やっぱり、全く分からなかったのだけれども、いつの間にか、特別をかっさらっていた音楽。

実際、作者にとっても、終生、思い入れのある作品であったそうだ。

若さこそは絶対的な価値である。

それは、僕が20代の頃に自分に立てた誓いであって、若気の至りでもあったものだけれども、月日を重ねてみれば、その感慨は、寧ろ、強まるばかりじゃないか。

映画『逆光』は、きっと創り手にとっても、繰り返し廻って来る、特別な作品となったに違いない。

1700年前後の音楽を丹念に聴けば、バッハのトッカータへの源泉は、素人にも幾らでも容易に見付ける事が出来る。

フローベルガー、ケルル、ベーム、パッヘルベル、ブクステフーデ、云々。

それでも尚、バッハのトッカータは、僕には明らかに特別な音楽であり続けて揺らぐ事はない。

映画の界隈も、少し探れば、きっと『逆光』の源泉は、幾らでも容易に見付かるのだろうと思う。

それでも尚、明らかに特別な映画として、僕の人生に刻まれ続けるだろう事を疑わない。 

しかし、未だ一巡目が廻って来たばかりの、何とも知れない才について、ここまで言うのは、既に贔屓にすると決めたという事なのだろうから、言ってしまえば、単なる引き倒しに過ぎないな。 

そのくせ、上手に賛辞を書ける訳でもない。

まぁ、褒めたかった訳でもないから、それでもよいか。

世の中には、映画に限らず傑作が死ぬほど待っている。

一つの映画に10日も費やしてしまっている様じゃ、とても業も煮えたもんじゃない。

否、たった10日の出来事だったか。

『逆光』なんてヤクザな映画が、素晴らしい事は、もうすっかり分かりきってしまったのだから、当分、観なくたって困るまい。

名作は、観る度に姿を変える。

それは、鏡の様なものであり、こちらが生きているからだろう。

そろそろ、蓋の閉め時だな。

『逆光』の事を考えていると、すっかり飲み干されてしまいそうで、こちらの脆弱な精神が、とても持ちやしないや。 

明日にもまた魔が差して、うっかり開けてしまうだろうけど、それこそ、幸いというものでしょう?

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