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「食」の喜び

はじめに

読書をしていると、ふと色んなことに思いを巡らせ、思索にふける。
そう、読書は心の栄養であり、内省するための身近な手段なのだ。
タイトル『「食」の喜び』としたが、今回は幸福というものについて、本を読んだり、今の生活の中で感じたことを以下に記述する。

1.幸福とは

ヒトが幸せを感じる瞬間はそれぞれ多岐に渡るが、科学的に述べると「脳内に幸福物質が出た状態」とのことである。
幸福物質とはドーパミン、セロトニン、オキシトシンといったものだ。

読んだ本にはセロトニン的幸福→オキシトシン的幸福→ドーパミン的幸福の順に求めるべき、とあった。
つまり、健康(セロトニン的幸福)が全ての基盤にあって、次に他者との交流・関係(オキシトシン的幸福)、最後に成功・喜び・達成感(ドーパミン的幸福)を求めていくとよい。

これは日本人と対照的な存在として、アメリカ人のワークスタイルを考えると分かりやすい。
アメリカ人は日本人より個人主義的な部分が強いと言われる。
要するに、まず「自分」を大切にし、そして「家族」を大切にし、そのうえで仕事を頑張る、という感じである。

健康→人間関係(特に家族)→仕事、の順に満たしていくのである。

2.幸福の性質

①幸せは今であり、この一瞬という「状態」のこと

幸福は「結果」ではない。「プロセス(過程)」であると本にあった。
何かを達成した結果に至って幸せになるのではなく、小さな達成だけでもドーパミンは分泌されており、そこには小さな幸福感が存在するらしい。
仕事でもトレーニング・スポーツでも勉学でもそうだと思う。昨日より少し出来るようになったという成長実感が楽しい・もっと上手くなりたい・強くなりたいと思う原動力となる。

余談であるが私は現在、所属するアメフトチームではプレイヤーとコーチを兼任している格好であるが、チームのメンバーには「少し上手くなったという感覚を持ってもらうこと」「もっと上手くなりたいという内発的動機を植え付けること」、この2点をどう生み出すかについて日々考えてコーチしている。
そうしないと、仕事の傍らでアメフトというスポーツに時間を割き、上手くなって試合に勝とうという目標が達成できないと思うからだ。

重要なことは、苦しい努力をした結果、素晴らしい幸福な状態が得られるかというとそうではない、ということだ。この幻想に取りつかれている限り、あなたが幸福になることはない。

②幸せは劣化する

ドーパミン的幸福は逓減する。
つまり、何かを得るといったようなコト・モノに対して人はだんだん幸福感を感じづらくなっていく。
一方で、健康は今、最も感じやすい幸福。
健康であることに感謝できれば、それだけで小さな幸福感を得られる。

3.欲とうまく付き合う

最近とても感じるのが、お金の「使い方」をよく考えなければならないということだ。
お金は所持している量よりも「使い方」が上手な人が幸せになれるのだと実感している。
お金で買えるのは幸福ではなく安心感なのかとも思っている。
要するに、お金はあくまで手段であるため、使ってはじめて価値が出るということ。

その中でも私が最近お金を使ったことで満足感が高かったのは、「食」であった。それは一人でも誰かとでも構わない。

例えば、調べて新しい店に行くという行為は、行きつけの店に行くのとは違い、自分のコンフォートゾーンを出る一種だと思うわけだ。
良い店に巡り合えたら行ってよかったと思える。
次はあの店に行ってみたいと思えば、週末や次の休みが楽しみになる。
特に私は肉が好きなので、旅先や出先で焼肉屋やステーキなど店探しをする。お肉を腹いっぱい食べるために、筋力トレーニングにも精が出る。

『ああ私にとって「食」はドーパミンの源なのだ』と最近思い至った次第である。

もちろん誰かに作ってもらった料理というのは、みそ汁一杯でも涙が出そうになるくらい美味しい。身に染みる感じ、分かってくれるだろうか。
自炊をしないため、なんでも美味しいと感じられる。(笑)

話はそれるが、
「行きつけの店」に連れて行ってもらうことは逆を言えば、その人のコンフォートゾーンに入れてもらうことにもなる。
旅先で地元の人におすすめのお店を教えてもらうこともその一つなのではなかろうか。
この前いった佐渡島で、地元の方に良い店を教えてもらい、美味しい食事をできたことは良い思い出のひとつ。

まとめ

お金の使い方を上手くなって、カッコいい大人になりたい。

ご飯のお誘いもお待ちしています!ちょっと高めのところでも(笑)


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