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ヒトと自然界の境界線 〜 「Inspiration」 ジプシーキングス。自然界の境界線✖︎音楽

銀牙という漫画がある。

手負いになり、何らかの動物的本能が機能せず冬眠を忘れた熊が敵役。この熊は次々と人に襲いかかり、地元は混乱に陥っていた。討ち取り手として年老いたマタギが熊撃ち専用の犬と共に山に入る。しかし、返り討ちに合い、犬は谷底へ。マタギも重症を負う。この犬の子犬が時代に成長し、仲間と熊を倒すという物語。

子供心に犬の英雄譚よりも先に熊の恐ろしさを強く印象づけた漫画だった。

地元は相当な田舎であり、我々は圧倒的な自然と共存していた。しかし、僕の祖父母の家は更に山の奥にあった。圧倒的な山の真っ只中に。

言わば自然界との境界線。
ヒトと獣との境界線。
森羅万象の境界線。

当時、電気は通じていたが街灯は薄暗く、隣の家は近くて徒歩30分圏内。

黄昏時から明け方にかけての時間帯は、周辺は圧倒的な闇の中に溶け込んでいた。

それは人知の及ばない世界。自然界が、森羅万象が支配する社会。 

草木も眠る丑三時には、微かな虫の鳴き声、木が葉を揺する音が室内にも侵入してくる。

小川のせせらぎ、家を構成する木々が風で軋む音。どんどん自然の音の豊かさに敏感になっていく。

まどろみかけたそんなとき。

夢か現か。

獣の息吹を、どこかに感じる時があった。聞くのではなく感じる。そんな瞬間があった。

それは、じっと息を潜め、壁の向こうでこちらをうかがっている。じっと身をひそめたまま。

闇の中に微かに感じるその気配。

そんな時は必ずと言っていいほど、汗びっしょりで目覚めた。

夢か現か幻か。

気配は気配のまま終わっていた。

しかし、一つの事実がある。それは、ごく稀に祖父母の畑からウリやスイカが消えていたということだ。

そんな少年期。見えないが、確かにそこにあるものの気配を感じる力が研ぎ澄まされていたように思う。

直感とでも言おうか。

時は降り201X年、仕事で金沢市に赴いた。自由時間は、兼六園から橋を渡り城址公園を歩いて回った。

城址公園は、道らしきものはあるが、後は何もなく、奥に向かうと、圧倒的な木々の群れが周囲を覆っていた。

晴れてはいるが、どこか仄暗い。

と、嫌な感じがした。この場所に居てはいけないと直感が囁いた。周りの木々がざわめいている気がした。なんとなくその場を離れ、繁華街のある21世紀美術館の方に向かった。

東京に戻り、数日後、飛び込んできたのがこのニュース。たしかこれだったと思う。

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https://news.ntv.co.jp/category/society/5b89407696f74c4e8430ae26360b110b

第六感というのか。瞬間的シックスセンス。

ただ、霊感があるとか、第六感に優れているとか、そういうことは無いのは、これまでの人生が立証している。

言うならば直感。なんらかの囁きにはきちんと耳を傾けるようにしているだけ。

思えば、あの日々、圧倒的な田舎の闇の中に、実際、熊の気配を感じていたのだろう。

夢か現か幻か。

これらの内、どの境地にいたとしても自然と感覚を研ぎ澄ましていたに違いない。知らず知らずのうちに直感を磨いていたのだと思う。

Inspiration 

おそらくヒトには本来、この機能は備わっていたのだろう。今より境界線はあいまいで、自然界の脅威は共存という言葉以上に過酷だったはず。

この感覚、直感。日本的霊性を取り戻すことが、今を生きる我々の役割かもしれない。

inspiration = spirit



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