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【再掲】90年代の音楽シーンを辿る旅Vol.1 ~ メタリカとニルヴァーナによる変革

過去の音楽記事を全て書き直してみます。過去記事はそのまま残します。かなり加筆しているので、新しく楽しんでいただけると思います。暫くしたら有料にいたします。ぜひ、改めてお読みいただければ幸いです。

80年代から続く音楽史。90年代は以下の観点からまとめてみます。

■グランジ、ヘヴィロック
■ブラックミュージック、ヒップホップ
■アンプラグド、MTV
■ブリットポップ

今回はグランジやヘヴィロックに至る道について。

結果、ヒップホップの隆盛と相まってこのジャンルが流行る事でヘヴィメタル・ハードロックはその勢いを失っていくことになります。

↑こういう歌詞の、ダークな曲が流行ってしまった。80年代に溢れたラブソングからの変化が激しい。地球全体が、ダークサイドに移行していたのかも知れません。

と、その前に。

90年代とはどんな時代だったのでしょうか。

喪失から始まった90年代

90年代もまた70年代、80年代同様に、偉大なアーチストの喪失から始まりました。面白いもので、これに歩調を合わせるかのように世の中の歴史もまた、大きな変革のうねりの中に引き込まれていくのでした。

まず、この喪失とは、以下にあげる著名人が90年代を迎える前に、80年代という時代とともに世を去ったということ。

日本では、手塚治虫、石原裕次郎、美空ひばり、松田優作
クラシックの世界では、カラヤン、バーンスタイン。
ジャズではマイルス・デイヴィス
そしてロック界隈ではスティーヴィー・レイ・ヴォーン、フレディ・マーキュリー

それぞれのジャンルにおいて歴史的傑作を生みだすなど歴史に名を残す方々ですよね。

偶然の一致にしては出来過ぎです。

喪失の背景にあった歴史

では、その背景にあった歴史・史実はどういうものだったでしょうか。

世界史や歴史を横軸で俯瞰してみたことがありますか?たとえば、明治維新の時にフランスはどういう状況だったか?などです。

こうやって歴史を見ていると、気が付くことがあります。それは、歴史には世界的な出来事が同時多発に起きる年代・時代があるということです。

いくつか例を挙げてみます。

1️⃣たとえば1600年ごろ。この時代、東西で覇権の変革がありました。

まず1つ目、西洋の話。
西洋ではスペインの無敵艦隊が英国艦隊に敗れました。これによって世界の帝王の座(海運の覇権の座)は英国に移りました。(これによって国内産業が活発化、英国は産業革命を果たし、株式会社も誕生、資本主義社会が形成されていくことになりました。)

余談ですが、後に有名な書籍「ドン・キホーテ」を書くことになるセルバンテスという人物が、この時スペインの無敵艦隊に乗船していました。この書籍の中で描かれている「敵と間違って風車へ突撃をする」という有名なエピソードは、滅びゆくスペインを風刺していると言われています。

そしてもう1つ目の東洋の話。
日本では天下分け目の関ヶ原の合戦が起きたのがちょうどこの1600年。豊臣の覇権が徳川に移っていくことになった戦いですね。

1600年は国と国、国内での覇権の大きな転換があった年なんです。

2️⃣同様に、1700年代後半もそうですね。フランスで革命、アメリカで独立戦争が起きました。

フランス革命は、各国の王政からの共和制への移行を促進。各国に大きな影響を及ぼしました。時を下ること約200年後、1917年のロシア革命で帝政ロシアが崩壊。これで皇帝が世を治める王政というスタイルは、ほぼなくなります。

アメリカの独立は、結果として「プロテスタントの国の誕生」「国の拡大の過程としてネイティブアメリカンの迫害」や「黒人奴隷貿易の発展」などいろいろな動きにつながっていきました。

3️⃣そして、世が90年代に差し掛かろうとしていた1989年もまさにそんな世界史の符号が合ったときでした。

日本では昭和64年の1月7日に昭和天皇が崩御。30年続くことになる平成の世に移ります。

ドイツではベルリンの壁が崩壊し、東西統一が成し遂げられました。その流れで冷戦崩壊が現実のものになります。


冷戦終結、南アフリカのアパルトヘイト停止やネルソン・マンデラ氏の解放など90年代は幸福に彩られるのかと思いきや、、、

この壁の崩壊に端を発し、社会主義の崩壊が明白になり、これまで社会主義・共産主義の下に強圧的に引かれていた国境が意味をなさなくなります。

結果として、国境の中に無理やり移住させられていた民族のアイデンティティを呼び起こすことになりました。この民族浄化運動により各国に地域的な独立気運が高まり、連邦国家だったソ連が崩壊、社会主義への歴史から審判がくだされました。

同様に、ユーゴスラビアはセルビア、クロアチアなどに分裂、チェコスロバキアはチェコとスロバキアに分裂していきます。

(余談ですが、ユーゴ内戦の影響で、当時世界最強だったストイコビッチ率いるサッカー・ユーゴ代表は、1992年の欧州選手権への参加を停止されました。その代わりに出場したデンマークがこの大会で優勝!なんともドラマチックで伝説的な結果になりました。)

そして1991年1月17日に湾岸戦争が発生。
アメリカ主導の戦い故、アメリカ国内では、ジョン・レノンのイマジンなどの演奏が禁止されます。(911のテロの時も同様でした)。

だんだんと世界は暗い方向へ。。

音楽のムードの変調。怒りのムードへ。

80年代の「きらびやかで明るい」雰囲気の中で、ひそやかに進んでいた格差社会のあおりをうけた社会の底辺にいた若者たちが、その怒りを音楽にのせてぶつけ始めます。

(70年代の英国病のあおりを受けた若者が怒りをぶつけたというパンクの出自と似てますね。パンクがニューウェーブを生み出し音楽の歴史を変えたわけです。)

この時、90年代初頭における20代にとっては、80年代がリアルタイム。かつ70年代は手が届く過去。80年代のきらびやかな商業主義への反発からか、古典的かつ反体制的だった70年代初頭の原型をモチーフにした音楽を奏でていくようになります。

歴史は繰り返すといいます。これは振り子のようなもので、ある一方に振りきれると、また同じ方向に戻っていきます。

90年代初頭、多くの若者は70年代の原型を愛し、70年代のマインドの復興を試みます。

その発端となったガンズ・アンド・ローゼスは90年代風のエアロスミスやパンクを復興させていたと言えます。


そんなこの時期の若者たちのマインドに最もマッチしてしまったのが、70年代初頭からヘヴィメタルのヘヴィな部分をつかさどっていた、黒い安息日ブラックサバスの音楽性でした。


ブラックサバスについては、後に詳述いたします。彼らが登場したころの70年代の英国は、英国病といわれた不況のどん底。彼らの故郷の鉄鋼業も下火に。彼らはその場所で、退廃的な歌詞を書き、それを暗く、どんよりした重たいムードの曲に乗せて歌っていました。

このブラックサバスを愛する若者たちの音楽は、必然的に希望の無い歌詞だったり、無闇に沈み込んだどんよりとした音だったり、歪んだ魂の絶叫だったりしたわけです。

これがアメリカのシアトルあたりの地下社会、アンダーグラウンドシーンにて蠢き始めます。

この動きも本来の住処(すみか)である地下だけでのものだったらよかったんですが、やはり何度か繰り返される流行のとおり、このアンダーグラウンドの熱量も解き放たれる時が来てしまいます。

(このアンダーグラウンドの熱量の解放もいつか来た道です。ニューウェーブの発端のパンクムーブメントや、オールドウェーブといわれたメタル復権のムーブメントNWOBHM、LAで沸き起こったLAメタルムーブメントと、とても似ています。)

変革の要因1、ニルヴァーナ

この熱量の解放が再び起こった93年。あのバンドがなんとメインストリームに躍り出てきてしまいます。彼らの登場後の歴史を知っている身からすれば、ずっと地下にいてくれてよかったんですが。彼らの音楽の衝撃は全米はおろか、全世界を覆いつくしていってしまいます。

そう、カート・コバーンのいたニルヴァーナの登場です(結成は87年)。そして彼らを中心とした、暗く歪んだ音楽を奏でる面々のジャンルが「グランジ」と呼ばれるようになります。



彼らは「Smells Like a Teen Spirit」という楽曲がもたらした伝説的な誤解から瞬く間に時の人に。

(teen spiritという若者向けの安い消臭スプレーがあったようです。カート青年は、ある日、とある女性に「あんたteen spiritくさいわよ」と言われたようです。別にそれで傷ついたわけでもなく、それが面白くてタイトルにしたらしいですね。たぶん多くの日本人は10代の精神をうたったと勘違いしているかもしれません。そんな歌が世の中を変えてしまったんですね。)


変革の要因2、メタリカ

そしてあのバンドもついに音楽をヘヴィな方向に向け始めます。メタリカです。スピードを突き詰めた彼らは、重く重く、ベースやドラムの音を重視するバンドに変容します。「メタリカ(通称ブラックアルバム)」は91年に発表されます。まだメタル魂を忘れていない頃なので、良いアルバムではあります。しかしこのアルバムがメタル界に与えた影響は大きかった。

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