見出し画像

奢って、奢られて

 先日ワイドショーで「年下に奢るのか、どうか」というテーマで話していた。ふうん、と、ながら見。話題が「ママ友同士は奢りません!」という、独身には地平線の向こう側にある方向へ飛んだところで、視聴離脱をした。結論は「年下なら奢る」が多かったような。このエッセイ、我が身の参考にしてもらえればということで、私のどんぶり勘定論をここに記したい。

 まず「友達には年齢差にかかわらず、祝い事以外は割り勘で」。30代当時、年下には奢らなくてはいけないと、景気も良くないのに景気が良さそうに見せかけて奢っていた。セコい話ではあるが、明らかに自分の財布が狙われていると感じたこともある。そんな折、仲良くしていたひとまわり年下の友人がこう言った。

「久乃ちゃん、友達なんだから割り勘でいいよ。ずっと奢られていると、ごはんに誘いにくくなる」

 腹落ちした。確かにそうかもしれない。金の入っていない財布を狙うような輩は、結局は今後の人生において必要な人物にはならない。

 仕事をした若手の俳優くんに飲みに誘われて、さすがにこの場所は払わねばとまた見せかけのような財布を取り出すと、

「小林さん、ここは割り勘で。だって仕事は終わったから友達でしょう」

彼は大人だった。最近、雑誌の編集長に昇進した後輩も同じようなこと言っていた。仕事でお世話になるかもしれないし、と自ら会計をしようとすると

「あ〜、やめましょ、そういうの。ご飯も仕事も対等で行きましょう」

彼らは自分の振る舞いが、今後どのように人間関係を構築していくのかを知っていた。もちろん、本当の意味での後輩には奢るけれど、基本は割り勘。加えて私が年下に奢るとしたら、職業柄による情報収集。若手から得る情報を文章にして生活費に還元しているので、投資額は消散してはいないはずだ。

 そして奢られるパターンについては「明らかに私よりも年収が高い人には積極的に奢られる」。年商、年収が億を超えているような大先輩に奢る方が失礼だ。その代わり、前述のパターンをここで活用して今度は私が奢ってもらう側に情報提供をする。年商5億円の社長がこう言ってた。

「お土産なんていりません。その代わり、僕にいい情報をください」

他人を接待して自分の知らない世界の情報を掴み、それを数千万円の商売にするのが経営者だという。私なんぞの雑談が美味しいお酒に変わるのなら、いくらでもネタを差し出す。付け加えるとしたら「会社の経費では積極的に奢られる」。私が浮遊しているメディアの世界では多く見られる、経費使用の打ち合わせ。基本的には支払うつもりで参加している。とある日、仲良しの編集者から一言があった。

「ここは経費で支払います。その方が私も都合が良いので」

なるほど、ということで多くは語らず、双方の財布を傷めないように、と収める。何よりもいい年齢と言われるようになってから、他人に奢ってばかり。たとえペットボトル一本でも奢ってもらえると嬉しい。本当に嬉しい。中年には命取りだけど、その場から100メートルくらい、スキップをしたくなる。

 以上が現段階における支払い事情。こうして書きながらふと思いだしたことがある。知人に「後輩には奢るようにしている。私もそうしてもらっているから」と話したところ

「それさあ(私の出身地)、浜松だけじゃないのぉ? 東京出身同士だと、後輩に奢るなんてこと全然ないけどねぇ」

今思い返すと、かなり腹立たしいことを言われたことがある。そんなわけがない。日本で年上が奢るという行為には、儒教的な部分がある。地方と首都圏で落差が生じるなんてさすがに地方を馬鹿にしすぎでは……と、聞こえないように胃袋内でブツブツ。

 ただ知人、年上の男性の前では徹底的に財布を開かない性分である。「男には奢ってもらうのが当たり前だから」と。この乖離をどう説明してくれるのだろうかと、また念仏のように唱えた記憶を回想して、本日終了。



この記事が参加している募集

この経験に学べ

新生活をたのしく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?