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ひさみの超私小説⑤:私の日本での最後のキャンペーンは"Beauty Isn't About Looking Young(美しさは年齢と無関係です)"
私の超個人的なお話⑤。前回の④では、父の死や母に結婚を告げたエピソード、米国移住を決意した結果起きた周囲の声「英語のできないお前は米国ではコンビニのキャッシャーぐらいしか務まらない」など、日本の当時の男性中心の企業社会をまとめた。今回は私の日本のエージェンシー時代のエピソード、結婚式、ハネムーンで降り立ったSFの空港で不法長期滞在と疑われたことなど、盛りだくさんな出来事を記す。 「女主人公の銃の撃ち方がリアルなので」と答えて、Cliniqueの担当営業となった私1980年、
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昭和53年度卒業川上ゼミ「公共広告」ーその理論と現実②:第3章第3節 アメリカとの比較における「公共広告」の示唆するもの 文芸学部4年E組14番大柴ひさみ
1979年3月の卒業時に提出した私の42年前の卒論を、自らの備忘録の1つとして、週末、投稿した(目次、はじめに、おわりにの3つ)。182ページと長く、かつ全て手書きなので、ここに全てをアップロードするつもりはないが、とくに興味深いと思われる、第3章第3節を今回は記したい。 42年前の私は、まさか38歳でアメリカ人と結婚して、米国に永住するとは夢に思っていなかったが、この卒論の中で日米比較をしており、やはりこの文章はアップロードすべきだ思う。文章がくどくてナイーブな視点で目を
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