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ひさみの超私小説

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ひさみの超個人的なお話
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記事一覧

ひさみの超私小説⑦:「ひさみはどうして広告のプロフェッショナルとしての仕事を探さ…

私の超個人的なお話⑦。前回の⑥では、長期違法滞在者と思われてパスポートを取り上げられたり…

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ひさみの超私小説⑥:私の髪の色は?目の色は?肌の色は?何色?

私の超個人的なお話⑥。前回の⑤では、お茶くみ・コピー取りがエージェンシーの女性の仕事だっ…

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ひさみの超私小説⑤:私の日本での最後のキャンペーンは"Beauty Isn't About Looking …

私の超個人的なお話⑤。前回の④では、父の死や母に結婚を告げたエピソード、米国移住を決意し…

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ひさみの超私小説④:「英語のできないお前は米国ではコンビニのキャッシャーぐらいし…

私の超個人的なお話④。前回の③では、昭和天皇の戦争責任と恐竜の化石の寄付という2つのエピ…

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昭和53年度卒業川上ゼミ「公共広告」ーその理論と現実②:第3章第3節 アメリカとの比…

1979年3月の卒業時に提出した私の42年前の卒論を、自らの備忘録の1つとして、週末、投稿した(…

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昭和53年度卒業川上ゼミ「公共広告」ーその理論と現実①:文芸学部4年E組14番大柴ひさ…

42年前の私の考えと今の私の考えの共通点に驚く今朝、1979年3月に卒業した当時、かなりの時間…

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ひさみの超私小説③:恐竜の化石より価値ある誕生日プレゼント

私の超個人的なお話③。前回の②では、英語の"If"が聞こえずにプロポーズされたと勘違いして、結婚のプラン作りをしてしまったことを書いた。今回は実際に結婚する前の幾つかのポイントとなるエピソードを書いておく。 「昭和天皇の戦争責任について、君はどう思ってる?」1994年の夏、私はとても楽しく多忙だった。「シンカンセンひさみ」の異名をとった私は、毎週のように、土曜日の早朝、真っ赤なユーノスで、彼の赴任先の田舎町に向かった。 彼のお気に入りの地元の居酒屋「あかさたな」は、穴蔵の

ひさみの超私小説②:2時間話さなくても心地よく感じる、『結婚』ってこういうものか…

前回の出会いが好評だったので、気を良くして、その後を語ります。私の超個人的なお話② 「緑…

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ひさみの超私小説①:27年前の雨の六本木ラブストーリー

1994年3月24日木曜日の夜に起きた、私の超個人的なお話。 「日本酒ですか?」「今日は和食に日…

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"Rhythm, Country & Blues” A Comparison: by Hisami

今から25年前、米国に移住した私は、ESL(English as a Second Language)のクラスに通いだした…

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あるバレエダンサーのお話

ひょんなことから叔父の名前をバレエのプログラムで発見した。父は男ばかりの8人兄弟で、上の…

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遠い昔の片想い

滅多に過去を振り返らない私が、昨日ひょんなことから、大学1年の夏休みに片想いをした男性を…

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「さみしい(淋しい)」と「さびしい(寂しい)」の違いと、鼻濁音と「津軽海峡冬景色…

今朝母のコトを思い出し会えなくて「さみしい」と声に出して言った。「さみしい」と「さびしい…

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