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6月の日記 台湾旅行とその後



 5月の末に台湾に行った。友人のトーマくん(仮名)が誘ってくれた、というか、「これまで海外に行ったことがないけど行きたいとは思っていて、けれどどうにも勇気が出ず、ながいこと道連れを探していたんだが、どうか」と声をかけてくれたために巻き込まれ、特に台湾への気持ちはないんだけど、行ってきた。誰かと一緒に海外に行くのははじめてだった。


 人と行くと大胆になれる。食事の選択肢も増える。台湾のイメージといえばホーシャオシェンの映画、千と千尋の神隠し、呉明益(小説家)にテレサ・テン。水木しげるが喜んで旅行してる記事をみかけたこともあったから、妖怪スポットという印象も持っていた。

士林夜市


 九扮(くーふん)や夜市(よいち)などのいわゆる観光地や、野柳地質公園(のりゅう?)という日本人観光客にはまったく知られていないヘンテコスポット(風化途中の奇妙な岩石がみられる場所)、日本統治時代の痕跡も残る温泉地、単にローカルで、決して治安のよくないだろう一画や、ギャラリーやオルタナティブスポット等、いろいろな種類の空間をのぞき見してまわったが、なにより面白かったのが、ホステルで出会ったひとりの人によって、さらにもっともっとたくさんの人と出会って、最終的に十人くらいで過ごした夜があったこと。フィリピンの人と台湾の人と香港の人とが、暴力や分断へのふさわしい対応についての話をしているなか、自分が持てる意見はどれも机上のもの、言葉に込めることのできる密度に、落差という表現では歯が立たないほどの決定的なレベルの違いがあることに引け目を感じた。

野柳地質公園



 トーマは自分の住んでいる場所を「SHIGAといって、KYOTOの近くだ」と人に紹介していた。台湾で出会ったまた別の人(ベトナム出身で日本在住の人)は、職場が渋谷だと紹介してからなおしばらく会話が続いたのち、「さっきは渋谷だと嘘をついたけど、本当は恵比寿だ」と打ち明けてくれた。おれはもし自分がそんな話をするときには、そんなのはどうでもいいと思ってしまって、簡単に「京都です」「渋谷です」と言い切ってしまう。嘘だとは感じない。



 台湾に行く前の週末には、米軍基地のなかに入った。横田基地で、「日米友好祭」と冠したお祭りがあったのだ。基地内には米軍兵がいて、ツーショットでの写真撮影サービスを行っている。また、おおきなおおきな軍用機に乗ったたくさんの米兵が、空軍ワッペンや横田基地ステッカーを「餅撒き」みたいにして、腕をのばして声をあげて群がる来場者たちへと投げている。米兵らのやっている、どの程度わざとなのか判断しづらいヘロヘロの字で書かれた「がいじんパンケーキ」という看板の屋台を指さして笑って写真を撮る来場者、最新のドローン偵察機の見た目がおそろしい。ホンモノのミサイルをはじめて見た。

"餅撒き"の現場



 空軍基地である。コンクリートでひたすら平滑にされた、なにもない空間がひろがっている。飲食の屋台のほかには、実際の軍用機の展示と、バンド演奏があり、しかし敷地はそれで満たせるような広さでは、まったくない。
 米兵らによるメタリカのカバーバンドの演奏が遠くから聞こえてくる夕方が、もっと経って夜になったら花火がはじまる。花火がはじまるまで、なにもない広いだけのコンクリの地べたに、はぐれないように(携帯の電波は使い物にならない)まとまって座る人たち。そのスペースは普段、人の行き来のない場所だから街灯のようなものはないし、電飾をまとった屋台だって、敷地の広さに対してはあくまでとてもとても限られている。祭りの規模と華々しさを思うと、あたりはとにかくよっぽど暗い。花火を待つためにちんまり寄り合う人らが空間を埋める様子はどことなく、戦災や震災のあと、焼け野原や公園に、行くあてのない生き残った人たちがひとまず集まっている様子を幻視させた。阪神淡路大震災のときに神戸を訪れたのはまだ子供のころだったけれど、どこかの辻か広場に、大勢の善意で集められた靴がたくさん並んでいるのを見たことを思い出した。靴がないと歩くのが危ないからだと思う。新品なのか中古なのかわからないけれど、いろんなサイズのスニーカーが交差点いっぱいにひろげられていた。まあ、子供のころの記憶だ。事実ではない可能性も高い。


 佐世保出身のトーマくんとも話したが、台湾は、むしあつさや、料理のおいしさの種類、垂直方向にも水平方向にも激しい海沿いの地形(急峻でリアス式)に長崎を思い出したし、タイにもまたすぐにでも行きたくなった。

 これまでいろいろなところに行ってきたけれど、それら旅のことを書き留めていないことがずっとやわらかく自分を責めている。経験するぶんには楽しかったが、わざわざアウトプットしても、その作文のひとりよがりさにゲンナリしてしまいそうで書けない。書かないなら書かないでなにも悪いことないじゃんかと思えないのはつまり、自分はなにかを書かなければならない、そうじゃなきゃもったいない、という思いを自分に押しつけているんだろう。


本文と関係なし・台湾でのスナップショット


 4月の末の個展がおわり、コンペの締切と、同人雑誌の原稿の締切と、台湾旅行とがすんで、ほかのところへの原稿提出の締切がすんで、急にやることがなくなった気分で6月。額装代などギャラリーに振り込むべき額があって、おおきなおおきなキャンバスも買いたいし、夏にもまたお出かけをするのでお金がでていくばかり。6月のはじめは天気がよくて、なんだかすがすがしく、からっぽな気分。

 ミョウガを刻んで、レトルト味噌汁にいれる、ってな程度のことではあるが雑な軽い料理をしていて、それはそれだけで非常に心によい。充実感がある。胸のなかにはりきった気分というか、つやつやしたものがみなぎる感じがある。


 じっとしていると不安になる。動いていないと我に返ってしまう。劣等感と将来への不安が殺到してくる。だから動くしかない。一緒に制作している人もいないし、制作を管理監督されているわけでもなくひとりきりでいるから、まずは自分から手をあげないとどうしようもないらしい。それでエーリクくん(仮名)に、グループ展をやろうよとわざわざ声をかけると、「ふだん制作を共有している間柄の人同士が自然な成り行きで展覧会をつくっていくことには違和感がないけれど、そうじゃない場合というのには簡単には前向きになれない。企画者の意図がわかりやすいかたちで提示できないと、その展示をわざわざ見にきた人に対して不親切である以上に、仲間内でやってみただけっていう、学生レベルというか、みっともない次第になる可能性がある。実験すること自体は悪いことではないが、第三者からしても「やってみたい」「みてみたい」と思わせるだけの実験でなければ、自分はとうてい参加できない」とめちゃくちゃ正しいことを言われて、言われるまでそんなことさえ踏みしめられない自分を自分がさらにいじめる。いやしかし、同情的に無条件に肩を抱くんでなく、冷静な指摘をくれるとは、よい友達をもったものです。いや、ほんとうに。


 そこで、ギャラリー規模で行われるよいグループ展ってなんだろうって考えてみると、これがよくわからない。一番わかりやすいのは「猫の絵だけです」みたいな具体的なワンポイントでまとまってるやつ。まあこれは「よい」じゃなくて「わかりやすい」の話だけど。

 企画意図・コンセプトが強くステイトメントされているグループ展はたびたび、企画意図を補助する挿絵として作品があるだけなようにもみえて、読みを拘束されているような気もするし、作品が瘦せさせられているような気もする。平面や立体や音響や、さまざまな形態で空間を満たした展示は充実感があるけれども、それはなんていうか、ごまかされているような予感もする。「よかったなあ」と思う展示はすべて、その感想を解剖すれば結局は、いい作品があった、というだけでしかなかった気もする。


本文と関係なし・台湾でのスナップショット


 ここのところ読んでいたのはイーフー・トゥアン『空間の経験』アンナ・カヴァン『氷』さくらももこ『ひとりずもう<漫画版>』羽生生純『ワガランナァ』伊藤俊治『最後の画家』高山なおみ『日々ごはん』トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』サローヤン『ヒューマン・コメディ』など、それから、おすすめだよ、と前触れなく貸与された萩尾望都の短編集『11月のギナジウム』
 背表紙にあるあらすじを読めば、表題作はのちにあの『トーマの心臓』につながる、いわば原作といえる短編である、と紹介があって、そういえばトーマの心臓ってどんな話だったっけかと、こちらを先に読み直す。

 舞台は全寮制の学校。ここの生徒のトーマが死んでしまった直後にやってきた転校生エーリクが、ひとまずは視点人物である。エーリクはトーマそっくりの顔をしていて、そのことによって話が暴かれていく。転校生エーリクは「みんなが僕の顔をみて思い出してるトーマって誰なんだろう、みんなはどんな思い出を僕に重ねてるんだろう」っていう戸惑いを抱きながら日々を過ごし、伴走する読者はエーリクとその戸惑いを共有しながら、オスカーやユーリなど、ほかの寮生たちの人間関係を覗いていく。

 謎に迫っていくというモチベーションによって進んでいくストーリーだが、様々な登場人物のモノローグが交差して進んでいくために、コマの切り替えと話者の切り替えが複雑に重なってて、しっかり読もうとするとなんだかめまいがしてくる。どうしてこんな複雑なプロットを組めるんだろう? 回想だらけでノスタルジックでトラジック。根本にあるのは「とりかえしがつかない」という感覚で、事物に意味を与えること(空間を場所に変換すること)が繰り返されてく感じ。

 短編集『11月のギナジウム』も含め、「血縁」が運命の表象だったり、愛の象徴だったり、とにかく初期の萩尾望都世界の「家族」へのオブセッションは異様なほど。登場人物らはたいてい金持ちで、別荘地があるのも当たり前だし、全寮制の学校に行きもする。ってことは家という場所や故郷という場所はそんなに大切じゃない。血統図を校正することだけが大切。

本文と関係なし・台湾でのスナップショット



 展覧会ならたとえば清澄白河、現代美術館に、朝の労働のあと行きました。志賀理江子さんと山内公太さんの二人展では、報道や共有や啓蒙としての美術ないし美術館っちゅうスケールを目にする。つまり、ひとり世の中の隅っこでお絵かきしていると忘れがちな「公共」という視点を復習した。あとは単純にマルとかシカクの、造形的なハレーションも見た。有料企画展をやっていない時期で、人がいないのでゆっくりできます。コレクション展は、歳が近い人や面識のある人の作品も少なくなくて、なんかへこんでしまった。ここに自分の作品が並んでたら、しょっぱいなあという気がする。

 すぐ上野に移動し、西洋美術館でブルターニュ界隈な展覧会。ルドンがよかったし、ドニもたくさんみれてうれしかった。目玉たるゴーギャンって、なんていうか、なんかピンとこないんだよなあ。と、たいしてじっくり見なかった。が、また別の日に、エーリクくんがこの展覧会の感想を言っており、ゴーギャンのすごさについて言葉を尽くして説明してくれた。自分とこの人とでは、おなじものを見ても、拾うことのできる情報の量や精度がまるっきり違うんだなと思う。エーリクは視覚芸術についちゃサラブレッドだもの、そりゃかなわないよ。こんなに簡単に傷つくような自信のなさ&自尊心の高さは、つい数か月前に書いたエッセイの「人目を気にしてちゃ自分の絵はかけねえ、勇気が必要な仕事をやってこそじゃねえか」ってな内容とまるきり矛盾している。

 西洋美術館のコレクション展はとても久しぶりで、懐かしいようで、落ち着きました。そしてさらに、パリやスイスやイタリアやらなんやらに行ってきた自分の目が変化していることを感じました。
 予備校生のころに通った西洋美術館は「西洋美術のクラシック・マスターピースのすべてがここに!」というミュージアムだった。しかし、ほかの国のいろいろなものをみてから改めて所蔵コレクションに触れると、「いいものぞろいではあれ、あくまで、コレクターの目利きが反映されたラインナップでしかないんだろうな」って気に素直になった。

 どうしてもどうしても寿司が食べたくて上野のスシローにいったら一番やすい皿ひとさら150円でぶったまげ。厳選の4皿とたくさんのガリを食べてから店を出て、モチーフになるような小物は売ってないかと思い、アメヨコの、日本みやげの店をのぞいたりするが、活気もにおいも雰囲気もまるきりタイやら台湾の思い出のとおり。

 外苑前へさらに移動して駅前のドトールへ。いたずらに絵を描きながら待ち時間を過ごす。隣の席ではダイタクがコットンがネルソンズがどうの、と、明らかに吉本興業の人がウェブ会議していて、出ていった彼を追うようにオレは日本青年館にむかう。オスカー(仮名)に誘ってもらって、お笑い賞レースのTHE SECONDにちなんだお笑いライブにやってきたんです。

 芸歴16年以上を条件に参加できる大会の、最低でも準決勝までいったコンビだけの登場するライブなので、質も、余裕も、すごい。もちろんすごくおもしろいし、いい意味で緊張感がない。
 誰かがラジオで、「若手のころは、ネタという作品を客に対して見せつけてやるぞ!って気持ちもあったけど、キャリアを積むうちに、お客さんといっしょに楽しい時間を過ごすために、ひとまずはネタを使う、みたいな気持ちにシフトしていった」なんてこと語っていた。自分の型をみつけることはもちろん必要だけれど、それが体に馴染んで、馴染みすぎちゃって自覚もできないくらいになってからがもっとおもしろい。しっかり自分の型をみつけてさえいれば、ネタ飛ばそうがどうしようが、その真ん中にはその人らしさがあるわけだから破綻することはない。そんなことを思いながら眺めていた。すごいなあ。

 2時間のライブが終わるとそれなりに雨、オスカーとタイ料理を食べて、会社でのうまくいかなさや、非常に無礼な上司がいるとかの近況を聞き、終電で帰って翌日は労働。十連勤のち一日休み、八連勤、二連休、六連勤、一日休みでこんどはなんと十四連勤、みたいな働き方してる。一日べったり集中して疲れるような労働じゃないから心身に無理はないけど、これは、これで生きてちゃ生活何年も続かないですよ。

本文と関係なし・台湾でのスナップショット



 人と会う約束があるとようやく、かろうじて張り合いを持てたりもする。ここんとこ半年くらいの「それ」をおおいに担ってくれているユーリさん(仮名)と相変わらずしばしば会っている。ムーミンみたいなかわいいおっちゃんです。4月の個展もきてくれて、そのあと秋葉原でご飯を食べたね。それからひと月か。新宿で会って、近況報告をしたと思えば翌週、仕事で立川まできてるよ、とメッセージをくれたので立川でご飯を食べた。まだ月曜だっちゅうのにほんとうにくたくたに疲れていて、目がちいさくちいさくなっている。顔の造作も佇まいも声や喋り方も腕や視線の動かし方もやさしいけれども、とにかく腕が太いので、安心しきれないこわさがあり、おもしろい。年始、彼の誕生日にあげた恐竜柄の靴下を、会うたび履いてくれている。
 恐竜が好きという自覚はないが、自分の書く文章を見返すと、必ずと言っていいほど恐竜が登場している。ところで最近よく襲われるイメージがふたつあって、ひとつは、大勢の尼僧でみちみちぎっしり満員になっているロープウェイのイメージ、もうひとつが、リクライニングチェアや岩盤浴、アロマアイマスクや鍼治療など、さまざまな手段でリラクゼーションを施される恐竜のイメージ。は?

 最近のことだと、あと、ていうか、えっとトーマの心臓の登場人物ほかに誰がいたかな・・・

 まあモトくんとしましょう。モトくんはローマで映画の勉強をしていた人で、わたしは彼の家に泊めてもらうことでイタリア旅行の宿泊費をゼロにしたんですが、モトくんが映画関係の学会のために東京にくる必要があるっちゅうことで「泊まってもいい? こっちはローマに泊めたけど?」と連絡があり、「いいよ」と返信しながら(福生だぞ)と内心いぶかる。最寄りの駅に到着するとき、車窓から「奥多摩へようこそ!」って看板が見える場所から、山手線の内側の学会会場まで、片道二時間みておいたほうがいいことをモトくんは知らずにやってきて、案の定というかなんというか、「電車がないので都内で一夜を過ごします」といった連絡がきた夜もあった。

 モトくんがきた夜、家までの道にでっかいクワガタがいて、ラッキー!と思ってつかまえようとしたら「やめとき!」と叫ばれた。「ぼく虫あかんねん」とのことだったのでやめたげた。そんなモトくん、うちのアトリエ部屋のなかにちっちゃなちっちゃなゴキブリがいること発見しやがって、まだ見つかっていませんが、まだいるのかな・・・・いやだな・・・いてもいいけど、育たないでほしい。

 モトくんが参加した学会の会場はセレブリティ・タウンで、昼を食べることのできるようなちょうどいい店がまったくない。コンビニもひとつしかない。その日その町にいる、高い高いレストランでランチをするわけにはいかない人全員がそのコンビニを利用するので、唯一のコンビニの棚がすっかすかで、栗饅頭とバナナしかなかったって言ってて、このディティールがおもしろかったからメモっとこうと思ったんでした。

これはローマでのスナップショット



 彼が帰った翌日、寄ったスーパーのサッカー台にゾウムシがいて、「虫だあ~」と思って自然と指でつついてた。その夜、でっかいでっかいクワガタをつかまえる夢をみた。虫への親しみが子供のころのように回復してくる兆しかと思って少し嬉しかった。虫をこわがるのを傲慢でダサいことだと考えてはいるが、実際にはビビってしまう自分を恥ずかしく思って生きていますから。

 夢のクワガタはiPhoneケースみたいな「指を通すリング」がついていたのだが、この夢を見たのは、職場にiPhoneを置きっぱなしのまま帰っちゃった日でもあったから、指をリングに通したくて見た夢だったのかもしれないけど。子供むけ造形教室でも働いているのだが、そこに通っているちびっこの一人が、ちっちゃい虫を見つけるたび、大声で「くいとめる!」としっかり叫んで腕を振り上げ、ちっちゃい虫を全力で殺生する。



 また別の労働先である大学では健康診断があった。採血する人、一度差した針を血管のなかでぐりぐり動かすもんで痛い痛い。血も全然でないし、針が血管をつきぬけていきそうでこわくてこわくて。で、違う人にリトライしてもらった。判断はやかったです。「痛いですよね、すみません。一度抜いて、別の人にやってもらいます」って。次の人はするするすると済んで問題なし。しかし両方の肘にバンソーコーと包帯にピンクの止血バンドを結ばれた欲張り患者になってしまい、水泳教室の子供がオレンジ色のミニ浮き輪を両方の二の腕につけている見た目を連想する。恥ずかしさもあってうふふふ、とニヤけつつ、次の項目「視力検査」にむかうため、採血のカウンターからくるり背を向けると待合ベンチが並んでいる。そこにはトラブっている私の一部始終を背後からみていただろう人が座っているわけだがそれが一方的に知っている有名な作家で動揺した。美大の健康診断、待合にしれっと作家がいるのおもろい。



 空中に小さな黒い点があって、それがふらーっと落ちてくるのを目で追ってたら机のうえで止まって小さな虫になった。「虫が落ちてきた」という言い方は、黒い点が虫だったとわかったあとの言葉遣いだから、落下を眺めてるときはあくまで黒い点がそいつの「正体」ってことで正解なんじゃないかと思う。

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