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9-4 ビール名所めぐり #4 ビール坂&恵比寿ビール工場跡(恵比寿ガーデンプレイス)

前回に続いて「ビール坂」縛り…というわけではなく、たまたま都内に行く用事があったので、そのついでに恵比寿周辺にある有名な方の「ビール坂」と、ビール名所巡りで絶対に外せない場所の一つ、サッポロビールの恵比寿ビール工場跡地(恵比寿ガーデンプレイス)周辺をブラブラしてきました。

現在の恵比寿ガーデンプレイスから恵比寿駅の間では、あちこちで「ビール坂」と呼ばれている坂があるようなのですが、上の Google Map のマイマップでは、青ルートが明治時代のビールの出荷ルート、赤ルートがビール工場に戻るルート(ひるべえの想像)で示してみました。青いポイントの工場北門跡から、赤いポイントの恵比寿駅の貨物駅までをつなぐルートですね。

紫で塗りつぶした恵比寿ビール工場の敷地範囲は、サッポロビール公式サイトにある工場閉鎖当時の航空写真エビスビール記念館にあったジオラマ模型を参考にして示しました。

恵比寿ビール工場が閉鎖された後、恵比寿の街並みはすっかり変わったそうですが、道路や地形的には、まだ多くの場所で当時の面影を残していてくれて嬉しかったです。


現在のビール坂の風景

サッポロビール本社近くの恵比寿四丁目交番の前を通り過ぎて、ビール坂に入ったところから写真はスタートします。動画と写真の両方をどうぞ~

街灯の柱に「恵比寿ビール坂商店会」と書かれています。道幅はそんなに広くないです。
ビール坂の両脇には飲食店が並んでいます。街灯はビールジョッキがデザインされていますね。車道には石畳があったそうですが、今はもうありません。
奥の白いビルがJR恵比寿駅です。坂と言えば坂だけど、という緩やかさ。
JR恵比寿駅の目の前で線路沿いに目黒方面を見ています(Google Map の赤いポイント辺り)。ここに貨物駅があったそうです。

サッポロビール本社から約700mの道のり(出荷の青ルート)でした。坂というほどではない緩い勾配でしたが、かつてはもっと勾配がきつかったらしいです。飲食店がたくさんあった通りなので、夜はかなり賑やかでしょうね。次に来るときは、ビールと焼肉!が良さそうだな、などとニヤニヤ🤩していました。

エビスビール記念館も行ってきました

サッポロビール本社地下1階にある、エビスビール記念館にも立ち寄りました。天井がとても高く、教会のような穏やかな空間で、ゆったりとエビスビールを味わえるのは、とても贅沢なひと時でした。

精巧なジオラマ模型がありました。貯水池が2か所もあったんですね。
展示品の中で一番ウケたのが、不評だった大根スライスの模型www
恵比寿ビール工場で実際に使用されていた銅釜が展示されています!
テイスティングサロンではエビスコイン(1枚 400円)を買って絶品エビスがいただけます!

他にも意外と見どころがあります

サッポロビール本社の北側には、サッポロ広場や恵比寿神社、通気塔カブトといった穴場スポットもあります。とても癒される空間でした。

季節の花々が楽しめる、ちょっとした庭園がありました。
恵比寿神社があります。近所の方も参拝に来られていました。
これは恵比寿スカイウォークを通り過ぎた後のアメリカ橋から目黒方面を見ています。線路左右の土地が高くて”切通し”になっています。

日本麦酒醸造会社が恵比寿を選んだ理由

日本麦酒醸造会社とは、サッポロビールとアサヒビールの始まりの会社の一つです。先日、4-7 国内主要ビールメーカーの系譜図 を公開したので、ビールメーカーの成り立ちに興味ある方はぜひ!

その日本麦酒醸造会社が 1887(明治20)年に恵比寿(当時は東京荏原郡三田の一角)にビール工場を建設しました。今となっては大都会のど真ん中な場所なのですが、ここを選んだ主な理由として挙げられているのが

  1. 三田用水から豊富な水が利用できる

  2. 消費する場所から近い(輸送手段が発達してない時代には超重要)

の2つがあります。

ビールを作るには「水」が絶対に必要!ですが、三田用水があったからこそ、この場所に恵比寿ビール工場ができたんです。精巧な Google マイマップがあったので、下記にリンクします。三田用水は世田谷区北沢から田町駅周辺まで引かれていた用水路で、廃止された1974(昭和49)年までの約320年間、利用されていました。

元々は、水質が良い農業用水でビール原料として使われていましたが、都市化とともに灌漑用水の利用は減って水質も悪化したそうです。1950年頃にはビール原料の水は東京都の水道に切り替わり、三田用水の水は設備洗浄などに使われるようになりました。大日本麦酒は三田用水の維持管理に努めたようですが、負担増大や水利組合とのトラブルも起きたようです。
(参考:J-STAGE 江戸・東京の水利探訪 (その12)

恵比寿ビール工場跡地周辺の歴史

最後にビール工場設立から、この周辺の歴史をまとめます。1887年は明治20年ですが、その当時、この場所は田園広がる片田舎だったとイメージしてもらえると、土地の変遷がおもしろく想像できるのではないでしょうか。

1887年 日本麦酒醸造株式会社 設立
1889年 ヱビスビール醸造所(目黒工場) 竣工
1890年 恵比寿ビール 発売
1893年 日本麦酒株式会社 社名変更
1894年 恵比寿黒ビール 発売
1900年 恵比寿ビールがパリ万国博覧会で金賞を受賞
1901年 日本鉄道がビール出荷専用の貨物駅として恵比寿駅 開業
1906年 札幌麦酒、大阪麦酒と合併して大日本麦酒 設立
1906年 恵比寿駅が渋谷寄りに移転して旅客営業開始
1928年 周辺の地名が恵比寿通1丁目・2丁目と改称
1945年 東京大空襲で目黒工場 罹災
1946年 目黒工場で製造再開
1949年 大日本麦酒から分割され日本麦酒株式会社 設立
1952年 三田用水から給水終了
1964年 日本麦酒からサッポロビール株式会社に社名変更
1966年 恵比寿1~4丁目 が町名となる
1971年 目黒工場を恵比寿工場へ改称
1982年 国鉄が恵比寿駅の貨物取扱いを廃止、ビール貨物専用線も廃止
1985年 ビアステーション恵比寿 営業
1988年 恵比寿工場 閉鎖
1994年 恵比寿ガーデンプレイス 開業

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