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台湾の神様に助けられた話(その五)

台湾で生活していると、日本で暮らしていた時とは全く異なったタイプの人間と知り合うことが良くあります。日本での生活が仕事で精一杯で、趣味に割く時間も限られており、とても限られた人間関係しか持てないのに対し、台湾では日本から来ている人間同士が集まりやすいこと、台湾の人々自体がとても開放的でオープンな人間関係を持っていること、もう一つは僕がジャズという、とても皆で繋がりやすい音楽に関わっていることなど。これらの相乗効果で僕は日本では考えられないほど多様な人達と知り合っています。

そんな中でも、こんな出会いはなかなかないだろうという出来事があったので紹介します。

清水たかしさん

2019年8月に、Jazz Spot Swingでジャズヴォーカリストの男性と知り合いました。このお店では台湾に遊びに来た日本人のお客さんと知り合う機会がとても多いのですが、この日もそうでした。カウンターに座ってマスターと話をしてくると、新たにお客さんが入ってきて話に加わり、マスターが楽器はと話を向けるとヴォーカルやってますということでした。

男性は清水たかしさんとおっしゃり、元々は外交官をやっており、公務を引退後、好きな歌を仕事にして、あちらこちらでライブを開催しているということでした。この日も、早速ステージに上がり、マスターのピアノで数曲歌いました。

いったん日本に戻られた後、翌2020年、台湾でライブをしたいのだがと相談され、僕の方で心当たりのあるライブハウスに打診して、2箇所でライブを開くセッティングをしました。
しかし、この年コロナが発生してしまい、残念なことに、2つのライブはいずれも中止になってしまいました。

清水たかしさん

趙雲華さん

この清水さんと知り合う前に、僕は台湾に元外交官のジャズピアニストがいるということを知っていました。日本のジャズファンの友人が、台湾の文化関係の記事を書く仕事をしていたことがあり、その関係でこの様なジャズピアニストがいると話をしていたのです。それで、清水さんにこのピアニストを紹介したら面白いのではないかと思いたち、連絡をとってみることにしました。

この台湾人のピアニストは、趙雲華さんと言います。メッセンジャーで連絡したところ、是非清水さん会ってみたいということだったので、清水さんが2020年に台湾に来る際に一緒に会って食事できる様セッティングしましたが、この食事会もコロナで流れてしまいました。

世界中にコロナの嵐が吹き荒れている中、台湾は安全な状態を続けていたので、その間この趙雲華さんのライブを何回か聴きに行っています。

1回目は、台北市の施設である花樣展示空間でのセクステットのライブでした。趙雲華さんがリーダーを務める外交官爵士樂團に、ゲストヴォーカリストを加えるというフォーマットの演奏でした。
とても大きな市のホールだったのですが、そこがリスナーでいっばいになっていました。この外交官爵士樂團は、趙さんの知名度でこれ程の集客をできるのだと、とても驚きました。
この日、趙さんとは連絡をとっており、楽屋に出向いて挨拶をしました。趙さんはとても明るくて人当たりの良い紳士でした。清水さんが来れないのは残念ですが、また機会はあるでしょうと話をしました。

演奏のセクステットにヴォーカル2人のステージでした。
市民会館の様な大きなステージでのライブでした。

趙さんとはLineで繋がったので、彼からのライブの告知がある様になり、2022年に大稻埕にできた新しいカフェでのライブがあるから来ないかと誘われ、出向いてみることにしました。
このカフェ蛋白樹は日本統治時代の木造家屋をリノベーションした建物でした。ここで、趙さんは週末のレギュラー枠を持って毎週ジャズライブを行っていました。

僕の行った日は、サックスをゲストプレイヤーとしてフロントにおいたカルテットの演奏でした。趙さんはここでもMCをしながらとても楽しそうにライブを行っていました。
彼のステージでの姿は、いつも笑顔が絶えず、とても楽しそうに演奏するのが特徴です。実際に、外交官としての仕事を終えた後に、この様な演奏活動をしてステージに上がれることがとても嬉しいのでしょうね。

蛋白樹でのカルテットの演奏。

コロナの後に

2020年に、清水さんと趙さんを会わせるという計画はコロナのために頓挫しましたが、2024年になってコロナも一段落し、海外渡航のハードルが下がったため、改めて清水さんから連絡があり、趙さんに会いたいのだが、セッティングをお願いしたいと連絡がありました。
今回の清水さんの台湾訪問は、東南アジアからの来台で期間も限られているので、ライブは企画せず趙さんと3人で会って食事するということにとどめました。

2024年の2月、思い立ってから四年越しで、2人の元外交官ジャズミュージシャンの顔合わせが実現しました。
食事は、台北の老舗の日式居酒屋でしました。2人は会って早々、まるで古い友人であるかの様に話を始めました。共通の言葉は日本語でしたね。
外交官としてのキャリアがあること、趙さんは外交官として勤めていたので、清水さんの同僚と面識があること、ジャズミュージシャンとしての引退後の活動と、次々に共通の話題があるので、2時間の食事の間、2人はとても楽しい様子で話を続けました。僕は、この2人はきっと話が合うに違いないと思っていましたが、実際にこの様な2人の様子を見てとても嬉しく思いました。

Jazz Spot Swingで

食事の後、3人でJazz Spot Swingに行きました。今回の清水さんの来台ではライブは行いませんでしたが、せっかくなので趙さんのピアノ演奏で清水さんに歌ってもらおうと考えたのです。
Swingに行くと、清水さんの同僚の台湾の外交官の方も、夫婦で来ていました。清水さんの歌を聴くのは初めてだというのでやってきたそうです。他にも僕の友人3人も来ていました。

清水さんと趙さんは、ベース(桑原マスター)とドラム(友人の辛さん)を得て、カルテットの演奏を始めました。清水さんが譜面を用意して、6曲ほど歌ったでしょうか。趙さんは初見の譜面でしたが、スラスラと弾いていました。これがジャズの良いところですね。初顔合わせでも、直ぐに一緒に演奏できます。

この様にして四年越しで計画した、外交官の2人を紹介して、ジャズの演奏をしてもらうプロジェクトは実現しました。2人はとても喜んで、僕に感謝してくれました。僕もこの2人はきっと話が合うに違いないと考えていたので、嬉しく思いました。
また、この2人を通じてもう1人の外交官と知り合うこともできました。この外交官は屏東県里港の出身ということで、家内と同郷です。更に、彼の奥さんは日本人で、家内が台北に来る時には会おうということになっています。こんな知人を得ることができました。

日本であったら、一人の外交官の知人でさえ知り合う機会はないでしょう。それが、台湾では僕は2人の外交官ミュージシャンの縁を取り持つことができたのです。そして、家内と同郷の国際結婚をした外交官の知人もあることができました。普通ではありません。
これは、台湾の神様が僕にこの2人を合わせろと命じたのだと、そしてそれが実現したのでこの様な夫婦にも会わせてくれたのだと、その様に僕は考えています。

台湾の神様に助けられた話(その一)

台湾の神様に助けられた話(その二)

台湾の神様に助けられた話(その三)

台湾の神様に助けられた話(その四)


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