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自分の弱さを守りたい

 もう二十年以上前になるだろうか。僕はミニバスケットチームに所属していた。小学生たちが集うチームだ。今でいうところの、サークルや部活である。

 うちのチームのコーチは、元々プロバスケを目指していた(あるいは、元選手だった? その辺は記憶が曖昧だ)経歴もあって、結構厳しかった。

 勝つことが、その人にとって至上命題だった。練習試合を何回も組まされた。その度に、僕は嫌ぁな気持ちになったものだ。もちろん、最初のうちは、スタメンになれるはずもないので、ベンチや、応援席で仲間を叱咤激励するだけだ。それは気が楽だった。でも、学年が上がり、五年生、六年生となるに従って、どうしてもスタメン入り、あるいは補欠メンバーに入ってしまうようになった。

 試合の出場メンバーを選ぶとき、全員集合して、コーチを囲む。そこで一人ずつ発表されて、ゼッケン(背番号)を渡される。僕は正直言って、呼ばれたくなかった。

 バスケが嫌いなわけじゃない。でも、呼ばれて目立つのが嫌いだ。試合をしたいと、本気で思ったこともなかった。

 周りのメンバーは、スタメン入りできなかったら、悔しがったり、人によっては涙を流している子もいた。そんなとき、ひどく申し訳ない気持ちになった。僕は選ばれるのを恐れていた。できれば、何ごともなく日々が過ぎ去っていけばいいと思っていた。

 そんな態度が明るみに出ていたせいだろうか。五年生の終盤。チーム内でフリースロー大会が開かれた。全学年が参加するものだ。外したら、そこで即失格。当然、腕前は六年生のほうが上だし、ほとんどは六年生が残っていた。でも、不幸なことに、僕はフリースローが得意だった。他のプレーはぱっとしないけど、なぜかフリースローだけは上手くできた。

 そのせいで、六年生たちの間で生き残っただけではなく、なんと優勝してしまった。他の五年生の仲の良い友達は、祝福してくれた。でも六年生たちは面白くなかったんだろう。

「なんでお前が優勝なんだよ」
「ちったぁ譲れよな」

 と体育館の隅で、詰め寄られるようにして言われた。

 そのとき僕は、ムカついたのは当然だけど、同時に「確かにそうすればよかったな」とも思った。

 世の中には強い人がいて、弱い人もいる、と自覚したのはこのときだ。心が弱い、ということである。争い事が嫌いなのだ。スポーツだって、ただやってるだけが好きだ。仲間内の、揉めごとや、上下関係に巻き込まれるのは勘弁だった。

 そこで、僕は中学生になって卓球をやるようになった。バスケは好きだったけど、諦めた。団体競技は向いていない。卓球なら、個人技だから、好きにやれると思った。この時点で、僕はいわば逃げていたのだ。これが弱さの特徴だと思う。戦って、勝とうとは思わない。心が弱いから、すぐに逃げてしまう。

 就職活動のときだってそうだった。人並みにはしたつもりだけど、ムリだった。たいして興味もない企業に対して、他の人たちと争い、内定を勝ち取る。そうした構造についていけなかった。またしても、僕は弱さを露呈してしまった。そんな自分が、心のどこかで、情けなく、コンプレックスになっていた。

 今でもそれは、たぶん変わらない。他の人たちと同じように、スポーツで勝つ快感、スタメン入りしたいという強い願望、内定を勝ち取るやる気──そうしたものがあれば、少しは人生変わっていたかな、と思う。

 僕はこれを、弱さの特徴だと思っている。戦って、勝利をもぎ取ろうとするくらいなら、勝ち負けなんて、どっちでもいい。ただ自分の心の世界を守りたい。邪魔をしないでほしい。そう思って、逃げてしまうのだ。

 ずっとこれはダメな人間の特徴なんだと思っていた。けど、コロナ禍になって、少し考えが変わった。

 こんな僕だから、就職活動はまともに成し遂げられなかった。ずっと在宅で仕事をしている。この業務形態も、すでに十年以上経っている。世間的にはほぼニートや無職と変わらない。だけど、心は穏やかで、それなりに、最低限暮らしていけるくらいは稼げている。それもまた、僕の弱さだ。フリーランスでめちゃくちゃ稼いで、いわゆる世間で言うところの勝ち組になってやろうという気概はない。

 コロナ禍になって、みんながどんよりしている間、僕はずっと心穏やかなままだった。生活がほとんど変わらないから、というのもあったけど、どうしてだろうと自分で考えて、「ああ、弱さのおかげか」と思った。

 僕は戦わない術を知っている。コロナ禍で世間がストレスにさらされていても、自分一人でストレスを逃がす方法を知っている。これは僕が、弱い人間だからだ。

「コロナ禍でも頑張るぞ!」と戦ったりはしない。それは強い人たちがやることで、僕のすることじゃない。そもそも自然災害みたいなものなんだから、戦ってもしょうがない。それよりは、自分の弱さを守って、心穏やかに過ごすほうが大切だった。

 コロナ禍においては、実はそれがすごく重宝される能力だった。焦らず人の話をゆっくり聴けるし、家の中でできる遊びをよく知っている。ストレスに晒されてイライラしたりすることもない。僕は初めて、自分の弱さというものを誇りに思った。

 弱いからこそ、逃げ場所を知っている。辛い人の気持ちが分かる。だっ
て、自分が弱いから。

 そういう人も、大切なんだってわかった。「弱さ」があるからこそ、「強さ」がある。光と闇の表裏一体じゃないけれど、結局のところ、そうした結論にいきついた。

 僕は自分の「弱さ」を守っていきたい。それが僕という人間の、僕らしさであるはずだから。

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