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「反抗の限界」は包摂の希望となるか?菊地良博展を見て

私の友人であり、ARTS ISOZAKIのアーティストでもある菊地良博氏が3年ぶりの個展を開いている。場所は
仙台市泉町、新進気鋭のアーティスト伊勢周平氏と佐々木成美氏が共同で運営するアーティストランスペース・コロキウム。

「反抗の限界」と題されたこの展覧会は、これまで菊地が長年追求してきた、硬質な抽象世界と柔らかい身体の境界における、シリアスな主張とシニカルな諧謔のコラージュに新たに呪術性の要素が加わり、表現に深みが増し、次のビジョンがうっすら見え始めている。菊地自身はコロナパンデミック以降の自身の体の不調もあり、体力に限界を感じているところもあったので、「反抗の限界」というテーマは作家自身のフィジカルな問題が関係しているのかと思いきや、むしろ限界を否定する内容であったことをまず報告しておく。

自分の血液や髪の毛といった、身体の中にあるある種の他者性を魔術的文脈を用いることで鮮やかにクローズアップし、それを極限まで抽象化され、意味を剥奪された物語やテクノロジーそのものの中に置くことで、生まれるイメージによるポストコロナ世界のパロディ化に成功している。そこには、展示作品でイメージの断片が複数引用されていたケネス・アンガーの映像世界ような過剰で鮮烈でダークな笑いがあり、そこから立ち昇ってくる現代の妖気に旋律を覚えた。それは、本人も気づいていないと思うのだが、東日本大震災の被災者の音なき叫びを反映していた。


菊地良博氏

菊地は本展のステートメントの中でこう語っている「あらゆる創作物の大半は経済原理に囚われ、呪術的性格を失い、いまやただの商品となった。商品はなんであれ序列をもち、生産と消費の円環へと人々を駆り立てるイデオロギーの基底をたえず強化する。 ひとつの地獄だ。 序列は特殊が一般を疎外した結果である。大衆間の質的好悪はいつだって王の糞便に塗れているのだ」
この世の地獄を認識しながらそれを笑い飛ばすこの強さは、これからほアートの一つのあり方を示唆している。同時に彼が人知れず背負っている、圧倒的な数の亡霊が生き残っている私たちに示す希望でもある。


同時に、マクロ的にはデジタル情報世界の中に個人の属性(身体の情報や肉体や感情の変化と含まれる)全てを回収して行こうとする狂気の蔓延する世相において、そこにどうしても馴染んでいかないものや出来事、例えば、伸び続ける髪の毛や突然の鼻血、あるいは垂れ流される違法ポルノのようなもの、それらを組み合わせることによる、圧倒的なアンチテーゼの可能性を菊地は提示していて、それは有効に機能している。おそらく菊地にとって「限界」という言葉は「希望」という言葉と対になっていて「反抗の限界」は「包摂の希望」でもあるのだと思う。「こと極まれば反転する」というのは常に真実なのだ。

その日、仙台の国分町で久しぶりに杯を交わしたが、偶然導かれた(いつも菊地氏が使っている駐車場が休みあるいは満車で街の中をぐるぐる回って辿り着いた)小料理屋「松なが」(店がある第三協立国分町ビルは菊地が生まれた45年前1979年に建設された)の節子ママ(郡山から仙台に流れてきた)との会話(アートや詩の話あるいはひょうたんで作った照明器の話)彼女から最後にいただいた美味しいおいなりさん(菊地はなんと家族の分も含めて10個もらった)、店に入る動機となった暖簾がのぞき手拭いという柄であったこと、室内装飾の茅葺屋根に刺さっていた破魔矢(仙台の老舗弓具店のもの)、節子ママほご主人の撮影した薔薇の蕾の不思議な写真、美味しいサバのフライ(毎日市場で仕入れてその場で3枚におろしてあげるから美味しい)、石巻!のカツオの刺身、客のために大きなおにぎりを握って入り口に吊るす習慣などが、こうやって記述され、展覧会の記録と合わせて半永久的に残る(菊地氏と僕の物語として)ことの呪術性は、反抗の末にたどり着く希望の証明である。(思えば、ギャラリーで偶然伊勢周平氏と佐々木成美氏と時間を持ち話しをできたことも同様の意味を持っていた)

節子ママの若かりし頃 塩見岬にて

こうして仙台の夜に、後期資本主義の王権!への反乱のためな行われた魔術の先に、真っ赤な血と薔薇色の死体の山をイメージしながら、それを突き放す「古い街の地層に刻まれた土着の所作」がこの世界を目をつぶらずに生き続けるために極めて有効だと確信した。


Yoshihiro Kikuchi | A Fed A
菊地 良博|反抗の限界
会場 コロキウム
会期 2024年4月20日~6月22日
ラウンドテーブル 6月22日 17:00~19:00
『美術の限界について話そう』

〒981-8006 宮城県仙台市泉区黒松1-9-2
           CCPビル201(2F)

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