坂本龍一の死に様と矢野顕子

昨日 あるパーティで、生前ニューヨークで坂本龍一と親しく、彼のプライベートをよく知る人と出会った。今回の詩集が坂本龍一の死をきっかけに始まった話をしたら、坂本龍一の死に様はあまりに記号的で嘘に満ちていて、つまらない、という話になり納得した。彼は死を徹底的に美化し、商品化し、三島由紀夫の死に対抗したのではないかと、僕は観ている。本質など、歴史にとっては意味がないことを知っているから。一方、文学やアートの人間性を信じている人たちは、その欺瞞に我慢ならなかったりする。永井荷風や山頭火のような死に様こそ人間であると思う。

話の中で、本当の天才は矢野顕子だという話になり、
「磯崎さん、一生に一度は矢野顕子のパフォーマンスをみてください。良い現代アートの所有は何百万ってかからるけど、良い演奏家の演奏は数千円で見れるのだから」

と言われて納得した。さていつ矢野顕子を見ようかと思ったら、明日矢野顕子を水戸芸術館でやるという。

友よ これは、マジックである。

そして、矢野顕子について 詩を書くように言われているような気がする。誰から?

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