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多様性は時代のプロトコル

私は人生の節目節目で女性に理解され、引き立てられてきました。リクルート社でも引き入れてくれた人、評価してくれた人、みんな女性上司。特に中途入社したその日に、女性管理職がまだ喋ってもいない私の特性を見抜いたのは驚きました。「あなたのような一匹狼は」と近づくなりいきなり言われ、たしかにチームや集団行動は苦手な私はしばらくフリーズした覚えがあります。ユーチューブ的に言えば、「やべえ、この会社、やべえよ」ってなところでしょうか。

また女性の友人も普通にいるし、「広瀬さんは女性だから」と飲みの席で言われたことまであったりします。確かによく女装はさせられましたが・・・

そうしたせいか、昔から女性の扱われ方、立ち位置には敏感でした。たとえば表札、旦那さんの添え物のように級下げの文字で名前だけ書かれているもの、今でも見かけますよね。たとえ旦那の姓であっても同じ大きさで、なおかつ名字から書けばいいのにと疑問に思っていました。また「主人」という奥さん側からの呼び方も嫌い。旦那に仕えるために夫婦になったんじゃないでしょうがと憤ってみたり。

幸いにも多様性やダイバーシティというワードが広がることで、鈍感だった社会も気づいてきたのは良いことだと思います。すでに同性婚のムービーを結婚式場が作っていたり、社会はここ数年で急速に変わっています。それが察知できない昭和〜平成前期のオジサン会社員がノコノコとネットに出てくるから、返り討ちに遭うのです。

その典型が、この前ツイッターで炎上していた東洋水産(マルちゃん正麺)のコミックだと思います。これまでのプロトコルでは、帰宅した奥さんが洗い物を手伝うのは何ら不自然なことでなく、「あら、子どもに食事作ってくれたの、ありがとね」という気持ちの表れでしかない・・・だったのです。しかし、先鋭化した感性の人がひしめいているSNS、特にツイッターでは見方が違います。食事作ったなら洗い物までやれよ、もっと言えばラーメン作るぐらいを美談にするな、ということですね。

このコミックの危なさに気づけず、ほのぼのとした画風で家族を描けばいいんじゃない?というSNS素人的な発想が、パトロールに尽力しているプロトコルチェッカーの方々の網に引っかかったわけです。特にツイッターは辻斬りが横行する世界ですから、二重の意味で甘かったと言えるでしょう。(ちなみにいつものライティングの講義で、ツイッターはフォローをたくさんして情報収集するには良いけど、書き込むなら覚悟を持ってね、と繰り返し受講生に伝えています)

こうした事例を「クレーマーに負けるな」と決着させてしまってはなりません。時代のプロコトル、生き方の基準がもうとっくに変わってしまっているのです。最低限、暮らしの役割に男も女もない・・・そこを意識することが、PRや宣伝広報を業務とする人たちの基本的な素養と言えるでしょう。いや、経営陣からしてそうですね。今やブランディングと多様性、ダイバーシティは切り離せない間柄ですから。

(ちなみにマルちゃん正麺をこの炎上で思い出して、久しぶりに買ってみました・・・あれ?うまくのせられてる?)

ではではー。

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