ヨガってなにするの?

 今回は、ヨガをまだやったことのない方にもできるだけ分かりやすく「ヨガってなにするの?」というのをお伝えしてみたいと思います。

 これからも解釈が変わったり、前までの理解が大きく覆ったりしていくかもしれませんが、現時点ではこう捉えている、というぐらいのつもりで読み進めていただけたら幸いです。



 「ヨガ」とは何かの技法や行動のことではなく、

「状態」

のことだと捉えています。

みなさんご存知のヨガのポーズ(アーサナ)や呼吸法などは、ヨガという「状態」に入るためのツールなんだと思います。

では、その「状態」とはどういうことなのか。
いくつか挙げていきたいと思います。




「今ここに在ること」
 「過去でも未来でもない、今にいること」
「瞑想」というのは非常にいろんな解釈ができる言葉だと思いますが、瞑想の目的のひとつも「今に存在すること」であると、仏陀を始め世界中のマスターが同じような表現をされています。

「観察」
 
判断したり、批判したりするのではなく、ただ「観る」こと。
ヨガのレッスンではよく「気づき」という言葉を使いますが、「気づき」というのは、「観察」が深まっていった結果として得られるものだと思います。

「探求」
 物事の表面だけではなく、深く知ろうとすること。
「学ぶ」や「鍛錬」なども、「探求」のひとつだと思います。

「集中」
 今までの流れの結果とも言えるかもしれませんが、「観察」や「探求」しているとき、1時間が一瞬に感じられるようなときってありますよね?
補足ですが、あるマスターティーチャーいわく、「一点集中」というのは、あくまで深い集中に向かうまでのプロセスの割と浅い段階なのだそうです。
集中が深まると、細かいところも観ているが、同時に外側で起こっていることにも気づいているという状態になるのだそうです。

「ニュートラル」
 さっきの「観察」と少し似ているところもあるかもしれませんが、自分が中心に留まり、全方位から物事を観ることであったり、よく言われる「あるがまま」でいることや、「あるがまま」を受け入れるようなマインドのことを指すのではないでしょうか。

「統合」
 違う表現では「分離のない状態」とか「全体的」とも言えるでしょうか。
一見逆説的ですが、「統合」するために、一旦分けて考えることや、部分同士の違いを知ることなども「統合」のプロセスと言えるかもしれません。

「静けさ」
 これも今までのプロセスを経ていった結果として起こる状態であり、よく坐禅の体験に行ったときなどについついやってしまう「無になるぞー」みたいな、なんとか自分を落ち着かせようとしてなれるものではなく、気がついたらなっているようなことなんだろうと思います。

「思考がない」
 これはある意味究極の状態だと思いますが、「思考が止まる」プロセスでは、むしろどうやったらこのポーズをもっと心地よくできるかな、とか、身体の歪みや癖を変えていくにはどうしたらいいかなどをめちゃくちゃ考えていった結果、どこかのタイミングで確信のようなものが得られたときに初めて、おそらく自分でも気づかないぐらい自然と起こってくる状態なのではないでしょうか。

 もちろんこれ意外にも大事な要素はたくさんあると思いますが、割と軸になると感じたものを選んでみました。

 みなさんの中でも身近な例を挙げると、メジャーリーガーの大谷翔平が普段練習やトレーニングに取り組んでいるときや、試合でバッターボックスに立ってピッチャーからのボールを狙っているときや逆にピッチャーとしてマウンドに立っているときなどをイメージしてもらえるとわかりやすいでしょうか?

 スポーツと違ってヨガには競争や優劣はありませんが、大谷翔平の内側で起こっていることはかなり似ているような気がします。

 特にあれほど万人から愛される人格を持っている選手なので、かなり熟練したヨギーと同じような境地にいるのではないかとつい想像してしまいます。

 他にも、究極に美味しいラーメンを作ろうとしているラーメン屋さんだとか、自己表現を追求するアーティスト、大好きなものに夢中になっている「○○オタク」と言われる方々、どうやったら子供が立派な大人になるかを24時間考えている親御さん達など、大谷翔平レベルではなかったとしても、大きな意味ではほとんどのみなさんが今までに何度も、『あるヨガ的な「状態」』になられたことはあると言えるのではないでしょうか。

 ポーズ(アーサナ)の練習を繰り返し行い、
「今ここにある」
身体のどこになにが起こっているのかを
「観察」し、
どうやったら分離されていた身体がより
「統合」
されるのかを
「探求」
していった結果、
「気づき」
が起こり、
深い「集中」
状態になり、
良い悪いと判断しない
「ニュートラル」
なマインドになったときに内側の
「静けさ」
を感じ、
いろんな悩みや心配事などの
「思考」
から離れた状態がやってくるのでしょう。

 ひとつひとつのポーズの「型」は、そのような「状態」に入るためのガイドラインのようなものです。
 ヨガが筋トレやストレッチと違うのは、部分だけを鍛えたり伸ばしたりするのではなく(ある意図があってそのようなアプローチをすることもありますが)、全身の統合やつながりを目的にしているからです。

 そして、これらの「状態」というのは、身体のことも含まれますが、より具体的には「心(マインド)」や「意識」の状態のことです。

 そして「心」や「意識」を「身体」に向けていくことで、それらが分離していたのが全て「統合」されていきます。

 そして「統合」された状態が「瞑想」という「状態」であり、「瞑想」も座って目を閉じているのは瞑想という「状態」に入るためのツールであり、結論として、

「ヨガ」=「瞑想」

だと捉えていただけたら今回のブログの趣旨はある程度お伝えできたかな、と思うのですが、いかがだったでしょうか?


 昔のインドのヨギーの言葉で
『Neti-neti(ネティ、ネティ)「あれでもない、これでもない」』
というのがあります。
究極的には、ヨガとは言葉では言い表すことができないものなのだそうです。

 今までお伝えした言葉もすべてヨガを伝えるためのあくまで「方便」であり、やはり言葉だけではわからないので、まずはやってみてほしい、というのが今回いちばんお伝えしたいことです。
 そして、いちどやってみて「楽しい!」とか「気持ちいい!」と感じられたら、もっとやってみてほしいですし、逆にあまり合わないと感じられたら、もっと全然違うことでもいいので、ご自身が楽しいと思えることを見つけてもらえたら、その中でヨガ的(瞑想的)な状態を体験することができるのだと思います。

 ぼくも今回お伝えしたことが言葉だけにならないように、自分でも実践し、レッスンに来てくださった方々がさらに楽しんでいってもらえるように、これからも励んでいきたいと思います。

 ここまで読んでいただきありがとうございました!

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