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陰謀論の「甘い夢」を打ち砕いた文豪

陰謀論は、甘い。濃厚な蜜の味がする。
私はそれをよく知っている。少年のころ、どっぷりと陰謀論に浸かっていたからだ。それは、とてもエキサイティングで、甘美な時間だった。
だが、私はある作家のおかげで、その夢から覚めた。
覚めてみると、それは「甘い夢」どころか、黒歴史としか言いようのない悪夢であった。
当時の自分を思い返すと、苦笑と冷や汗が同時に漏れだすような気まずさに襲われる。

私が目を覚まして30年以上経った今も、この世には陰謀論が渦巻いている。
「人類は進歩しないな」と思う一方、私には陰謀論がはびこる理由もよく分かる。
アレは、ホントに楽で、気持ち良いのだ。

「楽」なのは、思考停止を許してくれるからだ。
例えば優に千年単位の歴史を持ち、未だに根強い「ユダヤ人が世界を支配している」系の陰謀論。
一度、この世界観に染まってしまえば、「悪いことは全部ユダヤ人のせい」と問題を直視しないで済む。ホロコーストという悲劇を超えて、この陰謀論は現代に生き残っている。

「気持ち良い」のは、優越感に浸れるからだ。
陰謀論は、通常と違った世界の切り取り方を提示する。
その価値観に身を委ねると、それを信じない人間が全員馬鹿に見える。
「支配者」や「見せかけの真実」に騙されている愚かな大衆に見える。
「俺たちだけが真実を知っている」と優越感を味わえる。

安易に並べるのは不適切かもしれないが、陰謀論は宗教に似ている。
すべてを「陰謀論=神」に任せて思考停止し、信奉者のコミュニティは「選ばれた民」となる。
たちが悪いのは、陰謀論には戒律や倫理など多くの宗教が求める代価や縛りがないから、宗教よりもハマるハードルが低いことだろう。
「宗教は大衆の阿片である」というマルクスの言葉になぞらえれば、陰謀論は無痛の最新型注射針でヘロインを静脈にぶち込む素晴らしい快楽である。

そんな代物にいったんハマれば、足抜けはかなりの難業だ。
だから一番の対処法は近づかないこと、染まらないこと、つまり「予防」となる。
だが、残念なことに、ネット、特にSNSというのは陰謀論と大変相性が良い。その破壊力はトランプ政権の誕生の一事をもって十分に知れるだろう。

恥を忍んで、私個人の黒歴史と覚醒の道のりを振り返ってみたい。
読者の皆さんの「予防」、あるいは周囲の感染者への働きかけのヒントにでもなれば幸いである。

なお、本稿は投稿ネタアンケートで一番人気だったものです。たまにリクエスト企画をやりますので、最後にのせたリンクからツイッターをフォローしていただければ幸いです。

オカルト全盛だった70~80年代

さて、まずは私の少年時代のヒーローたちをご覧ください。

おお、懐かしい、と思ったアナタ。同年代ですね。
若い読者のために左上から順に時計回りでご紹介します(Wikipediaより引用、名前からリンクで飛べます)。

川口 浩(かわぐち ひろし、1936年〈昭和11年〉8月22日 - 1987年〈昭和62年〉11月17日)は、日本の俳優・司会者・探検家・タレント。
矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年7月17日 - )は、日本のディレクター、テレビタレント、疑似科学作家。
五島 勉(ごとう べん、1929年(昭和4年)11月17日 - )は、日本の作家・ルポライター。「サソリのベン」とも呼ばれていた。
ユリ・ゲラー(אורי גלר Uri Geller, 1946年12月20日 - )は、テルアビブ生まれの超能力者を名乗る人物。現在イギリス在住。

詳細はリンク先に譲るとして、要は私は小学生になる少し前から中学校に上がるまで、「雪男」や「ツチノコ」から、UFOと宇宙人、超能力、ノストラダムスの大予言まで、ありとあらゆる陰謀論を「学校で習うことより、こっちの方がホントなんじゃないか」と信じていたのだ。
アホだ。実に、アホだ。
どれぐらい本気だったかというと、小学生のうちは川口浩探検隊がやらせだなどとは微塵も思わず、UFOと宇宙人の情報は米国政府が独占してエリア51に隠してると確信し、超能力にいたってはクラスで集団念力によるスプーン曲げ企画を主導するほど、骨の髄まで信じ切っていた。
本当に、愛すべきアホな少年だな。

UFOとUMA(未確認動物という和製英語の頭文字ですよ、素人のみなさん)は川口&矢追というツートップによるテレビ番組の影響が大きかったのだが、超能力に関しては、小3から数年通った私の人生唯一の習い事、習字の先生の影響も大きかった。夫婦でやっている小さな教室の奥さん先生が、かなり重度のオカルト信者だったのだ。

習字の合間のおしゃべりで、
「知り合いがお金に困っていたら天から砂金が降ってきた」
とか、
「知り合いがバスに乗ろうとしたら、どうしても気が進まず、1本見送ったら、直後にそのバスが大事故にあった」
なんて超ありがちな「知り合い」系エピソードをたくさん聞かせてくれた。
そして、そういう不思議な世界のことがいろいろ載ってるから、と本を貸してくれた。
それが、私と「ムー」との出会いだった。
再びWikipediaから。

キャッチコピーは「世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリーマガジン」。主な内容はUFOや異星人、超能力、UMA、怪奇現象、超古代文明やオーパーツ、超科学、陰謀論などのオカルト全般である。全般的にオカルトに肯定的な記述がされている。

おいおい!最新号、まだノストラダムスやってるよ!
そのほかも、「ナチスと地球空洞論」とか、この30年、一歩も前に進んでなくて、ある意味すごい。
最新号についてるAmazonレビューが面白いのでちょっと引用します。太字は高井。

まさかのノストラダムスの大予言が総力特集です。令和になってまで使われると思っていなかったぞ。先月号は世界の終末が総力特集でしたがノストラダムスの大予言は独立コンテンツです。元祖ノストラダムスの大予言の著者五島勉氏も寄稿しています。ノストラダムス本人も予言できていないだろう展開が最高です。

毎月買ってるな、この「ムー民」(笑)
「ムー民」とは同誌愛読者のことで、エンターテインメントとして楽しむ読者層も多いらしい。私はごくまれに覗くだけの「元ムー民」です。

今は笑い飛ばせるが、この「ムー」は、陰謀論につむじまでどっぷりつかったアホな高井少年のストライクゾーンど真ん中であった。
月刊誌だけなく、新書サイズの「ムーブックス」も読み漁り、「人類は過去に一度核戦争で滅んでいる」とか「ピラミッドを設計したのは宇宙人」とか「古代インド神話は宇宙船の到来を記している」とか、今思えば噴飯物の陰謀論を「すげえ!」と信じ込んでいた。

オカルト系コンテンツで最も洗脳力の高かったのが五島勉の「ノストラダムスの大予言」シリーズだ。シリーズ5冊目「完結編」の刊行が1986年。繰り返し読んで、内容に精通していた。
これはとても優越感を刺激する武器になった。ローカルな「ノストラダムスの権威」として、小学校や中学校の友だちから質問攻めにあったものだ。当時はぼんやりと「ああ、俺は1999年に『恐怖の大王』が降臨して27歳で死ぬんだ」と思っていた。
今思えば馬鹿馬鹿しい話だが、この本の影響力はリアルタイムで体験した世代にしかわからないだろう。その終末論的世界観は、のちの新興宗教ブームにも強い影響を与えた。少年の私がひっかかったのもしょうがない。

同じころハマったのが、これもオカルト本並みに公開するのが躊躇われるのだが、落合信彦であった。あー、黒い。真っ黒だ、この辺の読書遍歴。
どれが入り口だったか思いだせないが、中学生になってから著作を読み漁り、「世界はこんな風に動いていたのか!」と「落合史観」に染まった。「モサド、すげえ!」みたいな感じですね。

黒歴史でしかないわけだが、落合信彦には感謝もしている。
1つは、少なくとも国際情勢なるものに関心を持つきっかけにはなったこと。もう1つは、「20世紀最後の真実」というトンデモ本を書いてくれたことだ。

この本は、ナチスの残党が南米に大量脱出してコニュニティーを作って再起を狙っている、という筋立て(なんて表現はいかんな、ジャーナリスティックなノンフィクションに対して、笑)になっている。
ナチス狩りを逃れた元高官は中南米など世界に散っており、根も葉もない話ではない。だが、そんな弁明が軽くぶっ飛ぶほど、本書のトンデモ度はすごい。「第2次大戦時にはナチスはUFOを実用化しており、現在もチリに潜伏して開発を続けている」という話まで出てくる。
ご興味があったら上記のAmazonリンクから飛んでレビューをご一読ください。レビューの見出しを2つだけ紹介しておこう。

「トンデモ本の名著」
「腹筋トレーニング用に」

この「20世紀最後の真実」と、もう1冊、書名は忘れたが、「ヒトラーの自殺は偽装で南米に逃れて生きながらえた」という陰謀論本を同じ時期に読んだ。
その本は「自殺は証明されていない」と強弁したうえで、生存の「動かぬ証拠」として1枚の老人の写真を載せていた。ヒトラーに似ていなくもない、でもちょっとイケメンすぎるかな、という白髪の爺さんだった。著者はそれを「この強い意志力とカリスマ性を感じさせる目は、ヒトラーに間違いない」と断定するのだった。

「いや……それは……無理がないか!?

高井少年の中で少しずつ、陰謀論的な世界観への疑念が芽生えていった。

そして、ある作家との出会いが、私の陰謀論からの脱出を決定づけた。
昭和の文豪・開高健である。

「あ、こっちが『ホンモノ』だ」

ここ数日、考え続けたのだが、いつどんな形で最初に開高健の著書に出会ったのか思いだせない。
初めに読んだのがエッセイだったのは間違いない。「パニック・裸の王様」などの小説群は高校生になって片っ端から読んだ記憶があるからだ。
おそらく、若者の投書に開高健が答える形式の、この辺りから入ったのではないかと思う。

ファーストコンタクトは中2ごろ、「ヒルビリー」な日々から抜け出した時期だった。近所の本屋での立ち読みしたり、区立図書館で借りたりして、デタラメに本を読んでいたころだ。
「風に訊け」は、酒やセックスの話題も多く、中2にはピンとこない話も多かった。他の開高健の随筆も、一定以上の教養・知識がないと十分には楽しめない読み物である。
高井少年に影響を与えたのは本の内容ではなく、「この人はホンモノのオトナだ」という感触のようなものだった。
開高健の文章には、ムーブックスはもちろんのこと、それまでに接したどの作家とも違った深みがあった。
文章の向こうに膨大な経験と知恵があるのが見え、読めば読むほど、「この人は見えている世界が違う」という迫力を感じた。
言ってみれば、私が開高健の本から受けとったのは、「世界は複雑で底が知れないものだ」というメタメッセージだった。

開高健はブックガイド役にもなってくれた。そして、これも私が陰謀論から足を洗う決定打の1つになった。
開高健はベトナム戦争で従軍記者として米軍部隊に同行し、前線取材で九死に一生を得る経験をしている。200人の部隊のうち生き残ったのはわずか17人。生存率10%以下の、文字通りに九死に一生、という修羅場だ。
エッセイなどでも繰り返しベトナム戦争について触れていて、その中に何度かハルバースタムの名著「ベスト&ブライテスト」が出てきた。

「ベスト&ブライテスト」をいつ読んだかは、はっきり覚えている。中3の夏休みだ。区立図書館に単行本がそろっていた。
白状すると、最初は通読できなかった。ちょっと前までムーブックスや「ノストラダムスの大予言」を読んでいたガキが、いきなりハルバースタムの大著に手を出す方が間違っている。
それでも上中下の3巻セットの上巻はなんとか読みきり、残りは飛ばし読み気味に最後まで目を通した。
やはり受け取ったメッセージは同じで、「世界は俺が思っているよりはるかに複雑で底が知れないらしい」というものだった。
そんなモノを相手に、多少なりとも真実に近づこうと思ったら、五島勉とか、落合信彦とかの出る幕ではない。本物と陰謀論の質的違いは、鮮明だった。
それから政治・国際情勢モノのノンフィクションを読むようになり、「ベスト&ブライテスト」も再チャレンジして通読した。ニール・シーハンの「輝ける嘘」も開高健が絶賛していたから読んだ本だ。やや世代違いなのだが、ベトナム戦争ものはかなりの数を読んだ。

「陰謀論という甘い夢」からの脱出のもう1つの決定打になったのが、理系本だ。中2でこのnoteに書いた都筑卓司の「10歳からの相対論」と出会ったのが大きかった。

理系本でまともな知識が増えるにつれ、手元のムーブックスコレクションなどオカルト本はバイブルからジョーク本へと位置づけが変わっていった。

つまり私のケースは非常に月並みで、まともな本を読むうちに「あ、こっちがホンモノの世界だ」と気が付いたという話でしかない。

高校、大学と読書量が加速度的に増えると、「1つの事象について、2つ以上の『真実』が存在しうる」ということも学んだ。
特に社会問題では、同じファクトに基づいていても、違った結論が導けるケースは多々ある。歴史的な経緯、立場によっても「正義」や「真実」は変わってくる。

たとえば原子力発電。
高校から大学にかけて、私は反原発、原発推進派、両サイドの本をかなり幅広く読んだ。新書なんかを入れれば当時だけで30冊ぐらいは集中して読んだと思う。
たどり着いた結論は「どちらが正解とはスッパリ言えない」というものだった。読んだ本には、それぞれに説得力があり、同時にそれぞれに我田引水なところがあった。
ちなみに当時から変わらない私の立場は「原則反対・暫定部分賛成」というものだ。ざっとまとめるとこんな感じになる。

・再生可能エネルギーで全エネルギーを賄えないから原発は『必要悪』
・ただし日本のような地震多発地域でテロやミサイル攻撃の懸念がある国に原発を作るのはリスクが高すぎる
・それでも原発を維持するのは核武装に備えたカードであろう
・それを考慮しても、『割りに合わない』からやめた方がいい

この持論の詳細や是非は置こう。
私が陰謀論から抜け出した後に身に着けた態度は、「一定以上に複雑な問題は、最低10冊程度は立場や見方の違う本を読んでみないと大枠さえ理解できない」というものだった。これは今も変わらない。

陰謀論は死なず

陰謀論にどっぷりつかった黒歴史にメリットがあるとすれば、「鼻が利く」ようになったことだろうか。
「覚醒後」に流行った陰謀論には、たとえばグラハム・ハンコックのベストセラー「神々の指紋」がある。
これなどは読んでいて「これな!」と笑ってしまうほど、どこかで聞いた話ばかりで、「こんな『定番ネタのもんじゃ焼き』で世界的ベストセラーになるのか」と違う意味で新鮮な驚きがあった。人類、チョロいな、と。
その後も、ちょっと思いつくだけで、

「アポロ月面着陸は捏造」
「2001年の米同時テロには米国エリートの一部が加担していた」
「米国は『ディープステート』に支配されている」

と陰謀論は大繁盛だ。この原稿を執筆している途中、検索で引っかかったこの最近の記事には、苦笑するしかなかった。

21世紀になっても陰謀論は幅を利かせている。それどころか、昔より勢いは増している。
それは、そうだろう。
SNSなんてデマをバラまくのに便利なものがあって、おまけに格差拡大で世界にエリートへの怨嗟が満ち、「置き去りにされた人々」の閉塞感は強い。「現実を直視しない」という誘惑は強まるばかりだ。
もともとハードルが高い手間のかかる「お勉強」は、大半の人がスマホを「世界を見る窓」としている現在、昔よりさらに手が届きにくい選択肢になっている。
今ほど陰謀論が肥沃な大地を得ている時代はない。

身近なところでは、今の日本にもこうした構図は当てはまるように見える。
安倍政権を巡る支持派と反対派の対立が好例だ。
安倍首相を敵視する人々は、「悪いのはすべてアベ」と問題を単純化しすぎる傾向があるし、逆に安倍支持者は「あの悪夢の民主党政権時代」と同じような手法を取っている。
議論は交わらず、不毛な対立だけが深まっている。
政治も経済も、そんな単純に一個人や一つの政権、政党を善玉や悪玉として特定できるようなもののはずがない。
ロジックの単純化と「敵の悪魔化」は、陰謀論の初歩の初歩だ。

陰謀論は死なない。
少なくとも、宗教よりは「長生き」するだろうと私は思う。
そして、陰謀論に引っかからないための完璧なワクチン、あるいは引っかかった人の目を覚ます万能薬もない。

私たちにせいぜいできるのは、このリンカーンが言ったとされる言葉を、常に頭に置いておくことぐらいだろう。

You can fool some of the people all of the time, and all of the people some of the time, but you can not fool all of the people all of the time.

一部の人をずっと、あるいはすべての人を一時だけ騙すことはできる。でも、すべての人をずっと騙すことはできない。

「新発見」や「隠された真実」なんてものは、疑ってかかった方が良い。
特に限られた人間たち、限られた書物でしか認められていないようなものは、「隠されてきた」なんて大層なものではなく、九分九厘、「取り上げるに値しない」から無視されてきた妄想、妄言なのだ。

世界には、完璧な善もなければ、完全な悪もない。
「これだけで世界が理解できる」なんて便利な物差しも、この世にはない。
足場を固めて、手が届くところから、少しずつ理解を広げることしか、私たちにはできない。

その作業は、陰謀論のようにイージーで甘美ではないけれど、世界の奥深さをもっと味わえる、豊かで贅沢な道だ。
30数年前、開高健がそれを教えてくれた。
あと10年もすれば、私は私が少年だったころの開高健と同じ年回りになる。
少しでも世の中を見る解像度を上げて、「開高健が見ていた世界」の片鱗でも覗き見られるようになりたい、と思っている。
繰り返しになるが、それを目指すことは、とても豊かで、面白く、贅沢な営みになるだろうと確信している。

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