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「神がかり!」第29話

第29話「瑠璃るりの少女」

 もう十年ほども前のことだろうか。

 ――当時の俺は下を向いてばかりの子供ガキだった

 とはいえ、世間一般の子供と比べたならそれはかなり少ない方だったろうが……

 俺にとって子供の、”俺の世界”に楽しいことが無いわけでは無かったろう。

 「……」

 その日の俺はなんとなく寝付きが悪く、寝床に潜り込んだままでそんな”くだらない過去こと”を思い出していた。

 ――

 十年ほど前も、その日も俺は拳を堅く握り地面を見ていた。

 「……いやだ……いやだよ……」

 ――そうだ、楽しいことが無いわけじゃ無い

 「早くしなさいっ!朔太郎さくたろう!」

 見知った女の怒声と共にその手が上がり……

 バシッ!

 俺の頬が赤く腫れる。

 「うぅ」

 ぶたれた頬を押さえることも無く涙ぐんで下を向いたままの俺。

 楽しいことが無いわけじゃ無い……

 ――ただ”辛いこと”が多すぎたのだ

 「折山おりやまさん、解っているでしょうが”てる様”もお忙しい身ですから……」

 俺と女……母親を囲んで立った男三人に急かされて、ペコペコと米搗蝗虫コメツキバッタの様に頭を上下させた母親おんなは再び俺を数回ほど引っ叩いてから上半身の服を剥ぎ取った。

 「……」

 俺は厳めしい顔つきの大人達に睨まれ、唯一の身内であるはずの母親おんなにはもっと憎悪の籠もった目で見据えられながら……

 上半身裸でそこに佇んでいた。

 「……」

 途中から抵抗は止めた。

 ぶたれるのが怖いんじゃ無い。

 それはもう……馴れた。

 「……」

 ただ……こんな状況でも……

 まだこの女に母親を望んでいる俺は……

 ――多分、嫌われたくなかったのだろう

 「てる様」

 俺が大人しくなった事を確認した男達はスッと横にズレて、ある人物を俺の前に促す。

 「……」

 当時の俺……

 六、七歳ほどの俺には壁のように感じる威圧的な大人の男達。

 その隙間から同い年くらいの、一人の少女が姿を現す。

 「……」

 ――ってる

 俺はっている。

 といっても一方通行だけど……

 俺は確かにこの娘をっていた。

 「両腕を肩の高さに上げて、上を向いて」

 少女の小さい唇が動き、感情の乏しい声で俺にそう語りかけてくる。

 「……」

 無言でそれに従う俺。

 「……」

 「っ!?」

 ――あれ……?微笑わらった?

 当時の俺は一瞬だけど、そう感じた。

 ――けどそれは勘違いだったろう

 その少女は俺がっている通り、記憶にある通り……

 きっと無表情で俺の前に立っているだけだったはずだ。

 「……」

 大きめの潤んだ瞳は少し垂れぎみであり、ちょこんとした可愛らしい鼻と綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇の可憐な少女。

 サラサラと煌めく栗色の髪が愛らしい容姿によく似合っている。

 一見、どう見ても年端もいかぬ可愛らしい少女だが……

 「……」

 ――俺はっている……

 いや、この施設の人間なら全員が知っているだろう。

 ――この少女が”そんな可愛らしいたぐいの存在で無い”ことを……

 「……始めます」

 無表情なまま、そう呟いた少女は俺の裸の胸……

 ここにはいない父親から刻まれた数々の惨たらしい傷に……触れた。

 「!」

 少女の白い指が傷を薄らと伝い……そこから何か……

 わからない波が俺の体に染みこむように……馴染んでくる。

 「うぁ……」

 痛みでは無い。

 普通は経験することが無いだろう、心地良さからくる違和感に情けない声を漏らした俺の視線の先には……

 「……」

 ――あおい……

 深い深海へと続く、いずれ無へ至るだろう鮮やかなあお

 緩やかに死を連想させるそれは、慈愛に満ちたあおの世界……

 ――あお……の瞳

 ”そういう”色に変貌した少女の双瞳ひとみ

 「……」

 当時の俺は、そんな少女に施術を受けながら――

 単純に”こんな宝石を図鑑で見たことがあるなぁ”とか思っていたものだ。

 ――なんだっけ?

 ――ええと……

 ――そうだ!たしか……らぴ……すり?

 ――瑠璃ラピスラズリだ!瑠璃色ラピスラズリ双瞳ひとみ!!

 「…………終わりました。次の方を」

 俺がほうけがちで少女に見惚れている間にその行為は終わっていた。

 ――

 途端にサッと肩を掴まれ、俺は大人の男に雑に横にどかされた。

 母親は先ほどにも増して何度も何度も頭を下げてはブツブツと念仏の様に呟いている。

 「てる様、有り難う御座います……ああてる様……てる様……」

 いや、それは”よう”では無くまさに念仏そのもの。

 六花むつのはな てるという神秘の力を授かった……

 教団の”現つ神あきつかみ”に捧げる言葉であった。

 「……」

 その時分の折山おりやま家は両親と俺の三人家族だった。

 父親はろくに働かず。酒、ギャンブル、女と絵に描いたようなクズだった。

 そして生活のためなのか、それとも生来そういう女なのか、母親は父親の留守に男を連れ込んでは情事を繰り返し、その相手に”はした金”を無心する毎日……

 当然、家庭内は争いが絶えず……

 やがてその矛先は子供だった俺に向いた。

 母親に行いを責められた父親の腹いせに蹴り飛ばされ……

 父親に殴られた母親のストレス先として殴られ……

 身体からだに大きな傷の残るような時は病院では無く、母親が入信しているこの教団に連れて来られた。

 傷の治療は勿論俺の為では無い。

 世間の目を逃れるためだ。

 教団……”蛍燦けいさん会”には奇跡を起こせる癒やしの少女がいる。

 俺は母親がこの教団に入信し、何度か連れられて来た時々で遠目からその少女を見ることがあったが、話した事は無い。

 今日のような酷い怪我をした時は、こうして治療として施術を受けられるのだが……

 その時も言葉を交わすなんて不敬なことは”一信者”の子供”なんかには許されていない。

 ――その少女も……

 ――俺とそんなに年の変わらなさそうな少女も……

 それを習知しているのだろう。

 無表情で黙々と施術を行い、それらが全て終わればさっさと奥の間に姿を消す。

 ――まれなくらい可愛らしい少女

 俺はその少女を初めて見たとき、子供心にも”話してみたい!”とか思ったりもしたが……

 今はもうそんなことは微塵も思わない。

 ――何故?

 簡単だ。

 彼女は”神様”だから……

 本当のところは子供の俺には解らなかったが、母親がそう言って盲目的に敬い、周りの大人達が付き従い……

 ――彼女は実際に奇跡を起こす

 それは当時の俺にとっては……本当に手の届かない存在の証明。

 いや、当時の俺に手の届くモノなんてそもそも有りはしなかったけど……

 「……」

 ――それは現在いまも……大差ないか

 俺は独り自嘲すると再びまぶたを閉じる。

 ――

 俺の睡眠時間は三時間ほど……

 一般的には決して十分とは言えない時間だ。

 だからこそか、今まで寝付きは良い方だったんだが……

 今夜は一向にそうすることが出来ないでいた。

 「………………」

 目を閉じた俺はもう無理に眠ることは諦め、睡魔が襲ってくるまでは暫く、自身の”くだらない思い出”に付き合うことにしたのだった。

 ――そうだな……

 かく、そういう存在だった彼女が……

 ”蛍燦けいさん会”には六花むつのはな てるという少女がいた。

 そして実は、彼女との接点が俺には過去に”一度だけ”ある。

 多くの信者の一人……

 その子供の俺の事など彼女は憶えてもいないだろうが。

 俺が学園であいつに再会したときもそうだったように。

 「…………影薄いのか?俺」

 そんなことを色々と考えながら俺の意識は次第に微睡まどろんでいった。

 ――
 ―

 「たぶん、こうっ!こうか?……いや、こうだっ!!」

 子供の俺はバシッ!と壁を蹴って、その反動で逆方向の空中で高々と右足をあげる!

 ブオッ!

 これは世間で言うところの”三角飛び蹴り”だ。

 「やった!出来たっ!ひっっさーーつ…………って、ええっ!?」

 空中で無理な姿勢を取ったため、俺はそのままバランスを崩して落下する。

 ――どぢゃっ!

 無様な格好で顔から着地した俺は……泥だらけだった。

 「くっ……なんだよ!これっ!?」

 その日は土砂降りの雨の次の日……

 舗装もされていない地面は泥溜まりだった。

 「くそっ……わわっ!?」

 慌てて立ち上がろうとした俺は泥に足を取られ、今度は背中から倒れる。

 ――ずちゃっ!

 「……」

 俺は今度は直ぐには立ち上がらなかった。

 すっかり変色して重くなった服のまま――

 「……」

 俺は暫く、昨日とは打って変わった青い空を見上げていた。

 「どうでもいいや……もう……どうせ泥だらけなんだ」

 そうしてゆっくりと状態を起こした俺の視線の先には……

 「くすくす」

 口元を押さえて笑う一人の少女の姿。

 「……」

 大きめの瞳は少し垂れぎみで、ちょこんとした可愛らしい鼻と綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇の…………可憐な少女。

 サラサラと煌めく栗色の髪が愛らしい容姿によく似合う、薄いピンクのワンピースを着た可愛らしい少女がいつの間にかそこにいたのだ。

 「な、なんだよ!見てたのか!?」

 思わず見蕩みとれれてしまったことを誤魔化すように怒鳴る俺。

 「う、うん……ごめんね。なんかキミが変な踊りを踊っているところから……くすくす」

 ――変な踊りっ!? 

 俺は瞬間的に頭にきた!

 苦労して練習していた俺の”必殺技”を変な踊り!?

 「あのなっ!あれは”せいとうは正義のダークヒーロー、キングカイザー”の必殺技で、キングカイザー・ブレイク・クリムゾン・ブラック・シュートだぞっ!!」

 泥の滴をまき散らしながら身振り手振りで流行のテレビヒーローの必殺技とやら、それを示して叫ぶ俺に少女は大きな瞳を丸くする。

 「ぷっ!あははっ」

 今度は行儀悪く、少女は可愛らしい小さい口を開けて笑っていた。

 「なっなんだよっ!」

 「だって……おかしいから」

 「だからなにがっ!?」

 「正統派なのにダークヒーローってなに?」

 「……え?」

 その指摘に頭が真っ白になる。

 ――あれ?なんかおかしいのか?それ?

 「あと”クリムゾン・ブラック”って、赤なの黒なの?」

 ――え?え?

 混乱する俺に矢継ぎ早に真っ当なツッコミを続ける少女。

 「極めつけはねぇ……」

 一変してキョトンするだけの俺を見るのが楽しいのか、少女は勿体つけた言い方と共に腰に手を当てて、もう片方の手の人差し指を泥の中の俺に向けた。

 「そもそも”キングカイザー”って?”王様皇帝”って何者?あははっ!偉すぎるよ!そのひと」

 少女はもう楽しくて楽しくて仕方ないのか、垂れ目気味の瞳に……

 綺麗で大きな瞳に涙を溜めて笑っていた。

 「…………う、うぅ」

 俺は……俺はと言うと……

 泥の中で黙ってしまう。

 夢見る幼気いたいけな少年に対する完全なる論破オーバーキルだ!

 「う……うぅ」

 未だ尻餅をついた状態で……

 幼かった俺には難しい言葉で……

 でも、なんとなく間違いを指摘されているのは解って、言い返す言葉の無い俺は……

 唯一ギラギラとさせていた瞳さえ伏せて黙ってしまう。

 「うう……ぐす……うぅ」

 ――そうだ、俺は……

 「うぅ……」

 ――当時の俺は下を向いてばかりいた

 「……」

 「……」

 ――

 「……え?」

 そんな俺を見ていた少女はいつの間にか笑うのを止め、静かに右手を俺に差し出す。

 「え……と……あの……ごめんね?」

 「う……ぐす……??」

 戸惑う俺に、右手を差し出したままの少女はニッコリと微笑んだ。

 「う……うぅ」

 俺は怖ず怖ずとその手を取る。

 「う…………ぁ」

 柔らかくて綺麗な手。

 白い……華奢な手。

 泥だらけの俺の手で汚してしまうのは、子供の俺でも戸惑われるような……

 白くて可愛らしい手だった。

 「キミ……知ってるよ。折山おりやま……えっと……太郎たろう……くん?」

 ――っ!?

 突然名を呼ばれ……

 いや、正確には間違っていたけども……

 とにかく、何故か俺の名を知る少女に俺は驚いて思わず……

 ――ずりゅっ!

 「わっ!」

 「きゃっ!」

 ――ばしゃっ!!

 再び足元がお留守になった俺は彼女を巻き込んで盛大に泥の中にダイブしていた。

 「ごっ!ごめんっ!!だ、だいじょうぶ!?そ……その……」

 慌てて相手を確認する俺に――

 綺麗なワンピースの服も、白い手も足も……

 そして可愛らしい顔も……

 「えへへ……お仲間になっちゃったね、キミと……」

 泥にまみれた少女は、それでも――

 「……」

 俺が馬鹿みたいに口を開けて見蕩れるほどに……可愛らしく微笑んでいた。

 ――ああ……しってる

 ――俺はってる……このを……

 大きめの潤んだ瞳は少し垂れぎみであり、ちょこんとした可愛らしい鼻と綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇の可憐な少女。

 サラサラと煌めく栗色の髪が愛らしい容姿によく似合っている。

 一見、どう見ても小さくて可愛らしい少女だけど……

 ――俺はってる

 そうだ、この施設の人間だったらみんなが……

 ――この……

 六花むつのはな てるが、そんな可愛らしい種類の女の子で無い事を……

第29話「瑠璃るりの少女」END

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