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「神がかり!」第30話

第30話「虚像イミテーション

 シャァァ――

 シャワーの音に背を向けながら俺は裸で胡座をかいて座っていた。

 ――どうしてだろう、こんなことになったのは……

 考えながら俺は背後をチラ見する。

 「あ、太郎くんもシャンプーする?髪も泥臭くなったからその方が良いよ」

 少し垂れぎみの大きめな瞳の少女が俺の視線に気づき、綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇をニッコリとさせる。

 その少女、六花むつのはな てるの小さくて白い身体からだと栗色の髪を覆っていた泡は綺麗さっぱり排水溝に流れ落ち、今は無色透明なシャワーの水滴のみを身に纏った大胆な姿で俺の背中を眺めていた。

 ――幼いとは言え、あまりにも無防備で……

 「……」

 ――だけど……やっぱり可憐な少女

 ”この少女”がそんな可愛らしいたぐいの存在で無いことを俺はっているはずなのに……

 「……っ」

 俺はあからさまに”ぷい”と目を逸らして、背を向けたまま立ち上がった。

 「あれ?駄目だよ、ちゃんと洗わないと……」

 「……」

 「太郎くん?」

 ――っ!?

 状況に耐えきれず、無言でそのまま浴室を出ようとした俺の背後から二の腕辺りを掴む少女。

 「ひょっとして……恥ずかしい?」

 「うっ」

 その一言で顔全体に熱を帯びる俺、

 「……へぇ」

 少女はニヤりと可愛らしい口端を上げていた。

 「太郎くんは意外と”おませさん”だね。まだまだお子ちゃまのくせに女のひとの裸が恥ずかしいんだぁ?」

 「ちっちがっ!俺は……」

 図星を突かれ、思わず俺の腕を掴む少女とバッチリ目が合う俺。

 「あ……」

 そして俺は見た。

 栗色の髪が可愛らしい美少女は悪戯っぽく口元を綻ばせて……

 ――なんだかすごく”楽しげ”だった

 「お、俺は女の裸なんて気にしてないぞっ!!せ、正義のダークヒーローはそんなどうでもいいことはへっちゃらなんだよ!だ、だいたい……」

 「……ふぅん」

 相変わらず楽しげに、徹底抗戦を試みる俺の顔を眺めている美少女。

 「だ、だから……だか……うぅ……」

 俺はその余裕の態度が気にくわなくて……

 「だから?なにかなぁ?」

 聞いた話だと俺とひとつしか違わないくせに妙に大人ぶる少女が気にくわなくて……

 「だ、だいたい!お前のそんな”お子ちゃま”な体を見たって嬉しくともなんともないぞっ、ほんとだぞっ!」

 俺は彼女に言われた言葉をそのまま返していた。

 「ひどいなぁ、太郎くん。女の子にそんな事いったらモテないよ?」

 「……」

 ――”てんで”話にならない

 このときの朔太郎おれてるの精神年齢の差は……圧倒的だった。

 「くっ……」

 子供心にもなんとなくそれに気づいた俺はなんだか馬鹿らしくなって……

 ガッ!

 無言でタイル張りの床に置いてあったシャンプーの入ったプラスチック容器を乱暴に手に取り、ポンプを押して泡を手のひらに出していた。

 「ふふ、えらいねー、太郎くん。そうだ、”おねぇさん”が洗ってあげるよ」

 そんな俺を微笑ましげに眺める大きめで少し垂れぎみの瞳の美少女は……

 やはり俺より一枚上手だった。

 「う!?……あ」

 少女は俺の背後から肩に両手のひらを置いて、その場に座るように促してくる。

 「…………」

 俺はもう……ただ素直に座って彼女に従うしかなかった。

 ゴシゴシ

 頭の上で泡立ったシャンプーの良い香りが直ぐに浴室内に充満する。

 ゴシゴシ

 「……」

 眩しいくらいに白い指先が俺の髪の毛に絡まり動き続ける。

 ゴシゴシ

 「良かった……泥だらけのままじゃお家に帰れなかったでしょ?」

 「……」

 俺には背中に目が無いとは言え、湯気とは違う素肌の温かみが幼い俺の鼓動を早くする。

 「お母様も何事かと心配するでしょうし……」

 「……」

 背中で一方的に話し続ける少女の言葉を聞きながら俺は考えていた。

 この少女は……六花むつのはな てるは……

 どこまで俺のことをっているのだろう?

 俺なんか、多くいる一般信者に過ぎない母親の……連れてきた子供だ。

 会った事だって数度だけ……

 治療を受ける多くの人間のひとりというだけだし、今の今まで口をきいたことも無かったのに……

 だいたい、今日はその治療を受けに来た訳でさえ無いし……

 母親が教団にお布施を納めに来て……それについてきて……

 大人同士の、なんだか難しい話をしている間、俺はこの施設の裏庭でいつも通り独りで遊ん……暇を潰していただけだ。

 ――なのに、今のこの状況は一体何なんだろう?

 ゴシゴシ

 「……」

 子供心にも俺は、不可解な感覚に不安とほんの小さな……希望を……

 ほんとは少し憧れていた少女に……

 でも実際は手の届かないと思っていた”神様”の少女に……

 「太郎くん、痒いところとかある?ゴシゴシしてあげるよ、ふふ」

 「……」

 ――こんなふうに話ができるなんて……

 その時の折山おりやま 朔太郎さくたろうは不機嫌な顔で座っていたけれども……

 内心はドキドキと……

 小さい鼓動はずっと期待に跳ねていたのだ。

 「…………き、きょうは……」

 「?」

 そして俺は……

 「きょうは全然かんじがちがうんだ……な」

 舞い上がっていたのもあるのだろう。

 ――

 気にも留めずに、そう口に出してしまっていた。

 「……」

 「……」

 不意に訪れる沈黙。

 「う……」

 俺は”しまった”と思った。

 つい調子に乗って”いらないこと”を言ってしまったと……

 ――

 ザァァァァァ――

 「ひゃっ!?」

 突如、俺の頭にシャワーが浴びせられ、頭を覆っていた泡が汚れと共に一気に床へと流れ落ちる。

 「はい、おしまい」

 背後の少女はそう言って俺の頭からアッサリと白い指先を離した。

 「…………」

 俺にはそれが、なぜかすごく寂しくて……

 「あ、あの……」

 ――がっ!

 俺がそう感じて思わずなにか声に出そうとした瞬間!

 背後の白い手は俺の頭から移動し、代わりに両腕をがっしりと捉まえていた。

 「えっ?ちょ……」

 そしてそのまま、半ば強引にグルリと回転させられた俺の身体からだは……

 「……っ!?」

 「……」

 今度は正面からその美少女と向き合っていた。

 ――うわっ!?

 子供とは言え、さすがに真正面から女の子の裸を見るのは俺には難易度が高くて……

 「ご、ごめ……」

 身体からだは緊張で硬直したままでもなんとか視線だけを逸らす。

 「…………のね」

 「え……え?」

 視界の外から――

 少し聞き取り辛くなったてるの声がした。

 「あ……あの?」

 「だから!太郎くんは……せ、正義のダークヒーローになりたいんだよね?」

 「……」

 仕方なく声の方に視線を戻し、彼女の裸を出来るだけ視界に入れないよう顔だけが見えるよう……

 ぎこちなくも挙動不審な俺は――

 ――!?

 彼女のさっきまでとは全然違う、堅い表情に戸惑った。

 「お、俺の事はいいだろっ!いま聞いているのは……」

 そして対応に困った俺は咄嗟に怒鳴る。

 ――子供っぽい夢……

 いや子供だったのだから当たり前だが。

 それでも、それを真正面から確認され、子供だと馬鹿にされていると思い込んだ俺は急に恥ずかしくなって誤魔化そうとしたのだろう。

 「わたしは……こんなだよ?……ほんとうは……」

 しかし彼女はさっきまでとは明らかに違って。

 そんな俺の強引な返しにもちゃんと応えようとする。

 「…………」

 「たろ……う……くん?」

 黙り込んだ俺を不審に思ったのか、顔を覗き込んでくる少女の嘘の無い瞳。

 俺はそれが苦しくて、つい”本音”を言ってしまう。

 「だ、だって……普段は……冷たい……に、人形みたいな……女じゃないか」

 「……」

 すごく悲しそうな表情かお

 俺はまたもや”やらかした”のだった。

 「ち、ちがうよっ!!あの……”神様”なんだから……お、俺達とは違うって言う意味で……」

 「……」

 さらに悲しみに染まる少女の瞳。

 「う……あぅ」

 喋れば喋るほど泥沼にはまっていく俺。

 その時の俺はどうして俺がこんな状況に……

 とにかく一秒でも早くこの場から逃げ出したいという一心だった。

 ――

 「わたしは……ね、そうしているだけ……」

 「……」

 「太郎くんだって普段は下ばかり向いて……なんだか色々と諦めたみたいな、そんな顔にしてるでしょ?そんな子供を……演じてる」

 ――っ!?

 俺はギクリとした。

 「俺は別に!!お、俺は好き好んでこんな……か、関係ないだろっ!!」

 気がつくと俺は叫んでいた。

 ――俺の家の事、なにも知らないくせにっ!

 ――子供の俺が親に……大人相手になんにも出来なくて、だから”そうして”たって……

 「それのなにが悪いっていうんだよっ!!」

 「私もそうだよっ!」

 ――っ!!

 俺は…………

 即座に言い返された一言で頭が真っ白になった。

 「…………う……それ……それって」

 目の前の少女は同じように、

 俺と同じようにずっと叫んで……いたのだ。

 「神さ……てる……ちゃん」

 「……」

 今度は少女が目を逸らす。

 「……」

 「……」

 そしてそっと、俺の両腕から少女の手が離れた。

 「ごめ……おれ……」

 てるの白い手のあった場所は……

 少しだけ赤くなっていた。

 「急に怒鳴たりしてゴメンね。でも……キラキラしてた今日の太郎くんの方が良いよって……そう思ったのは本当だよ」

 「……」

 「だから……声をかけたの……かけて……しまったの……でも……ごめんね」

 所在なげに俯く少女に俺は――

 「……て、てるちゃんは……”神様”が嫌なのか?」

 ごく自然にそう問いかけていた。

 「…………うん」

 そして少女も自然に頷く。

 「じ、じゃあ……いったい”なに”になりた……」

 「ねぇ……さっきも言ったでしょ、今日はもうおしまいだよ」

 てるはそう言うとそっと浴室の引き戸を指差して俺に出て行くよう促したのだった。

 「て……る……ちゃん」

 俺はまだなにか……

 いろいろと言いたいことはあったけど……

 さっきとは違って、今はもう少し話したいと思っているけど……

 「うん、わかった」

 彼女に背中を向け浴室の引き戸に手をかけていた。

 ガラッ!

 「あ、あのね…………あの……もし」

 か弱い声が背中に投げかけられても――

 「……」

 俺はそのまま引き戸を開け脱衣所に出ていた。

 「き、今日は……”おしまい”だけど……も、もしキミが……その……いつか……憶えていてくれたら……」

 「……」

 ――憶えていてくれる?なにを?

 「わたしは……わた……」

 ――

 「てる様?何処ですか?お風呂に入られているのですか?」

 遠くの方から声が聞こえてくる。

 タン、タン、タン!

 そして床を叩く足音が次第に近づいてくるのがわかった。

 「……」

 ――不味まずいよな、この状況……

 子供心にもそう思った俺は慌てて自分の汚れた衣服を掴むとそこを去ろうとドアを閉めた。

 ピシャン!

 「わたしは……」

 そして後は一目散にそこを走り去ったのだ。

 「……たろうくん………………普通に…………生きたい……」

 遙か後方で小さく呟いた少女の言葉を……

 「……」

 彼女はきっと俺が聞いていなかったと思っているだろう。

 ――けど

 「……普通に……普通」

 けどあの時、俺は本当は……

 ――
 ―

 「そのまま両腕を挙げて下さい」

 「……」

 後日、いつも通り教団の治療に訪れた俺に対する少女の対応は以前のままだった。

 「……始めます」

 「……」

 感情無く。

 唯々淡々と奇跡せきむこなす。

 ――

 そしてそれ以降はずっと同じ事の繰り返し……

 元通りの日常。

 それから少しして、俺の家庭が崩壊して、俺は教団そこを訪れなくなった。

 そして”蛍燦けいさん会”の現つ神あきつかみ六花むつのなは てるは、あの時のように微笑わらう事はなくなったのだった。

第30話「虚像イミテーション」END

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