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「神がかり!」第06話

第06話「良い性格だ」

 グイッ!

 ゴツゴツとした芋虫のような指が俺の胸元を捕らえようと伸ばされる。

 その巨体からは想像できない素早さだ!

 ――っ!

 無駄のない動きで巨体が前に出るのと同時に次々と繰り出され、

 バッ!ババッ!

 俺の胸ぐらを掴みに掛かってくる腕!

 「ちょっと短気すぎだろ、柔道家っ!」

 機敏に反応した俺は、足下に拘束していた男の腕を早々に手放して後ろに飛び退く。

 グワッ!バシッ!ヒュバッ!

 連続して繰り出される岩家いわいえの洗練された掴み手を――

 「っ」「ちっ!」「はっ!」

 跳び退き、下がり、仰け反ってやり過ごす俺。

 ――確かにこれは高校生レベルじゃないな

 岩家いわいえ 禮雄れおが柔道部主将でありながら公式戦に出場していない理由が理解できた。

 ヒュバッ!シュッ!

 「……っ!」「ふっ!」

 これだと高校生どころか、オリンピックのメダリストでさえ五分と生きていられないだろう……

 「……」

 ――で?

 対する俺は一見して逃げ回ることに必死であるが、岩家いわいえほどの実力者でも簡単に掴まえる事が出来ていない。

 「はっ」「ふっ」「よっと」

 ヒョイヒョイと躱す。

 「ちぃぃっ!」

 まるで雲のように掴み所が無い俺に、簡単に御せると思い込んでいた大男は苛立っているようだった。

 「あらよっと!」

 「貴様ぁぁっ!!」

 遂に業を煮やした大男は怒号を放つ!

 ガシィィン!

 と、同時に癇癪かんしゃくを起こしたように乱暴に足を蹴り上げ、何かを蹴り飛ばした。

 「ぐぎゃ!」

 潰れたヒキガエルのような無様な声を上げ、転がる哀れな男。

 それは先ほどまで俺が組み伏せていた男だ……

 ――って、まだ転がっていたのかよ?

 しかしマジかよ?

 腹いせに?仲間を思い切り蹴り飛ばしやがったのか?

 「っ!?」

 ガシッ!

 そんな事を考え、一瞬だけ注意が逸れた俺の胸ぐらをグローブのような骨太の両手がガッシリと捕らえていた。

 「ふ、ふふふ」

 これ見よがしにニヤリと笑う岩家いわいえ 禮雄れお

 「守居かみい てるから手を引けぇ!!」

 大男は仕留めたと言わんばかりのニヤケ面で言う。

 「……」

 確かに、柔道……いや柔術使いに組まれたら勝負は着いたようなものだ。

 俺はその乱暴者を絵に描いたような巨漢を至近距離から無言で見上げていた。

 ――あぁ、面倒くさい展開だ

 「貴様の為でもあるんだぞ?あの女は”死に神”だ。関わり合うと碌な事が無い!」

 「そういう噂もあるみたいですね」

 胸ぐらガッシリ固定されたまま、俺は諦めたような顔で興味なさそうに応える。

 「噂?真実だ!あの可憐な見た目に騙されんことだ、折山おりやま……なんとか太郎」

 ――いつ、可憐って口にする顔かよ

 いやいや、それよりも襲ってる相手の名前も覚えてないのかよ、このゴリラ!

 岩家いわいえの物言いに多少イラッときた俺だが、それが何故なのかよく解らない。

 この程度で――

 本当の意味で不機嫌になるほど、俺はそんな多感な精神を所有していない。

 そんなものはうの昔に――

 「……」

 錆び付いて、腐食して、なんだか解らない細菌共に分解され尽くしたはずだ……

 「……おい、なんとか太郎」

 ゴリラの角張った無骨な顔、その奥で光るギラついた両まなこが俺の返事を待っていた。

 ――はぁぁぁぁぁぁぁっ!!

 贅沢は言いたくないが……

 俺の返事を心待ちにするのはショートカットの可愛い少女が上目使いに頬を桜色に染めながらっていう、そういう”ドキドキ”シチュエーションだけにして欲しい。

 「折山おりやまっ!」

 ――とはいえ、

 こういう単細胞相手には事を荒立てずに処理するのが一番だな

 俺は自身の苛立ちという感情に少々の疑問を感じることは感じたが、それはキッパリ無視して人生経験上のセオリーを優先ることにした。

 ――負けるが勝ちってな

 俺が言うのも何だが……

 折山おりやま 朔太郎さくたろうという男は、理解出来ない自身の感情などと言うものにはそれこそ興味が無いのだ。

 「わかりました」

 ブオッ!!

 俺がアッサリとそう答えた次の瞬間!

 掴まれた胸ぐらを強引に引き上げられる!

 「ぐっ!」

 俺は岩家いわいえにギリギリと詰め襟の胸元を、二本の丸太のような豪腕で締め上げられていたのだ。

 「がっ、がはっ!」

 足下はいつの間にか宙に浮いている。

 ――獣じみた恐ろしいまでの膂力

 俺の身長は百七十八センチ、決して小柄では無い。

 中肉中背、体重は六十キロ後半のはずだ。

 その一人前の男が抗うのを軽々と両の腕のみで釣り上げる!

 岩家いわいえの巨体を見下ろす形で引き上げられた俺は、丸太のような屈強な腕に締め上げられ完全に死に体であった。

 「折山おりやま、首つり自殺を味わう気分はどうだ?」

 いびつに大ざっぱな造形の口元を緩めながら問いかける岩家いわいえ 禮雄れお

 勿論、俺が返事なんてものが出来ない状態であることは承知の上だ。

 「どうだ?ついでに臨死体験も経験しておくか?」

 そう言って岩家いわいえが獲物を捕らえた自らの豪腕に更なる力を加えようとした矢先……

 パンッ!パンッ!

 丸太のような厳つい腕を俺は右手の平で二度ほど軽く叩いた。

 「…………ふんっ」

 途端に岩家いわいえは面白くなさそうに鼻息を鳴らしてから両手を解き、俺を解放する。

 ドサッ!

 電池の切れた仕掛け人形のように力なく地面に崩れ落ちる俺の身体からだ

 「…………」

 俺は地べたに尻を着いたまま青い空を仰ぎ、虚ろな目で惚けていた。

 謂わば首つり自殺と同じ。

 いや、下から締め上げられていることを考えればそれ以上の状況であった俺が、意識を保てないのは常識的な人間の体なら当然の事といえるだろう。

 「ギブアップの方法は知っていたのか?小賢しいな」

 岩家いわいえ 禮雄れおは半死の俺を見下しながらも、”あの状態で”よくそれが出来たものだと少し感心しているような顔にも見える。

 勿論、俺がそうしなくても……

 俺が完全に意識を失ったところで解放するつもりであったのだろうが。

 「ぐっ……”わかった”って……い、言っただろ……ゴリラめ……こ、言葉通じないのかよ……」

 「!?」

 岩家いわいえの無骨な顔が、それが一瞬で驚きに変わる。

 「話せるほどに意識があるのか?デタラメな奴だな」

 ――お前が言うな!

 非常識な馬鹿力出しやがって……

 睨み返す俺だが、取りあえず今は立ち上がることは出来ない……そう、しない。

 「……ち」

 ――そうだ、”現状いまは”無理をする時では無いだろう

 「ふん、やはりダメージは大きいか。はははっ!」

 岩家いわいえは”そうだろうそうだろう”と俺の不甲斐ない状態に納得した笑みを浮かべると、無骨な顔を歪めて豪快に笑い飛ばした。

 「く!……”わかった”って聞こえなかったのかよ、ゴリラ」

 「確かにその言葉は聞いたが、”あれ”は貴様の目が嘘だと言っていた」

 「……」

 ――嫌な奴だな……

 お友達にはなたくない。

 いや、友達じゃ無かったな……って事は、俺はラッキーなのか?

 俺は頭のこんがらがるような無意味な感想を巡らせながら岩家いわいえのサディスティックな笑い顔を眺め、取りあえず”もう終わりにしよう”と決めていた。

 ――ああ面倒臭い……ほんと、くだらねぇ

 「わかった、わかりました。すみませんでした岩家いわいえ先輩。金輪際、手を引きます。ちょっと可愛いから惜しいなーとか全然思ってません、ほんと!!」

 俺は素直に平謝りして許しを請う。

 正直な話、もともと俺にはそんな未練は無い。

 というか、てるが過去を捨てたのなら彼女は俺にとって全く興味の無い対象だし、そもそも他人と関わり合うのは面倒極まる。

 少しばかり抵抗したのは売り言葉に買い言葉、

 このゴリラがどんな意図で俺に接触したのか少し興味があっただけだ。

 ――だがそれも、もういいな……

 この程度の事なら理由を知る気も無いし、気に留める必要も無い。どうぞ、ご勝手にってところだ。

 「どうしますか?」

 そんな俺をよそに、岩家いわいえの後ろに控えていた二人の男が指示を仰いでいた。

 ――おいおい、いまさら出しゃばるなよ、三下さんしたくんたち

 「……少々痛めつけろ。そうすれば、こいつの浮ついた頭でも理解できるだろう」

  岩家いわいえは元からそれが目的だったのではないかと思わせるような、そんな見下した笑みで俺を見ていた。

 ――本気マジかよ!?

 こんな、かわいそうな俺に追い討ちって……こいつら鬼か!

 立ち上がることも出来ない俺に、ニヤニヤしながら近寄る二人の男……

 いや、三人の男。

 「あ……あんた?……マジかよほんと、はぁぁ」

 いつの間にか、ちゃっかりそれに加わっている……俺が最初に組み倒していた男の姿を確認し、俺は大きくため息を吐いた。

 ――自分を蹴り飛ばした男に媚び諂う

 ――そういう性格……良いねぇ、ほんと

 俺は心中でそう”ごちる”と諦めたように天を仰いだのだった。

第06話「良い性格だ」 END

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