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映画イージーライダーについて。田舎YouTuberについて。

 言わずと知れた映画イージーライダー。ヒッピームーヴメントなどに多大な影響を与えました。しかし、ヒッピーを擁護する映画ではなくアメリカ社会の事実を描いた映画だと思います。

田舎と都会、保守とリベラルについて

 この映画の扱う二項対立には、田舎と都会、保守とリベラルが挙げられます。
田舎は保守的で、ヒッピーを忌み嫌っています。しかし、ヒッピー達は田舎を走り、田舎にコミューンを作る都会っ子なのです。
 対立する二者が同じ場所で暮らそうとしているのは矛盾していています。

 主人公たちは、ヒッピーに寛容な都会の西海岸(LA)から南部の東海岸にむけて走ります。これら都会から田舎へ、リベラルから保守への旅路であるともいえます。

↑青いロサンゼルスから赤い南部へ


  りんの田舎暮らし、というYouTuberの方は、北海道のある村に住んでいたものの、村民から嫌がらせを受けて移住せざるを得ない状況にあると言います。  
 この情報が本当であれば、日本の農村社会は成長を拒絶しているとしか思えません。

自由としがらみと理想

 都会に疲れた人は、自然(イノセンス)を求めるのかもしれません。そして、日本人はイノセンスや無邪気さに惹かれる人々なのかもしれません。しかし、それには悪いこともあるのは否めません。 
イノセンスというのは、当事者でなく他者が描く理想であると思います。
 秋田の上小阿仁村の嫌がらせの疑惑や、日本の農村の悪いイメージである村八分など、日本の農村社会が保守的で排他的である一面を持っているのは否定できない気がします。
自分自身もどちらかと言えば田舎育ちですが、人間関係に疲れたから田舎に行こうとするのは矛盾していると思います。 
都会の方が個人主義的に生きられるということです。

 イージーライダーでは、主人公たちは、田舎で除け者にされ、殺されてしまいます。

 ただ、田舎は悪いところばかりではないと信じています。理想に近いコミュニティーの形成のためには、田舎は自由や他者を受け入れるリベラルな考えを受け入れ、都会っ子はデタッチメントではなく、ある程度のコミュニティーの交流が必要です。

 シンエヴァの第三村の、シンジくんが心を開いていく過程と似ているかもしれません。
第三村も庵野監督の田舎へのイノセンスからの憧れなのかもしれませんが。

 中立やニュートラルを追い求めるのは、上手くいかないことが多いですが、新たな考えを受け入れるのは出来ると思います。

 ヒッピーだから、都会の人だから、と排他的になるのではなく、しっかり向き合う姿勢が大切です。
 
 個人主義が進み過ぎる都会は苦しいと思うし、排他的で我が儘な農村社会も苦しいです。

 若者の投票率や少子高齢化が取り沙汰されていますが、民主主義で言えば、田舎のほうが改革しやすいはずです。新たなマジョリティーを作りやすいのは民主主義の良さを生かせる大チャンスであると言えます。
 日本のシステムの中で良い方向に向かって行ってほしいです。

 日本の田舎だからこそ、この映画の主人公のように「大衆の無意識な恐れ」によって殺されることはありません。日本の田舎だからこそ、変えられるはずです。

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