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自分は一体何者なのか

こんにちは。ひろしま県民電力の中の人間です。
学生を終えて社会に飛び出し、新社会人として働き始めた頃の
「なんでも吸収してやるんだ!」社会人2年目の頃にやってくる「後輩もできたし、負けずしっかりやっていくぞ!」
このような、弦が常に張っているような状態が、今でも継続してあるだろうか。
中堅社員といわれる所(もしくはそれ以上)まで来ると、実際に行う業務も新卒の時とは、もちろん変わり、気持ちの余裕も生まれてくるかと思います。
そんな時にちらっと姿を現す、なんでも分かって、できる気になっている『驕れた自分』に気づける方はどれほどいるのでしょうか。(もちろん常に謙虚な方も多くいらっしゃると思います!)
(実は、私も『驕れた自分』と定期的に挨拶を交わす人間で、つい最近も、つまらないご飯を与えて肥えかけていた『驕れた自分』に綺麗なパンチを入れ込みました)
そんな私、パンチマンが今回は『自分は一体何者なのか』というテーマに沿って自身の考察から実際にしていることを皆さんにお伝えできればと思っています。

それゆけ、パンチマン

今回のテーマ『自分は一体何者なのか』と、冒頭部分の内容が、まだ繋がっていない方もいらっしゃるかと思いますが、安心してください。(この後、結論言います)
今回、何が言いたいか、
【自分が思っている以上に、自分が出来ることは限られている】
ということです。
私自身、このことに気づいた時、変に力んだ状態から解放され、少し安心したと同時に、自分の力の無さを全身で理解し、虚無感に苛まれました。
なぜこんな状況に陥っていたのか。過去を遡り、私なりに分析をしました。

レッサーパンダの威嚇

私たちは常に誰かから評価を受ける、という社会環境で仕事をしています。まず最初に社会人(もしくは社会人になる予定)として評価を受ける時は、「就職活動」ではないかと思います。
自分のやってきたことをピカピカに磨き上げて、場合によっては少し盛る。如何にイケてる感を出すか。このような、レッサーパンダの威嚇のような大きく見せる事をエントリーシートの中や、面接の場で行ってきたのではなかろうか。もちろん私も、その人間、いや、レッサーパンダのうちのひとりでした。(レッサーパンダ程、私は可愛くない)
実際に社会人となり働き始めると、最初のうちは実績が無い為、その様なことは少ないと思いますが、実績ができ始め、部下からもある程度慕われるようになってからは、就職活動の時と似たような発言や行動を無意識のうちにしていたりするのではないのでしょうか。
私の場合は、過去していた仕事が、法人や、全国の様々な業界の社長と一緒に仕事をすることが多く、今でもプライベートで可愛がって頂くこともよくあります。
私はこのような経験やご縁を自分の自信とリンクさせ、知らず知らずのうちに、『驕れる自分』を肥えさせてしまっていました。

あなたもこれで、立派なパンチマン


そんな状態になっていることに最近私は気づき、深く反省をしました。もし『驕れた自分』に出会っている方がいれば是非読んでほしい。また、これを読んで、自分で気づくことができなかった『驕れた自分』にパンチを入れてほしい。
そんな私は、『驕れた自分』を探す時、自身へこんな言葉を投げかける。
【自分が尊敬する先輩や先生、社長ができることを、自分が出来ることだと勘違いしていないか】【自分は一体何者なのか】
結果、ただの会社員。ただの人間。なのだ。(逆を返せば、ただの会社員だから自分を大きく見せたがってしまうんだとも思う)
虚しい。非常に虚し悔しい。が、これが事実。
しかし、これに気づいた私は、視界が一気に広がりました。
自分が出来ることは必死に取り組み、できないことは素直にできる人に頼めばいい。実際のところ、世の中はそうやって回っている。
そうでなきゃ、組織なんて組む必要もない。

悪役が結局負ける方程式


「どこからともなく湧き出てくる自信」と「驕れた自分が生み出す自信」は出身地が全く異なる。私はそう理解しています。(これらの2つの自信は紙一重で、慎重に判断しなければいけません。)
『驕れた自分』が大きくなればなるほど、過信へと変わり、最後には
アニメや漫画の中で最強とされているラスボスが負けるのと同じ仕組みになってしまうんじゃないかと思います。
少し話が逸れましたが、常に謙虚に、自分の役割をしっかりと理解し、その中で最大限取り組んでいかないといけないなと、感じています。

皆さんも日々思うことなどコメントで教えて頂けたらと思います!
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
それではみんなで、レッツ、パンチマン。

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