研究の対象と方法の堂々巡りについて
この1ヶ月ほど、学会発表の準備や、その後の論文投稿のことこも考えながら、博士論文計画の構成と文章を考えだしました。要は、これまでのインプットや用意しているアウトプットを、どうやってまとめていこうかということです。まだまだこれで良いのかがわからないのですが、先が長い道のりなので、忘れないようにと思って、備忘録的なものを書いてみました。
リサーチクエスチョン(RQ)
以前も書きましたが、やっぱりスタートはここです。
というか、今大学院にいる理由でもあるので、単純に、
なぜ「それを研究するのか」
何が疑問なのか
という点は大事です。ただ、これだけでは前に進めない(論文というアウトプットにはならない)ので、以下のようなステップというか、実際には行きつ戻りつのプロセスが必要になります。
また、この3年ほどでつくづく思うのは、このようなプロセスには非常に時間がかかります。社会科学なので社会現象を扱いますが、その中にどんな本質というか、時代によって変わらないものを見出そうとするのか、そこが難しいところです。
対象の明確化
リサーチクエスチョンの言語化と同時に、「対象」の明確化も必要となります。例えば対象を「地域経済」や、「鉄道産業」としても、「地域経済」の定義とは、なぜその産業が対象なのか、どのような意義があるか、何を検証するのか、など、基本的な質問に答えられません。
リサーチクエスチョンの明確化は、対象の明確化やあとで述べる研究の「方法」にも密接に関連します。これらは順番で考えるというより、常に行ったり来たりしながら、できるだけ多くのインプットをもとに徐々に明確化していく、というのが自分の場合のこれまでです。
とりあえずは、「インフラ産業である鉄道産業と地域経済との関係、制度(Institution)について」という言葉を対象の定義としておこうか、という感じで今は考えています。定義上、キーとなるのは「インフラ」と「制度(Institution)」という単語です。鉄道産業と地域という観察エリアを特定して、インフラと制度という一般化できる概念を考えていく、という感じでしょうか。
経済学のような社会科学については、このような対象の明確化が難しいというのが自然科学との大きな違いだと思います。
上記の往復と文献調査
インプットだけであれば、興味の赴くままに、というのもアリなのですが、とりあえずは論文というアウトプットを出す必要があります。そのためには、リサーチクエスチョン、研究実証の対象の明確化が必須なのですが、インプットがないとうまくできない、という問題があります。
最初は、テキストも含めて、既存研究の膨大な情報に圧倒されますし、また、いいと思って深掘りしていっても、実はあまり使えそうにないことがわかった、とかもあります。限られた時間の中で広さと深さのバランスを取るのは本当に難しいといつも思います。
「時代によって変わらないものを見出そうとするのか」が難しい、と先に書きましたが、インプットとして文献や本を選んでいくときにも当てはまります。ただ、そのような背景やつながりを自分なりに見つけるのは、単純に楽しいというか、一つのモチベーションでもあります。
方法の選択
分析のフレームワーク
対象の明確化や文献調査とやはり行ったり来たりにはなるのですが、自分以外の人に理解可能なアウトプットとするためには、ある程度「型」にはめていくことも必要となります。
これが理論、フレームワーク、方法論なんですが、やっぱり難しいのは、抽象と具体のバランスです。「市場理論」では何も決めてないのに等しいですし、「行動経済学におけるプロスペクト理論」や、「計量経済学に用いられる推計手法のうち、DID手法の統計理論」のような粒度ですと、分析対象範囲はかなり限られてきます。分析手法そのものを理論的、批判的に考察して論文にするというのももちろんあるのですが、そのためには、RQと研究対象、検証仮説をそのように設定しないといけません。
また、方法が分析対象やリサーチクエスチョンを制約するのは、自動的にフォーカスされてくるということで、ある程度は良い面もあるのですが、やはり、そもそもなぜ研究を行うのか、なぜその対象なのか、ということと総合して考えるべき問題です。この辺りが一番ぐるぐるとなって、どうして良いやら、と悩みの出口を見つけるのが大変なところだと思います(自分の場合。また今も完全にクリアになったわけではもちろんないです)
仮説化とその検証方法の選択
上記のようなことを時間をかけてぐるぐるとしながら、検証が可能な(必要な)、仮説を立てていくのが次のプロセスだと思います。
Aという現象は、Bが原因である(因果関係)
Aという現象とBという現象には実は関係がある(相関関係)
AとBは同じではない
Aという現象はBというモデルとCという入力で説明される(ここまではDescriptive study)
Bのモデルの入力をC'とすると、A'という結果になるはずである(Predictive Study)
(全て数値化されて計算可能という条件のもとで)資源制約がある中での効用の最大化のためには、CというルールよりDというルールが必要である、あるいは、Cより効用を増加させるDというルールがある(Prescriptive study)
など、命題化して、それをデータやケースで立証するというのが一般的なプロセスかと思います。
また、Descriptive, Predictive, Prescriptiveと、三つのタイプがあるとすると、あくまで自分の場合ですが、90%以上Descriptive, そこから10%かそれ以下のPrescriptive(社会的、政策的示唆)という感じになれば良いなと今は思ってます。ここは新規性と学術貢献が問われるときに、物事の見方として(少しだけ)新しい視点が提供できて、そこから現状改善の方向が見える、というようにできれば良いなという、希望的観測です。
これも簡単なようで結構難しく、「良い(あるいは悪い)」、と言うだけの曖昧な判断基準というか、形容詞では命題の検証ができません。
対象とフレームワークが明確であれば、この時点で見通しがようやく出てくるというか、時間をかけて考えた効果が出てくると思います。またそうでないと、仮説化から、具体的な立証の記述という次のステップに進めなくなります。
このような思考のプロセスは、個々の論文や発表の中にも存在します。なので、ぐるぐる回る上に入れ子状になっている(しかもこれらの関係には整合性が必要)という厄介な構造が、博士論文の難しさだと最近思うようになりました。自分が数年でできることはたかが知れているとは思うのですが、とりあえずは先行研究はそのような過程で生まれて、それを反映する構造があるというのはわかっておかないといけないなというのをつくづく感じているところです。
まとめ
研究における具体と抽象の間というか、対象と方法がお互いに影響し合うという点について思ったことを書いてみました。当面、10月の学会発表の準備をしながら、博論計画の具体的記述を進めて指導の教授と相談するというのが、2024年後期のTo Doです。
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