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Elinor Ostrom "Governing the Commons":2回目

日本語タイトル:『コモンズのガバナンス―人びとの協働と制度の進化―』

ひとり勉強会のため、Elinor Ostrom "Governing the Commons"のまとめを書いていきます。2回目は第1章です。

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なぜこの本のまとめをしているのかというのは、鉄道ネットワークをはじめとする社会共通資本の性質と政策を理解、分析するために、"Common Pool Resource=C.P.R."という「私的財」でも「公共財」でもない枠組みでの捉え方を試みるためです。

1回目は原著からでしたが、日本語訳も入手したので、2回目の今回からは日本語訳版を主に参照しまとめています。


第1章 'Reflections on the commons'(共有資源に関する再確認)

コモンズを巡る代表的な3つのモデル

  1. The tragedy of the commons=コモンズの悲劇
    ハーディン(1968)に代表される、資源が共同で利用されると必ず環境の劣化が生じるとする見方。またゴードン(1954)は「万人のものは誰のものでもない」と、漁業資源に関しての共同資源の浪費についてハーディンの10年以上前に指摘している。
    これらは放牧地や漁業資源だけでなく、ハーディンも人口過剰という一般的な問題を論じるために用いた比喩であることに見られるように、様々な社会的現象の説明に用いられてきた。

  2. The prisoner's dilemma game=囚人のジレンマ
    前述のハーディンのモデルを定式化したものとも言える。これは完備情報の非協力ゲームとして定式化されるもので、個人にとっては合理的な戦略が全体としては非合理的(パレート劣位)な結果をもたらす。このシンプルだが奥深い矛盾は、多くの研究者を魅了している。

  3. The logic of collective action=集合行為の論理
    囚人のジレンマと関連している問題に、個人の厚生追求と全体の厚生との両立の難しさがある。コモンズの悲劇、囚人のジレンマ、集合行為(collective action)は密接に関連しており、これらのモデルの核心にあるのは「freeride:ただ乗り」の問題である。集合財にはただ乗りの誘引があり、ただ乗りが発生すると、集合財の供給について、その集合的便益は最適な水準より低くなる。これは完全に合理的な個人の選択が、全体としては必ずしも「合理的」でない結果をもたらすことを説明する上で極めて有用である。

'The metaphorical use of models' (モデルの比喩的な使われ方)

これら3つのモデルに関連する理論は、集合行為論が今も多様に進化を続けていることを示し、また体系的な知識へと精緻化されてきている。

現実の世界では効果的なコモンズのガバナンスと管理がなされている成功例も多いのにも関わらず、共的資源に関する文献の多くは、共同利用は悲劇的結末を迎えるという前提を無批判に受け入れ、3つのモデルの比喩的な利用が頻繁になされている。さらに、比喩を元にする政策提言でも悲劇的な性格を帯びるものが多くなっている。その代表が以下の2つの"the only way"の政策的処方箋である。

'Current policy prescriptions' (現在の政策的処方箋)

  • Leviathan as the "only" way=リバイアサン国家
    ハーディンは、コモンズの悲劇を回避するためには「私的企業システム」あるいは「社会主義」しかないという考え方から抜け出せなかった。人々の意思とはかけ離れた強制力を持つ政府、ホッブスのいうリバイアサンを真剣に考えなければならないというのである。このような資源規制を中央集権化すべきであるという考え方は、特に第三世界の国々において大々的に取り入れられてきた。
    ゲームの形式での表現では、取引コストがゼロで、政府にとって情報が完全であれば中央政府は最適均衡を達成させられるが、現実には困難な前提である。

  • Privatization as the "only" way
    ロバート・J・スミス(1981: 467)は、「コモンズの悲劇を回避する唯一の方法は、私的所有権のシステムを創設し共有システムを廃止することである」と結論づけている。
    二人の牧夫のゲームであれば、放牧地を半分にしそれぞれに割り当てる。広い土地でもう一人を相手にしたゲームではなく、狭い土地で自然相手のゲームをすることになる。これはゲームにおいて、監視や制裁の実施など高い取引費用と、別の不確実性をもたらす。また、共的資源には海洋漁業資源など権利の個別化が不可能なものもある。

  • The "only" way?
    上記の二つの立場は単純に過ぎる。多くの異なる問題には多くの異なる解決策がある。本書では、悲劇的な結末の回避に成功した事例だけでなく、失敗した事例も取り上げる。また、ジレンマ的状況にある人は無力であるという前提で政策を立案するものではない。

制度が国家か市場かのどちらか一方であることはあまりない。多くの成功している共的資源制度はこれらが複雑に混じり合ったものであり、フリーライドの誘惑にさらされているにも関わらず人々が生産的な結果を実現している。公的な制度と私的な制度は相互に補完、依存していることが多いのである

An alternative solution= 代替的な解

コモンズのジレンマを解決するための制度的選択肢の議論を開始する。これはゲームの例では、 牧夫が拘束力のある契約を結んで、自分たちで考えた協調戦略にコミットできるゲームの形で示される。

裁定者、法廷そして履行及び紛争解決のための取り決めがあって、初めて長期的な取り決めの実現へ一歩を踏み出すことができる。 利得支配均衡は、最も低い履行費用で契約を履行する。裁定者を置くことによって合意することである。 事例では、共的資源の利用者は、自分たちの合意を多様な形で発展させ、それを多くの仕組みによって実行力のあるものにしている。

このようなゲームのシステムは万能薬ではない。 また現実の事例に於いて、見出される制度は、単純化されたゲームよりはるかに複雑である。それでもこれまでの固定概念に挑むには、代替案を明示できる単純なメカニズムこそが必要である。

  • An empirical alternative= 実例に基づく代替案
    上記のような理論的代替案の事例として、トルコのアランヤの漁業資源管理において、人々が考え出した解決策を事例として挙げている。 このように共同で資源を利用するならば、問題は避けられないとする見方に対して、理論実証の両面において別の見方が提示されることになる。

Policy prescriptions as metaphors= 比喩でしかない政策の処方箋

コモンズ問題の処方箋は1つしかないと考えるような政策研究者は、多様な制度的仕組みが実際にどのように機能しているかについてほとんど注意を払ってこなかった。

政策の処方箋それ自体は、多くの場合、単なる比喩に過ぎない。 単純化された制度だけを提唱するのは逆説的にも、「制度なき」制度と言うべきのものである。 新制度主義の研究者による体系的な研究成果を吟味することで得られる重要な教訓は、「制度の詳細」が重要であると言うことである。

  • Policies based on metaphors can be harmful= 比喩を元にした政策の有害さ
    政策の根拠を比喩に依存してしまうと期待したものとは大きく異なる結果となることがある。 例えば、第三世界における森林の管理の国有化は、以前はアクセスの制限された共有資源があったところに、オープンアクセス資源を生み出すことにつながってしまった。

'A challnge'= 課題

  • 政策科学が直面している自由の課題は、コモンズの悲劇に共通して見られる。様々な状況に対して、人々が持てる能力とその限界の中で組織としていかに対応できるか理論を発展させることである。

  • 政策科学の分析道具と理論に欠けているのは、人々が自発的に組織化しつつ、余力が残されているような状況をうまく説明できる集合行為の理論である。

  • 本書で分析対象とする資源については、1. 再生可能資源であり、2. 希少性が高まっている状況にあり、3. 利用者が相互に依存していると言う状況に限定する。

  • 本書で示す研究成果は、人々がいかに組織化し、集合行為に参画できるかを理解することに貢献できるはずである。

  • 集合行為の組織化に関する課題とは、ただ乗り問題やコミットメントに関する問題の解決、新しい制度供給のための取り決め、そしてルール遵守の監視といったことに関するものである。

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