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サンクコストと取引コストに縛られた国の行方

数少ない読者や、なぜか読んでいる皆様、あけましておめでとうございます。
元日から大学がある石川県では大きな地震災害が発生し、翌日はよく利用している羽田空港での事故と立て続けに大変なことが起こり、1月の第1週目にして既に流れる時の速さを感じてしまっている2024年です。

住んでいる場所も震度5強、経験したことがない長い揺れでした。幸い特段の被害はなく、仕事関係では今後の先行きのコスト上昇などが危惧されるんですが、能登地方の現状が徐々に報道されてくると、本当に命に関わる災害が自分にもいつ起こっても不思議はないと感じます。

そんな中、NHK+で、Nスペを見ました。

例年年始はBSで「欲望の資本主義」という大層なお題の特番が組まれていたんですが、それが今年はどうもなさそうなので、その代わりかな、と思って見出しました。

2024年最初のnoteはその感想です。


30年前と同じ政策課題

SBIR: Small Business Innovation Research

番組の中でSBIRと私個人にとって少し懐かしい言葉が出てきて少し驚きました。理由は、25年前、仕事で地方での日本版SBIRの展開、要は計画作りだったり補助金業務という、役所ではありふれた業務を担当していたためです。

日本版SBIRは、1999年から通産省、中小企業庁の取り組みとして進められていました。当時は「科学技術立国」を目指した科学技術基本法が1995年に成立し、その後の具体的な施策を展開するために、大学等技術移転促進法(TLO法)が1998年、日本版SBIR制度が1999年にできた、という流れになっています。

産学官連携の系譜

https://www.meti.go.jp/policy/innovation_corp/sangakukeifu.html

今思うと、バブル崩壊で落ち込んだ経済の立て直しニーズ、その間に急速にアメリカで発達したIT、バイオ等の大学発の技術と産業振興政策の模倣ニーズ、大学や国立研究機関の独法化を目指す政治的なニーズ、そういう諸々を文部省と科学技術庁、通産省が飲み込んで作り出した流れです。

当時(2000年前後)のバズワーズは、産学官連携に始まり、COE(Center of Excellence)大学、大学発ベンチャー、特許戦略、大学教員の兼業、起業、IT立国、etc...バブル崩壊の後の目標として、「技術立国」の次を目指していたんだと思います。また電気、自動車といった輸出産業の復活、それを中小企業にトリクルダウンさせたいという、バブル前と同じ成功モデルの再現を図るためのモデルチェンジ要素として、大学と科学を使おうという感じでした。

そのため、現実の政策執行現場となる都道府県レベルでも、科学技術振興計画とアクションプランを作ったり、国の補助金再編に対応して制度を創設、変更したり、産学官連携のための拠点機関を作ってコーディネータ(メーカーOBまたは退職した工学系大学教授など)を入れたりということを行いました。景気対策予算の受け皿にもなりました。

しかし、これらが成功したのか、当初の目標を達成しているのかというと、今も全く同じ課題、問題に取り組んでいるということから推して知るべしですね。あるいは高度人材育成、大学教育改革(マスター、ドクター育成と活用)に関しては、完全に失敗しています。

他にも、現在28歳という出演者の方が、「少子化は小学校の教科書に書いてあった課題」ということを言っていました。結局その課題は解決できないどころか、予想を超えたスピードになっているんですが、そのことへの振り返りというのを全くしないまま、新しい政策を打ち出す、というのはもうEBPM以前の、仕事のやり方としてあえて成果が出ないようなやり方をやってるとしか言えない状況だと思います。

振り返りと反省、そこから改善しないままサンクコストにこだわって中途半端を繰り返す愚

上記のようなことを番組を見ながら感じたんですが、そうすると、打ち手を考える前に、なんでこうなった、という原因を考える方が有益だと思い、思いついたのが見出しのことです。

結局、過去の成功体験と研究開発費を入れたからには無駄にしてはならない、という無益なこだわりが強すぎて、全くリスクテイクできなくなっている、サンクコストになることを恐れるあまり何もしないのが最善という意思決定(とすら言えないと思いますが。決定していないので)になってしまってるんだろうなと思います。

今、日本版SBIRについては、このようなHPが設けられています。

J Startup Cityというなんだかよくわからない地域PRと元々中小企業活性化策のSBIRがトップにまとめられてしまっています。機能的にも結局は中小企業支援ポータルのミラサポやJ -Net21への入り口に過ぎません。

また政策としてはある程度の期間残ってきた政策なので、実績情報とかもあってもいいと思うのですが、公表されている数字はあまりないようです。ただ、芳しくなかったのは事実のようで、担当が中小企業庁から内閣府に変わったり(これもまた微妙ですが)、制度改革のための会議が設けられています。

「中小企業支援に重点があり、行政で必要な技術やサービスの課題設定による連続的支援が不在のため、米国のような イノベーション創出のためのスタートアップ等の支援になっていなかった。」https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/sip/230316/sanko6.pdf

内閣府資料

「上からのIssue」のピンボケ

もう一歩進めて、なんでこういうことになるのか、というのも番組を見てて、世代と性別、立場によって、同じ日本語でも噛み合ってない議論の中から少し見えてきます。

まず決定的に感じたのが「経済」というものに対する政治家の認識です。出演していたのは、1958年生まれ、市会議員からキャリアをスタートさせた叩き上げの政治家で、税調のメンバーでもある新藤経済再生担当大臣です。

番組出演の立場上やむを得ないのかもしれませんが、同じような年代全体でもそういう認識なのかな、と思うのが、「かつての日本ような企業と経済の活力を目指す」のが経済政策だと信じているんだろうなということです。

なので、イノベーション施策としてのSBIRと従来型中小企業対策のミスマッチの問題よりも、「パワースーツ」のような日本発のイノベーションで介護人材問題を解決して製造ベンチャー企業への投資を呼び込むんだ、と因果関係においても効果の持続性や連続性についても課題感を感じられなていないコメントが出てくることになります。

幸福とイノベーション

もう一人、経済の立場では斉藤康平さんが出演していました。これまでの著作では同意できない点も多かったんですが、この番組にはマッチしてたと思います。またマルクス主義とはいえ経済学者なので、貨幣的なものが経済の目的ではない、というのを当然の前提として、幸福のためのイノベーションの必要性を言っていたように思います。

見え隠れする「経済」至上主義

経済学では最小資源による最大生産というのが「効率性」であり、企業側が目指すべきところなんですが、需要側の目的は「効用の最大化」です。この生産と需要の一致点というのが需要と供給のグラフの交点の意味です。

消費者は、効用という「幸福」という言葉で置き換えてもいいものを最大化させるというのが需要曲線の背景であり、経済学はそのものは昔からこの問題を扱っています。ただ、経済再生担当大臣のコメントからは、経済を貨幣的数量の最大化問題として捉えているような印象を受けましたし、企業側もそのような経済の持つ社会性を十分には理解できていないんだろうな、と感じました。

停滞の原因

番組からは少し外れますが、もう少しこの「失われた30年」の原因というものを考えてみました。それこそ山のように原因はあると思うのですが、できるだけ経済学のコンセプトに沿った原因を考えてみて、あまりに高い「取引コスト」と、「リスク忌避」という2点に集約されてくるのかな、と個人的には感じています。

高い取引コスト

この30年、結局はデジタルと紙の二重の手間をかけ続け、それが縦割り制度の中で、さらに個人情報保護対応、問題発生のたびに増加する新たなチェックリストなどバラバラに求められることで、異常に業務の複雑性が増加しています。しかも、高齢化する社会の中でです。一言で言うと、「取引コスト」が全く低くならず、逆に高くなっている状態です。企業におけるインボイス対応が典型です。

この取引コストは時間や情報も含む概念です。

なぜ人は個人が直接取引するのではなく、企業という組織を作って事業を行うのか、1991年のノーベル賞経済学者、R.コースは「取引コスト」を節約することができるからだ、という理論を提唱しました。

情報探索、交渉、契約、これらが「取引コスト」となります。インターネットはこれらを劇的に低下させて、生産性、経済全体の効率性を上げることができるため、重要なイノベーションとなりました。ただし、日本においてはそのメリットが十分に発生していると思っている人は少ないでしょうし、国際比較で2000年以降上がらない生産性というのがはっきりと見えています。
https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je23/h03-01.html

サンクコストにこだわるが故の「選択と集中」という名のリスク忌避

先にも書きましたが、サンクコストへのこだわりというのは、節約の美徳であり、コスト削減であり、「選択と集中」という戦略目標にもなります。結局「無駄なことはしたくない」、「失敗のリスクは取りたくない」ということですが、イノベーションという観点からは、非常な悪手というか、成長機会に背を向けることでもあります。

「国民の意識の共有」という言葉の中にあるもの

最後のまとめで、「国民の意識の共有」ということを政治の話としてされていました。何を共有するのでしょうか。1958年生まれの経済再生担当大臣らが思い描く「経済」と政策(打ち手)について、国民の支持と共有ということなんだろうなと感じました。しかしこの一見綺麗な政策はブラック労働が問題となっている霞ヶ関で作られたものです。

「デジタル田園都市構想」のような政策が思い描く経済社会と、現実の社会の乖離の大きさを実感した番組となりました。

あと、結局AIというのはこの番組でどういう役割、機能だったのかというのは最後までわかりませんでした。苦笑。パラメーターに関しては少し説明していましたが、モデルの構造などは不明だったからです。ただ、普通の感想を言えば、重いテーマを軽くタッチでこなしたいい番組だったと思います。

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