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妄想と欲望という名の夢か誠か 第二話 ~勃発~

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第二話  ~勃発~


冷遇


「いてて……痛っ!」
   幸夫は、痛みに仰け反りながら、上半身を引き起こした。
   幸いSUVとの正面衝突は避けられたようだ。直前のブレーキが功を奏したようだ。しかし、その代償として幸夫は自転車から転がり落ち、身体中擦り傷や打撲の洗練を受けた。
   周囲に目をやると、後方に自転車が倒れており、ハンドル前の買い物かごが悲惨な曲がり方をしていた。
 『また母さんに叱られる……』
    年甲斐のない心配が、彼の胸中を苛む。
『ちょっとぉ! どこ見てんのよ! 危ないじゃない!』
   その金切り声にハッとし、幸夫は前方に視線を戻した。
    そこには女性の運転手が車から降りて着て、彼の前で仁王立ちしていた。
『ちょっと! あんた! ちゃんと聞いてるの?』
  ヒステリー地味た声に顔を見上げる。

『!……』

   幸夫は一瞬痛みを忘れて、目の前の『美』に目を奪われた。
   身長は百六十を超える高身長で、基本華奢でありながら、やたらと主張の激しい、胸元の張りと腰のくびれ。そしてまたキャバ嬢が羽織るようなナイトドレスを着ている事で、前屈みになると嫌でも豊満な谷間が露になってしまう。女性経験のない幸夫にとっては、それがどんなに絶景で、幻で、神々しいかは、筆舌に尽くし難い。
「はぁ?  あんたどこ見てんのよ!」
   自分の胸元に釘付けになっている幸夫に呆れて、加奈子は即座にそれを腕で押さえてガードする。
「あ、いや、すみません。そんなつもりじゃなくて」
   我に返って、適当な言い訳で誤魔化す幸夫。
「もう! いい加減にしてよ!  こっちは時間無いんだから! そんだけ元気ならいいわよね?  私、忙しいんで!」
   そう言って踵を返して車に戻ろうとする加奈子。
「あ、でも、警察とか呼ば―――」
「はあ?馬鹿じゃない?」 
  幸夫の声に無下に反応し、睨みつける加奈子。
「だいたい急に飛び込んで来たのはそっちでしょ?  何が警察よ!どう考えても全面的にあんたの方が悪いじゃない!」
  その美しさとは裏腹に、一方的で脅し込めるような言い分に、流石の幸夫も苛立ちを覚えた。
「でも、道路交通法上、車両よりも歩行者の方が―――」
「うっるさいわね! そもそもあんた自転車だから、歩行者じゃないわよ!」
そう、言い捨ててその場を去ろうとする加奈子。しかし、数歩歩いて後、幸夫に振り向き、財布から一万円を抜き取り、彼の頭上からはらりと落とした。
「これで自転車も修理して、美味しいものでも食べたら?」
  侮蔑を湛えた笑みを残し、車に戻る加奈子。

  幸夫は愚かにも それを掴み取ろうとするが、それは正に幸夫から逃げるようにして、するりと手の間をすり抜けていく。やっと地面に落ちて、彼のものになった時にはもう、加奈子も車も消えていなくなっていた。
『僕は悪くない!  悪いのはあいつだ!  僕はみさきちの為に、大人として、紳士として、あの女にブチ切れなかったんだ!  きっとみさきちだって、僕の味方をしてくれるはず!』
一瞬にして侮蔑と敗北を味わった感情に見舞われる幸夫。咄嗟にみさきちを引き合いに引きずり込み、意味不明な解釈にて、自身を正当化する。
   掴んだ一万円札を、八つ当たりのようにわざとくしゃくしゃにして、ポケットに突っ込む。 
『痛い!痛っ!』
  悲鳴をあげる身体に鞭を打ち立ち上がる。
  自転車を立て直し、再度またがる。
  よく目を通すと、自転車のあちこちに傷が入っており、全部修理をするとなると、軽く一万円は超えそうだった。
   気を取り直して、帰宅体勢を再度整える幸夫。
  ペダルへ足を掛けた瞬間、彼が倒れていた辺りに、数枚の小さな紙切れがあるのを発見する。
「なんだら?これ」
自転車を止めて、それを拾い上げる。
「名刺なんかいな?」
  紙切れは三枚あり、三枚とも先程の女性の顔写真が載っているが、三枚とも名前が全部違う。役者でもやってるのか?  彼女に土台興味などない。そんなことはどうでもいい。
  幸夫はその名刺を捨てずに、またくしゃくしゃにしてからズボンのポケットに突っ込んだ。
「さぁて!帰らにゃ!」
  頭の中のスイッチを切り替え、イモ娘達の楽曲のボリュームを上げる。
『盛り上がって行きまっしょい!!』
   紅はるか担当のともちの掛け声のもと、観客席のペンライトが、まるで申し合わせたかのような一体感で、前後左右に乱舞する。次々に投げ込まれるコールの嵐。そして会場、観客、イモ娘がひとつになる……
  その刹那に思いを馳せて、幸夫も再度ペダルを踏み込んだ。

情夜

「ずいぶんと遅かったですね。お忙しかったんですか?」
   想像していた第一声とはだいぶイメージの違う発言に、加奈子は少し戸惑った。
「も、申し訳ありません。会議が長引いてしまい、事務所を出るのが遅くなってしまいました」
  汗を拭き拭き、陳謝する加奈子。
「仕事では致し方ありませんね。いつか私も仕事が、遅れる理由になるかも知れません。そんな遠くない未来へのおあいこという事で」
  社長はいたずらに微笑むと、スパークリングワインが注がれたフルートグラスを彼女に傾けた。慌てて加奈子もそれに倣う。
「乾杯」
ふたりのグラスは軽くくちづけを交わすように、重なり合った。
「美味しい!」
  喉の渇きのためか、それを一気に飲み干し、つい、素の自分の声が出てしまった。
「あは、私ったら、ごめんなさい……」
「あなたも、可愛らしい方だ」
「あら? あなたも、って、他に可愛らしい方でもいらっしゃるんですか?」
「まいったな……あなたは可愛らしい方だ。いや、あなたこそ、可愛らしい方だ」
「ふうーん。本当でしょうか?」
   いたずらに微笑んでイニシアチブを取りに行く加奈子。しかし焦りは禁物。そこそこの堅物で知られる社長には、即効性な色仕掛けは逆効果。じわじわと押し続けて、そしてグッと押してそっと引く、その駆け引きを繰り返し繰り返し、丹念に彼の中に編み込んで行かなければならない。そうすることで、彼を身も心も自分の物に出来る! はずだ。

   自転車との衝突を寸前で交わし、なんとか社長のもとにたどり着いた加奈子。足止めを食らった事で、焦りと苛立ちでいっぱいだった。心労や汗でメイクの崩れや、体臭が気になったが、『美』はいつでも彼女の味方。メイクも髪型も、匂いも服装の乱れ、どれを取ってもなんの問題もなく、可憐と妖艶を美味い具合に引き出していた。
  トイレで身支度を整えていざ、社長の待つホテル内のバーへ。

  堅物と噂されていた、新進気鋭の社長は、堅物というよりも、少し真面目過ぎる、シャイな男性だな、と、加奈子はそう結論付けた。もっと良く言えば責任感が強い、と言ったところか。しかし、自分に厳しい故に相手にもそれを課する印象もある。だからこそ今までひとりだったんだなと、加奈子はそう納得した。この手の男を虜にすると、上手く行けば果てしない資金源にもなるし、下手すればストーカー化して、刃傷沙汰になりかねない。    そこのコントロールが、彼女のこれからの腕の見せ所。

「そろそろ、部屋で飲み直しませんか?」
   だいぶ酩酊を醸し出した社長が切り込んだ。
「え! いいんですか? 実は私、まだ飲み足りなくて」
  そこにつけ込む加奈子。男が部屋へ誘うのは、もう分かり切ったこと。よもや初めての夜でそこまで迎えられるとは正直思っていなかった。第一回戦は、淑やかで従順な女で攻める事はとうの昔から決めている。バーから部屋への道すがら、どの表情で、どの声で、等、自身のスキルのストックから、今晩の自分をカスタマイズしていく。
  そして、部屋の前に辿り着き、なし崩し的に抱きしめ合うふたり。
「ここでは、他の方にも見られちゃうから、社長に集中出来ません。ぅふ」
  耳元でそっと囁く加奈子。
  その声にしゃかりきになってドアを開ける社長。開口一番、加奈子の腕を握りしめ、ベッドが置いてある奥の部屋へ突き進む。
  加奈子はそれに従い、か弱くもベッドに押し倒される。そしてタイトなスカートから伸びる脚をいたずらに交差させ、彼の欲望を助長する。そして、もはやイノシシと化した社長が、いざ彼女に覆い被さろうとした刹那!
「ゲゴッ! ゴボッ! ゴボガボ……」
   勢い余って、社長の口からは白く濁った吐瀉物が、一斉に撒き散らされた!しかもとめどなく。 
   それを全身で受け止めた加奈子は、あまりに突然の出来事に、正に事後以上に放心状態にならざるを得なかった。

別離

  数日後。
  今日もコンビニのバイトで汗を流す幸夫。
  もう、ここでのバイトも15年目を迎える。彼の中ではスーパーバイトリーダー、そんな称号を心の奥底でこっそり付けているくらいだ。
  正直な所を言えば、この職場は親戚で叔父に当たる雅樹が経営するコンビニだ。高校を卒業して、ひたすらに自由を愛し続けていた幸夫は、一箇所に留まることが出来なかった。過去、色んなバイトに挑戦はしたものの、『何かが違う』と感じ取った彼は、ほぼ数日で辞めて来るか、一度行ったきりで音信不通になったりと、『働く』事に対しての責任感が著しく欠如していた。そんな、どこへ行っても箸にも棒にもかからない彼を拾ったのは、叔父である雅樹だった。実際身内だからある程度格安で雇えるし、融通も効く。そんな軽い気持ちで雇った雅樹だったが、それからは受難の毎日だった。言われた事も出来ない、覚えない、覚えようとしない。それでいて店内の雑誌は読み放題、お菓子は食べ放題という悪行三昧に、元ヤン雅樹の牙が光った。バキバキの理論攻めで、幸夫の甘ったれた性根をボコボコに叩きのめしたのだ。何も言葉が出ない幸夫は、それから雅樹を恐れるようにして働き始める。正直辞めるだろうと睨んでいたが、何故かそこまでには至らなかったようだ。きっと、雅樹の想いが幸夫に届いたから。そう、雅樹は信じており、まるで息子のように彼を愛していた。

ヤングフラッシュ、チューズデイ、プレイガール等、週刊誌が今日も出揃った。雑誌コーナーには爽やか、艶やかなグラビアイドルがひしめき合って、田舎のコンビニにしては少し異様な風景だった。それでも、それをにんまりと見つめて、ほくそ笑む幸夫。
「ほれ! エロい姉ちゃんばかり見らんと、仕事せい!」
  雑誌コーナーにただただ立ち尽くす幸夫に、容赦なく台拭きを投げつける雅樹。
「ジュース補充してきます」
  投げつけられた台拭きを雅樹に返すと、バックスペースにとぼとぼと歩き出す幸夫。
「ほんとにしょうがねえ奴だて」
  そう言いながら、幸夫の後ろ姿を見ると、少しだけ、足を引きずっているようだ。
そう言えば、こないだの休みの時に、どこかで転んだって言ってたっけ?
  バックスペースから戻ったら病院に行ったかどうか、確認せにゃ!
  雅樹はそう思い、レジドロアの中を見た。
「まぁ、病院代くらいはあるだて」
  雅樹も結果的に甘い男だ。可愛い甥の為にはレジの中のお金でさえ、痛くはない。幸夫の給料の前借りに何度レジの中のお金を渡したか……
   女房の千夏とは、毎回その件で喧嘩になってばっかりだった。

「ぎゃぁぁぁぁああああ!」
 バックスペースから、突拍子もない叫び声が聞こえた。
「おい! 幸夫や!  どうしたで?」
一呼吸置いて、顔面蒼白、汗びっしょりになった幸夫が飛び出して来た。
「ま、雅樹おじさん、き、今日はこれで失礼します!」
  「どうしたんじゃ?」
「おじさんに説明してる時間なんて無いんです! とりあえす、お疲れ様でした!」
  そう言って血相を変えて出ていく幸夫。
「また始まったでよ」

幸夫の走り去る後ろ姿を見て、雅樹はぼそりと呟いた……


つづく

https://note.com/hiroshi__next/n/nc48b1b063772









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