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映画「ぼくたちの哲学教室」を観ました

哲学とは問い。
すぐに答えが出ないからおもしろい。

どんな意見も尊重される。
どんな小さな声も発する価値がある。

逞しい精神力を維持するには、
逞しい体力も必要だ。

アイルランド。

暴力は連鎖する。

問題から距離を取って考える。
怒りに飲み込まれず、自分を律する方法は、
いくつあってもいい。

気持ちを言語化するには、自分の感じている状態と言葉が結びついていなければならない。

名前のついていない感覚や感情は、表現しにくい。

そのまだ名前のついていない感覚や感情は、なんなのか。それを言葉と結びつけるためにも、哲学の授業は、とても有効だ。

先生の言葉。
クラスメイトの言葉。

それらを聞くことで、自分の内側の感覚や感情に名前が付くこともある。

困ったことがあったとき。感情は揺さぶられて、一時的に危機に陥る。個別での面談は、その問題を、その子だけの問題にしない。ふたりで話すことで、問題は「解決する課題」に変わる。

ふたりで、整理する。
ふたりで、アイデアを出す。

ひとりで抱えていた時は、苦しくて、混乱して、どうしたらいいか分からないことも、

先生と話すことで、問題と距離が取れる。

自分と先生で、取り組む課題に変わる。

話すことで、課題の輪郭がみえてくる。
よく分からない部分は、先生の質問によって、だんだん解像度が上がる。
その過程のなかで、まだ名前のついていなかった感覚や感情に、名前がつく。

名前がついたら、それは、よく分からない、得体の知れない恐ろしいモノではなくなる。

また現れた時は、「あ、あの感情だ。それなら、こう対処しよう。」と解決策が浮かぶ。

感情に振り回されて、暴力という解決策を選ばずに済む。

それは、技術だ。

自分の内側を整える技術。
それを鍛えること。

哲学は、思考の筋トレだ。

家庭や友人との、限られた仲間内だけで通用する言葉も大切だけど、それだけでは、偏る。

問いが大切。
問いによって、答えは変わる。

問う力は、仮説を立てる力でもある。

いろんな意見や可能性に開いている自分でいたい。

答えはひとつではない。

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