「カウンセリングを語る」を読みました
この本の原版が刊行されたのは、1985年。およそ40年前。当時と変わったこともあれば、変わらないこともある。
今の私に必要なことを、まとめてみる。
1.待つ
【カウンセラーの3つの条件】
(1)無条件の関心
(2)共感
(3)自己一致
だけど、これがむずかしい。修練に修練を重ね続ける必要がある。終わりはない。
会って、時間をともにする。
そこにいること、できているか。
自分だけ、別の世界に行っていないか。
相手のことを理解するのは、ほんとうにむずかしいこと。理解できるなんて、思い上がらないこと。まずは聴くこと。相手に集中すること。何かをしてあげたいという思いの有害性を忘れない。現実認識力とバランス感覚を持つ。
私は、すぐに提案しすぎる。植物を育てるように待つ。相手の力が伸びていくのを待つ。私は、種が発芽して育っていける土や光や水でいる。
カウンセリングの仕事は、ひたすら時を待つ商売。何もしないことに全力をあげる。とはいえ、何もしていないように見えて、いろいろなことをしているけれど、裏方に徹する商売。
そして、何もしないことのほうがよほどエネルギーがいる。だから、私は提案したり、手紙を書いたりしてしまうのだ。何もしないことに耐えられなくなっているサインだ。それでも、行動療法的に、相手と共に活動すること(遊ぶ、体を動かす、外出する等)が良い場合もある。
2.たましい
Seele(ゼーレ)=たましい=何かわからないもの
たましい=魂???
河合先生は「簡単にたましいは、魂と同じであるとは言えない」と言葉を控えている。
大切なのは、この事を自覚すること。そして、自分自身のたましいを知ることは、どんなに大変かということを、忘れないこと。
Ego(エゴ)=自我=Ich=私
Id(イド)=無意識=Es=それ
「私がそれに揺り動かされた」
「自我は無意識によって揺り動かされた」
同じ意味だけど、私がそこにいるかどうか。
自分と一致しているかどうか。内側と外側(発言、態度、表情など)にズレはないか。嘘はバレる。私は私を生きているか。
理解できないと思えるようなことも、私の中にもあるのではないかと、自覚すること。どんなにむちゃくちゃな事でも、私のなかにもそれがあるかもしれない。それに気づくこと。それがあるから、相手とつながっていける。
カウンセリングは、カウンセラーがクライアントを治しているのではない。クライアントが新たな生き方を創っている。私が何かしてあげなければと、傲慢にならない。
私の限界と、できることを自覚する。
限界を知りながら、つながり続ける。
河合先生の言葉は、カウンセラーが陥りやすい失敗を犯さないように、自戒となる言葉ばかりだ。
3.体を動かす
頭だけで考えているよりも、雑巾がけをしたほうが、自分のことがわかることもある。
自分の家の廊下や玄関を、雑巾がけして磨き、自分の体を動かすことは、心にもすごく影響がある。心と体はつながっている。体を動かすことの効果も意識する。
4.自己点検
自分では自覚できないことを気づかせてもらえるSVの大切さ。他者から見た視点の大切さ。指導者や仲間とのケース検討は学びをもたらす。ひとりで抱えないことも大切だ。
5.学び続ける
体を動かしながら、勉強を続ける。正論は、役に立たない。知識と実践から学ぶ。
型があると便利だけれど、型にはまったら、おしまい。型にとらわれない。積み上げては壊して、再構築する。ひとつの方法にこだわらない。入口は異なっても、大切なことは共通する。
6.まとめ
私は、誰かを治せる神などではなく、
ただの凡人であることを忘れない。
だからといって、無知な凡人だと開き直るのではなく、私にできることを続ける。わからないことは学び、相手に教えてもらう素直さと謙虚さを持つ。そして、共に居続ける。
私が私でいるために。自分のご機嫌を取って、いい気分でいる。それを心がけているけれど。
カウンセラーとしては、いつまでも、いい気分にはなれそうにない。
けれど、それはカウンセラーとして、ズレていないということだ。
河合先生、やっぱりカウンセリングというものは、ものすごくしんどいものだと、私も思います。いつまでも未熟者です。
未熟者の私が言うのもおこがましいのですが、残念ながら40年経った現在も、日本でカウンセラーは職業として成立するほどのものにはなっていません。私の努力不足かな。就職氷河期のせいかな。カウンセリングが日本に根づくように、頑張らないといけないね。
河合先生に会ってみたかったなあ。
「カウンセリングを語る(河合隼雄:著/角川ソフィア文庫/2024年)」
※この文庫本は、1999年に刊行された「カウンセリングを語る(上下巻)」を1冊にまとめたものです。
おわり
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