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私のトラウマ9

沖縄に移住して、仕事で子ども達の送迎をする。

まず、沖縄の土地勘がない。まったく道が分からない。方向も分からない。地名も道もどこがどこにつながっているのか、まったく分からない。まずは、道を覚えた。

何度か送迎に行くと、その子達の家までの道は覚えた。子ども達の家から家への道も覚えた。送迎ルートは頭に入った。だけど、新しいルートの開拓はできなかった。道はひとつじゃない。いくつもある。だけど、確実に送迎できるルートだけを使った。試しに知らない道に行って、事故を起こしたくなかった。安全に確実に送迎する。最短ルートである必要はない。どこにも寄り道はしない。送迎のみに集中する。それが私にできる最善だった。

たまに、どこどこに寄って欲しいとか、買い物を頼まれたりしたけれど、別ルートや知らないお店に入る事は、当時の私にとってとても負担で、ほぼお断りしていた。ごめんなさい。私の至らなさとワガママでご迷惑をおかけしました。

迷惑をかけてしまっていることは自覚していたし、通常の送迎は積極的にしていたけれど、

遠出の外出の運転は、私にとって危険以外の何ものでもなくて、乗っている子ども達の命を預かることは、私には出来なくて、運転は断り、他のスタッフにお願いしていた。

みなさん、承知してくれていたけれど、やっぱり嫌味というか不快さを露わにされた事もあった。とても嫌だったけれど、それでも、運転しないで済むなら、それに耐えて、謝っていた方が、私にはよかった。

それでも、問題なくどこへでも運転できたら、どんなに良いだろう。こんな悔しさや、嫌な気持ちを味わう必要もなかったし、仕事も滞りなくひとりで担う事ができたのに。

すごく嫌なのに、それでも運転ができない自分が嫌でもあった。

やりたいのに、できない。

それは、とても悔しいし、自信を奪われる。

やりたくなければ、しない。
しなくて済むことなら、しない。

だけど、しなければならない事の場合、辛い。

嫌味に関しては、相手にその気がなくても、私自身に負い目や自責感があるから、勝手に嫌味と受け取ってしまった可能性もある。それもトラウマ反応のひとつかも。心理士の仕事をしていた時に、人間関係がうまく行かなくなる相談者の方のなかには、過去の辛い経験から、フラッシュバックが起きたり、悪い方に受け取ってしまう人達がいた。何らかのトラウマを抱えているのかもしれないと思うと、新たな気づきが生まれる。全てをトラウマの視点から判断しようとするのはまずいけれど、トラウマの視点はとても相手への配慮を生む。

それでも、私が嫌な気持ちになったことは、事実。辛かったよね。私の感情をしっかりと受容する。そして、何が嫌だったのか。それを自分自身と確認していく。そこから、私の気持ちと、嫌な気持ちになるきっかけが見えてくる。

嫌な出来事は、私を深めるきっかけになる。
どんな出来事も、私とつながる機会になる。

つづく

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