地元の花火
地元の花火を、家族で観に行く。
近所だから、花火の開始時間に合わせて、
会場まで歩いて行く。
両親が歩く姿を見ながら、
いま、両親が生きている事を喜ぶ。
どこかせつなく懐かしい気持ち。
未来の私が、共にいた。
こうやって家族で花火を見る。
いつまでできるか。
今日が最後か。まだまだあるか。
分からないから。
いつか両親を亡くした後、
この花火の夜を思い出すのだろうか。
未来の私が、両親の後ろ姿を眺める。
何度も見てきた花火。
有名な花火大会とくらべたら、
小規模でほんの15分。
素直に喜び、声をあげ、拍手をする。
これが故郷の風景というものなのだろう。
花火の光で、田んぼが照らされ、
火薬のにおいが届く。
火と煙と音。
花火は土地の浄化かもしれない。
その場にいる人たちは、
花火を一緒に見る事で、
観客として同じ体験を共有する。
共同体意識が生まれる。
川のせせらぎも、見物客の声も、
「帰ろうよ」と言う子も、
パトランプも、祭の提灯も、
こんなに人がいたのか
と驚くような祭り会場も。
夏の湿度を含んだ人混みの熱気。
すべてがひとつとなる。
ずっと遺るものもいいけれど、
その瞬間だけの輝きは美しい。
きっと生命もそうなんだろう。
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